NPO法人 ニュースタート事務局関西

富田からスローワークを!

By , 2014年4月21日 10:02 AM

※3月の終わりに、「まちづくり」をテーマに地元富田地区のイベントに参加させていただきました。以下の文章は、その発言のために書いたものを、「スローワーク」の部分で編集しました。「コモンズハート」など現在やっている事業紹介も大きなテーマだったのですが、省略しています。
「スローワークって何?」
ハードワークの反対でしょうか?ビジネスとは逆にのんびりした仕事のことでしょうか?私たちは、誰が言い出したのかも分からず、口々に「スローワーク」と言い始めたのでした。一つは「スローライフ」だとか「スローフード」などが出てきて、「スロー」を冠した人の営みを、必然的にも多少無理にでも作ろうとする「ハード(過度の)」や「ビジー(忙しい)」に対するところはありました。ではいったい「スローワーク」って何だろうと、今までと違った働き方を必要に迫られながら、模索し始めたようなところです。
「地域経済って?」
私たちは、引きこもりやニートと呼ばれる若い人を多く生み出している現代の社会を問題とし、実際にその当事者にあたる人の支援活動(ニュースタート事務局関西)をしてきました。順調と思われた経済成長を経てバブルがはじけ、大学を卒業した人にも仕事がなく就職氷河期と言われた時期に、私たちの活動は始まります。会社に席がない問題を、これから社会に出ようとする若者の努力によって解消させようとしている企業社会(労働組合も含めた)に疑問がありました。営利企業にだけ就労・雇用のことを任せっきりにしていたので、グローバルな経済を前に私たちの生活はあまりにも貧弱なものとなっていました。パート・アルバイトなど使い捨てともいわれる労働は、まともに相手をしてくれる人はいません。それまでに地域経済というと企業を誘致したり、特産品を開発したりと、自分たちの外との競争力を得て外貨などを稼ぐことが課題でしたが、私たちが思い描いた地域経済は外のモノ・サービスにばかり頼るのではなく、地域通貨などにヒントを得て、自分たちの地域でモノやサービスが循環することを考えていくことでした。それでも、例えば近くの知り合いとお金やモノを積極的にやりとりするようなことなので、これまでそういった関わりを美徳としても避けてきた社会とは相容れないようであり、長く検討されていますがこの試みは何度も失敗しながら、まだ始まってもいないところです。
「引きこもりが教えてくれたこと」
分かっていた事ではありますが愕然としましたのは、現在の私たちの生活のほとんどは外のモノや労働から成り立っています。そして、それができるだけ遠くから調達されたモノであればあるほど贅沢なことだと考えられ、それらを購入するためにも外貨などを稼がなければならず、より外へ働きに出ました。一方で、そのような生活のため時間もなくなり、あらゆるモノやサービスをお金で買えるようにしなければなりませんでした。そのため、生活の安心やゆとりを得るために必要以上に多くのお金を稼ぎそして蓄えなければなりません。家の中の誰かが外貨などを稼ぎ、外のモノやサービスを買って家の中に持ち込まなければ、誰かが引きこもったり長い間働かなかったりすることはできません。外に働きに出ないことを、けしからん事だと世間や親までもが冷ややかな眼差しを向けるわけですが、もし今のように地域社会もなく、自分たちで少しも必要なモノを生み出さず、近所からエネルギーを調達しない生活を引きこもる人が享受しながらにして抵抗できずにいるならどうでしょう。彼・彼女らの多くは真面目に、働くとはどういうことか、人とどのように関われるのか、どのようにしたら生きていけるのか、生きるとは何かを考え、一人路頭に迷い引きこもっています。人付き合いを割りきったこととし、社会は利用したり利用されたりするだけと思っているなら、引きこもってはいないのです。外ばかりを見ている私たちの方こそ、豊かさを見失っていると考えるべきなのかもしれません。
「富田からスローワークを!」
私たちが富田で活動し始めた時は、自分たちの場所もなくこの富田ふれあい文化センターの会議室をお借りしまして、引きこもりについての勉強会や研修会を月に何度もさせてもらっていました。去年の秋にはニュースタート事務局関西15周年祭として本照寺をお借りして「とんだエコノミック」と題した引きこもりのお祭りで、本堂シンポジウムでは「スローワーク」について多くの意見も交わしました。富田地区はかつて寺内町であり、今でも酒蔵が残っていて、自治や地域経済において太い根っこを持っている土地です。地域に一つ困っていることや、必要とされる仕事があったとして、現代に至る仕事についての考え方はそれを誰がやるのかと競争し奪いあったり、逆に押し付け合ったりすることになっています。営利企業は当然のように、その仕事が得になるのであれば奪い合い、損するのであればやりません。私が今「スローワーク」について持っている一つの結論は、必要とされる仕事が一つあるとしてそれを競争するように誰か一人がやる(やらせる)ことなく、仕事があれば組織の内であろうと外であろうと、競争するのではなく無関心であるのでもなく、どんなに些細な仕事であっても協力をしていくことです。協力して仕事をするというごく当たり前のことが、現在に至って大変に難しくなっています。それが地域で、自分たちの生活の中で実行していけるならば、あらゆる人が地域での役割を持つことができると考えています。
2014年4月17日 高橋 淳敏

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