NPO法人 ニュースタート事務局関西

祭りのあとで

By , 2013年11月18日 10:20 AM

「健全」と言われる男性を邪魔しない「モデル」

働き盛りと言われた男性に代表されるような対外的に戦っている健全と言われる人がいて、そういった人が人一倍仕事をするから、それが出来ない人は補佐するか邪魔はせずに黙ってついてくればいいと面倒はみてあげるからと、働き方や社会保障に対する考え方も乱暴な言い方ではあるがそのようなものだった。多くの場合は女性である主婦の家内と言われる労働は、外で戦う男性を補佐するものとしてしか、社会的にその存在を認められることはなかった。障がいをもつものは消極的に生きていくよう慣れさせられ、積極的に生を請け負う人が障害者とさせられることだってあった。時代とその欲望が健全と言われる男性たちの仕事を味方して物質的な生活が底上げされる中で、その男性たちもただ衣食住が足るだけでなく、対外的に戦い勝つだけではない生きていくための価値は他にもあると、女性や障がい者もその権利や存在を主張していけるような隙はできた。それでも今なお、この戦う男性を補佐し邪魔をしないようにするモデルは全く変わっていない。むしろ、当然のこととして強化され、今後変わることはないのではないかと前よりも絶望されているようにも見える。そして、この対人的な絶望と引きこもりの問題は深く複雑に関わっていると考えている。

具体的にどのようなことが起きているのだろう。私が見てきたものは、例えば母親が主婦として家族全員分の皿洗いをしながら、父親には母親の役割ですと言い、子供にはこんなことをしなくていいから勉強をさせて、出世したその社会から今の女性たちの存在を認めるようになりなさいと塾に通わせたりしたことであった。あるいは、学校で人権問題を取り上げながらも、それは就職予備校と化した大学へ行くための勉強であって、教育と呼ばれるものではなかったことなどだ。今の社会は変わらないから、変わりっこないのだから、せめて貴方だけは出世をしてそれから変える必要があれば入った社会の中で変えたらいいじゃないかという教育だ。こう言う時、子供や主婦や障がい者は社会に入れられていない。ここで行われていることは主婦の労働や障がい者の生を保留にし続け、強いては自分の生すらも保留にして、今の社会の権威をそのままにしてその中へと入り、その権威でもって主婦の労働や障がい者の生を保障せよとは言うが、結局ここにおける権威とは主婦の労働や障がい者の生を蔑むものであるから保てている類のものでどうにも変えようがないのだ。

主婦の労働をそれ以外の人が担い、障がい者とともに生きる

引きこもりの状態にある人はこのことは分かっていて、自らの生を肯定したくて引きこもり、それでも主婦の労働や障がい者の生を認めることはできずに、独り如何にして生きていけばいいのかを考え続けている。精神科医などが安易に引きこもる状態を肯定する人があるが、彼らは引きこもる人が自分でも分からないくらいの社会に対する怒りや人に対する優しさをもっていることを理解していない。主婦の労働を賞賛し、障がい者の生を尊重するなんていうずれた話ではない。主婦の労働をそれ以外の人が担い、障がい者とともに生きることこそが希望となるだろう。

 

2013,11,14  高橋淳敏

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