NPO法人 ニュースタート事務局関西

引きこもりは病気ではない 2

By , 2014年10月20日 10:00 AM

子の自立心を削いだ、表立った衝突のない生活

子が親からの自立を図るとき、難しくだが現実的な問題は、経済的な自立である。精神的に親から自立できる準備がどれほどできても、親の収入に頼るしかなく(家に居ながらにして生活保護を受けることはできない)、一つの台所に両雄は並び立たないことがほとんどで、親の作った料理を食べるしかないという状況であれば、親よりも知識がいくらかついたところで、普段の生活は依存的なものとなってしまう。
その状況下でも、子は精神的には自立を図っているので反抗的、のち無気力となる。親は子に外へ出てもらいたいと思いながらも、「親しかどうにもできないだろう」と従属的な関係を続け、子の自立心を削ぎ、のちに表立った衝突はなく均衡状態となる。子に考えられる自立は、外へ出て何らかの収入を得るか、あるいは親の仕事を手伝い対等な関係を築くくらいしかない。
今の時代、親の仕事を手伝うにしても、サラリーマン家庭も多く仕事場を見ることもない。サラリーマンでなくとも、2代3代と続いた自営業も「この代限りにして、子には押し付けまい」と考えている親も少なくない。
外に出れば、一億総中流時代と言われた正社員終身雇用の時代とはうって変わり、わずかな正規雇用とあとは非正規とアルバイトなどで構成されている企業や役所が大手を振るう。その変化は不可逆的にこの20年以上まだ底は見えずに進んでいる。先の見えない単純作業をどれほど繰り返して、一人暮らしを維持し、親から自立できたとて、それは経済的な自立というより経済的な奴隷といったほうが近い。外の社会は、他所の子を受け入れる気はなく、あなたの子を「今日から大人なのだ」と迎えてくれるような儀式や地域も遠い昔になくなってしまっては、今の子は社会の一員にいつなったかを自覚する機会もない。そんな折、「自分の生を自分で決定せよ」と押し付けがましく、周りが迫ってくる。それは自己決定の責任を取らされる現代の子の多難な生を、不利益なまま押し付けることによって放置しようとしている。
子が親から自立を図ろうとする欲望はいったい何なのか

阪神淡路大震災後、私が20歳くらいに考えていたことは今から思えば上記のようなことであった。
誰も自分のことを大人だ(大人になれではない)と言ってくれる人がいないのならば、私は大人になる必要もなく子のままで引きこもっていればいいではないか、その流れに逆らって子が親から自立を図ろうとする欲望はいったい何なのかと考えていた。
それは例えば学生運動をしていた人が転向して企業に就職していった際に、問題を棚上げした事や、最近では香港の学生が中国共産党資本主義に抵抗していることにもヒントはあるが、実は未だに私は分かっていない。そして、中途半端に今の社会に出てしまったので、未だに自分が社会に出た当時の心境をこのように何度も思い出しながら、その当時の自分の欲望について答えを得ようと試みているが、まだ分からないでいる。
「病気になっても自分のせいであると頑張る事」?

当時はまだ「自立」は自分の責任であると、自分一人が努力をすればなんとかなる問題であると考えていた。しかし、私が大学で学んだのは、自立しようとする欲望の背景を分かっていないのは、自分だけではないことと、皆が自立を自分個人のみの責任だと考えていること、そのうちの少なくない人たちが病気にさせられた上に、薬を飲んで障害を持たされたことであった。年を追うごとに私の友人たちは文字通りの病気にさせられているが、働くとは「病気になっても自分のせいであると頑張る事」であるとの見解が、今の一般常識にもなりつつあるようで、そのような働き方に抗う話しも年々少なくなっているように思う。
「新入社員意識調査」によれば、「今の会社に一生勤めようと思っているか」という問いに「そう思う」と回答した新入社員は、2000年の20.5%から増加し続け、2010年には57.5%になったとのことだ。この数字が見せるのは、企業での仕事のやりがいや労働環境がこの10年間で劇的に良くなったということでは、まさかないだろう。
社会とはつまり目の前にある人との関係

ようやく社会に出た一年生が、ふり落とされないようにと、たまたま入れてもらった企業にしがみついている姿である。もちろん今の新入社員がおかしいのではない。だが、「新卒で入れなくとも健康に働く」ということも出来なければ、その新入社員も振り落とされないようにと頑張るしかなくなってしまうだろう。多くの人は仕事は仕事と割り切っているのかもしれないが、今の働き方はおかしく、働き方を規定するのは社会で、社会とはつまり目の前にある人との関係のことである。

友人とはかつての友達であり、本や音楽の中でしか会ったことがないこれから出会う友のことである。私の事や、その友人のことを病気にさせる社会を恨めしく思う。本人が悪いから病気になるのではない。
2014年10月16日 高橋 淳敏

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