NPO法人 ニュースタート事務局関西

男女の「障害」

By , 2015年8月15日 2:00 PM

私には1人の兄弟がある。

わざわざ兄弟と言い出すのだから、契りを結んで運命をともにする仲とか、あるいは親の再婚や養子で血の繋がっていない兄弟なのかといえば、そうではない。同じ母から生まれた私の兄弟のことである。この兄弟を、自分の友達や初めて会う人へ、私から紹介する時に、戸惑いがある。それは、人に紹介したくないとかでなく、そこに「障害」があるのだ。それは何よりも日本語の「障害」であった。初めて会う私の知り合いにいくど紹介しても、すわりが悪い。それは私が今「兄弟」と指している言葉に対して、すんなりいかないものを持っているのに通じている。ここまで読んでいただいて、その兄弟は年上だと思われているだろうか、年下だと思っているだろうか。女性だと思われているだろうか、男性だと思っただろうか。

 

幼少期に長く過ごした時期は、私にとって兄弟は年下の女の子であった。そして、私との間柄は妹であると人に紹介をしていた。しかし、本人は女の子であることにずいぶん早くから違和感をもっていたようであった。私は自分が男の子であることを疑ってもいなかったので、女の子がどのようであるか知らず、彼女がそのようなことに悩んでいたとしても理解できなかったし、年下の兄弟として、妹としてしか考えられてはいなかった。いや、何も考えていなかったという方がいいかもしれない。おしゃれが好きな母は、スカートをはきたがらない一人娘に着せ替えできず不満というか、常に反抗されているような心持ちに悩んでいたようであった。そこで、妹のことを娘と信じつつも、女性らしくあることを強要はせず、いずれ恋などすればと変わるだろうと、どこか考えていることによって平静を保っていたようにも思う。だが、私の兄弟は女性らしくなっていくのを拒否して、家族には隠しながら、男性らしさにあこがれを強く持っていた。バレンタインデーは羨ましく思うほどにチョコレートをもらって帰ってくることがあり、今でも続いている仲の良い男友達があったりと、男女問わずそのような兄弟を理解してくれていた友人が少なからずあった。たぶん今もこの時期の友人が、彼にとっては大きな支えになっていることだろう。

 

私が関西に戻ってきてニュースタートに関わりだした15年前のことだが、兄弟が大学に通っていて、経済的なこともあって二人で2年ほど共同生活をしたことがあった。彼にとっては社会に出る直前であったが、この大学時代は家から出てアルバイトをするにしても何をするにしても、苦労したことと思う。高校時代までの友人は彼のことを理解したとしても、新しい環境で彼のことを分かってもらうのは難しいことであっただろう。さらに進路を考えれば、大きな社会に認められようとすることを前に途方に暮れることもあっただろうと思う。ちょうど性同一性障害などの言葉が出てきた時期で、自らのことをそのようであると告白されたことがあった。その場合、手術やホルモンを注射することによって、性転換をすることが一つの治療であるとされていたので、真面目に相談してきた話しであった。今までは黙っていたというより、たとえそのような障害がなかったとしても私のようにうまく社会になじめない人もあるわけで、性の障害がどれほどのものかと親身になることができてはいなかったが、その相談には私も普段考えていたことを率直に話したのだった。

 

男性だとか女性だとか、男っぽい女っぽいというのは、その時の社会が曖昧に決めていることで、男は女を好きにならなければならないとかその逆とか、男女でしか結婚できないとか、女が家事をしなければならないことは表面的なお話ではないか。それら常識や制度を変えていかなければならないが、周りの理解とかいくらかのお金で当面は何とかなりそうなことが想像はできる。社会が自分とは違った性を押し付けてきくるのならば、そのおかしな性意識をこそ変えなければならない訳で、自分の身体だけを変えてしまう性転換手術というのはジェンダーを頭ごなしに考えるのと同じように対処療法ではないか。身体が女性的なのに脳が男性的であることや、社会が女性的であることを強要してくるのがおかしいのならば、問題がない身体を改変するのは暴力的とはいえないか。

 

私は今でも兄弟を紹介する時その間柄を示す最初の言葉を持っていない。友達ならば友達でそこに男女は関係なくてもいい。家族の中でそれらを形容する言葉がないのは、家族がいかに性別によって隔てられているかを示している。それを知ってのこととは思うが私の兄弟は、父母や私の事をファーストネームで呼ぶ。最近私も子ども目線で、父のことをじいちゃん母のことをばあちゃんと呼ぶがそれも違う時があって、親をファーストネームで呼ぶことが多くなった。

 

引きこもる人は世間一般の常識にとらわれていた人が多い。引きこもってからは、結婚なんて、就職なんてできないと、それらを一転して無用と考える人もある。だが、引きこもるまでは皆がそうしているからという、それだけの理由で世間一般的なことを疑わずやってきたのだった。それがうまくいかなかったからといって、社会と関わるのを諦めないでほしい。ありのままの自分が投じられていない社会を、それとして決めつけないでほしい。もちろん、すべてがうまくいくとも限らないが、世間にとらわれないほうがよほど気持ちよく、そのような心持ちであることが他人とやっていくことに成るのだから。

2015,8,12 高橋淳敏

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