NPO法人 ニュースタート事務局関西

「家にいるべきではない」/「家から出るな」の狭間で 栗田隆子

By , 2013年6月21日 10:27 AM

「引きこもり」としてすら認知されていない?
「私、久しぶりに家族以外の人に会った。今日は楽しかった!」
女性の貧困や労働問題に関する集会に参加したとき、参加者の女性の一人が、そんな風に話をしてくれた。
最近では家事手伝いという名目で、介護などにかかわりながらいわゆる賃労働にはほとんど携わらず、親の年金で過ごしている女性はかなり多い。そこには「引きこもり」という言葉はあまり見当たらない。実際は、家族以外の人間関係をほとんど持ちえないとしても、そのような女性達の状況はほとんど「社会問題」として認知されていないように思う。
今はある程度年齢がいった引きこもり状態の男性も同じような状況の人は多いだろう。しかし、同じような状態にいる男性と女性のどちらが「問題」つまりは、「家にいるべきではない」とみなされるかと言えば、やはり男性だろう。
ニュースタートのみならず、いくつかのサポートステーションや引きこもり団体からも話を聞いたが、やはり娘よりも、息子を持つ親御さんからの相談が多いという話を聞く。
その話を聞くたびに、ある種のルサンチマン(恨み)を感じてしまった。私自身は家族に男兄弟はおらず、親から男と女での「育て分け」はされなかった。だが、もし男兄弟がいたとして、自分が家事手伝いでもかまわないとされ、男兄弟はことさら心配されたとしたら、非常に複雑なものを感じるだろう。男性が受けがちな世間からのプレッシャーから逃れて安堵するかもしれない。だが、女だからという眼差しに決して居心地よくも思えないだろう。
違う例をもう少し出したい。
二十代の女性は”専業主婦願望が高くなった”と最近マスコミで報道されるようになった
若い女性が保守化したとマスコミでは喧伝されていた記憶があるが、実際は「保守化」という言葉で表現できるほど単純なものではない。
例えば。私が出会った20代の女性は、「結婚したい」とつぶやいていた。
「どうして結婚したいの?」
と話を聞くと、結婚すれば一人の男と向き合えばいいけれど、仕事をすると複数の男に関わらなければならない、それが苦痛だ、と。
実は、彼女は会社の上司(複数)からセクシュアル・ハラスメントを受けていた。セクシュアル・ハラスメントを行うということは、その女性を基本的に仕事するメンバーとして尊重せず、あらゆる意味で「下」とみなしてることを意味する。加害者にその自覚すらないことがほとんどだけれど。それが証拠に上司の妻や娘などに対しては、まずそのような男はセクハラはしないといわれている。
母でも妻でも娘でもない「女」は性的にみなしてもいい、という考え方は、つまりは「女は家にいなければ大事にされない(ただし家にいるということで第二市民的に扱われることは引き受けろ)」という発想にほかならない。 ”外に出ろ”というプレッシャー以前に、”“お前は外に出る必要はない”という社会からの要請が、いまだに女性にはある。ならば主婦になれば解決なのか?私の友人で「主婦で引きこもりです」と自分について語る人がいる。それこそ結婚すれば世間的には「解決」だろう。だが、少なくとも「家にいたくて家にいる」ということと「家にしか居場所がない」というのは断然違う。その友人もそうだが、セクハラやパワハラを受けて心身のバランスを崩し、仕事が出来なくなったという人もいる。しかしなおもそのような立場の女性に対して「働かず、主婦になれていいな」という人がいるかもしれないと嫌な予感を覚える。だが、女性がセクハラを受けるような状況を放置し、間接的に労働から排除するような場所で、男性の全てがパワハラを受ける事無く安寧に生きられると思うのもいささか楽観すぎるだろう。むしろこのような女性への暴力を放置することは、結果男性たちにも弱肉強食的暴力のなかで生きる事を強いることになるはずなのに。
全ての人が社会参加を期待されてない
「引きこもり」について考え込むほどに、「引きこもり」がそもそも「問題」になる地点にいる人と、そうではないとみなされる人がいることを問題視しないで、私は引きこもりのことに関わりたくないと思うようになった。つまり「家にいるべきではない」とされている立場(男性・若年・健常者・・・etc)に対して、「家から出るな」と言われている立場(女性・老年・障がい者・・・etc)が厳然とあり、実は全ての人が社会参加を期待され、歓迎されるわけではないのはどういうことか、というのが私の問題意識だ
そのような私の問題意識を、ここのスタッフも基本的には歓迎してくれていた、と思う。しかし、私の問題意識を具体的に通信に反映するにはどうしたらいいのか、ここのNSの事業を知りつつ(通信で紹介しつつ)、より具体的な問題提起ができればいいと悩むうちに1年が過ぎていった。そこで、まずは私の言葉で問題提起するところから始めることになったのである。
なぜ、引きこもりが「問題」なのか。少なくとも女や老人や障がい者を排除しているなかで、男が外に出ないと「問題」となるような社会はたまらない。人を「家にいるべきではない」/「家から出るな」と振り分ける「枠組み」をまず崩したい。のだが(もう少し続きを書きたいですが、今回はとりあえずこれで)。

 

2013,6,13 栗田隆子

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