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引きこもりは病気ではない

By , 2014年9月22日 10:00 AM

浪人時代に病気にさせられる経験をした。
浪人時代に病気にさせられる経験をした。
たぶん、多くの人も似た経験をしているのだろうと、今になっては思うようになったが、当時は自分のことしか考えられなかった。引きこもりという言葉は当時なかったが、引きこもりという状態を考える時、その時期のことを思い出す。当時は精神分裂病という名前だったが、統合失調症じゃないかと思った。でも統合失調症の場合、このような自覚はないのではないかと思い、「十代を過ぎると発症する可能性が減る」だとか、嘘か真かわからない精神の病いと言われるものを調べた。そのどれにも、当てはまるようではあったものの、最後にはそこに自分を当てはめるのが嫌であった。私の場合、それまで出て行ったことがない社会に自分が通用し、一人で生きていく糧をどのようにしたら産み出せるのか想像つかなくて、一人で悩んだ。サラリーマン、プロスポーツ選手、経営者、医者、弁護士、土木作業員、ホームレス、小説家….アルバイトなど漠然として職種は思いつくが、どれをやって良いと思っても、どれもなれそうになかった。

友人や親、私の周りの人たちは、それぞれに答えを持っているように思った、今となってはそんなことはなかったと思えるが。相談した友人は、これだと思える職種はなかったが「仕事は仕事、遊びは遊び」で割り切るものだと語った。私はその友人に、「そのように考えることは無理だ」と伝え、また一人で悩むことになった。ほとんどの人はあまり疑問に思わず大学へと進んでいったように思った。私もその多くの人たちと同じく、何になりたいかよくわからない自分の可能性を狭めないためにと堅実な道とされている大学に行くつもりでいた。でも、皆がやっているからという理由だけで、受験勉強における競争はできるものではなかった。例えれば、レースに参加するには馬に乗り、ムチを持って叩いて走らなければならない。だが、私はそのムチを持っておらず素手で叩き、叩いた手は痛く走れずもうその手で馬を撫でることしかできないような話であった。それでも、病気ではない私はレースに参加しなければならず、レース上で馬を撫でるしかないという自意識こそがそもそも私を病気にさせようとしているものだった。先に大学に行った友人に会った時などは、私は恥ずかしかったので「自分は何物にもなっていない、どうにもなりそうにない」というふがいなさについて、なぜか友人に謝った。たぶん社会からどのようにも認められておらず、今後認められることがないかもしれない自分のような友達を持つ友人を哀れに考える余裕があったのだ。その時に私が必要だと思っていたのは可能性を広げることではなく、「これしかない」という勘違いでも何でもいい、いわば盲信(無知)であった。

大学に入れば、お金があれば、幸せになれる。
仕事をしたこともない人間がそのような壁に当たって考えられることは、それらの仕事も含めたお金のことしかなかった。大学に入れば、お金があれば、幸せになれる。あるいは、大学くらいに入っていないと、お金くらい持っていないと幸せにはなれない。阪神淡路大震災が起き、オウム真理教の地下鉄サリン事件があった。それ以前からでもあったが、私は「大学に入らなければ」「お金がなければ」幸せになれない、あるいは不幸になってしまうという自分を駆り立てるムチを持つことができなかった。私の父親はサラリーマンをやった。その仕事は、私にとっては生活を支えるだけのものであった。でも父にとっては、それだけの仕事ではなかっただろうと思う。その仕事は例えば自分だけではなく家族が健康に暮らしていくためと思いこめるほどであり、父と同世代の友人には、恥じず謝らずとも自らのことを紹介できるくらいアイデンティティをもったものだろうと思われた。父がどんな仕事をしているのか知らなければ、どんなに役に立っているのかも知らなかった。父は語らず、私も聞かなかった。それでも親子なのだからと似ているはずだと考えていたが、私と父は違った。そして父は私にサラリーマンを強要できなかった。
私はこのレース上で馬を愛でていよう
自分のどこか悪いのかと考えた。何もしたくなく、何もできない自分、いままで社会らしい社会と関わってこないでよかった自分、自ら何かになる勇気を持てない自分、人に勝る能力はない自分、嫌なことを努力できない自分。与えられた家庭環境にその責任を押しつけもした。でも、自分や周りの環境を責めても、そこに私が他人や社会に関わりたい、関わらなければという行動がなかったので、何も事は進まなかった。でも受験勉強と違ったのは、やりたくもない勉強はしたくなかったが社会や他人とは関わりたいとは思っていたし、消極的にもいずれ関わらなければならないだろうと思えるくらいに死にたくないと思ってはいた。そして、このようにして考えている自分は、まったくもっておかしいわけではないとも思えた。人からどう思われようと私はこのレース上で馬を愛でていよう、隠れず恥じずに。そうでもしなければ、私が私として保っていられないようで、それこそ病気になってしまうのであった。病気になってしまった人には酷に聞こえるかもしれないが、あの時人から病気だと言われたら、私はなっていただろう。それどころか、病人であれ医者であれ土木作業員であれ小説家であれ、あの頃の自分に誰かからまじめに、他の職業はもちろん奴隷となれと言われたら、なれたかどうかは分からないがなる努力をしたと思う。一方で、この奔放な精神の手綱をもって制御しつつ進めることができる他人や社会の存在を信じてもいなかった。

その後、2年間の浪人時代を経て、結局は大学へと進みますが、そこで私は精神の病や障害は社会や医者が作るものだという考えに至ります。続きはまた来月にでも?
2014年9月18日 高橋 淳敏

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