営利企業だけが残った社会
営利企業だけが残った社会
私たち、ニュースタートは、引きこもりが社会的に問題とされるようになった15年前から、その当初から※「引きこもりは病気ではない」と言い続けてきた。いつの時代どの地域にもある若者の問題が、この特に現代の日本の社会で「引きこもり」という現れ方をしたのだと考えている。既存の社会には馴染めない若者に対する「最近の若いのは…」という言葉に代表されるような、大人たちの眼差しが存在する。 かつて不良や非行と言われたような、「大人と」ぶつかるような形で現れるのなら、その社会との軋轢というかたちで、コミュニケーションはあるとも言えるが、引きこもりの場合多くはコミュニケーションができない(ディスコミュニケーション)が問題となる。社会やそれに関わっている大人がコミュニケーションできなくなっている大人たちの問題であることをほとんどの人が勘違いして理解している。 引きこもりの問題は、ディスコミュニケーションの問題であるがために、本来ならば長続きするようなものではないのだが、今の日本経済にも似て破綻もせず、決定的な出来事も生まなければ解決もされず、お互い妥協し合うような道もなくその状態が長引いて「若さ」も高齢化している。 その上、新たに引きこもる若者も後を絶たない。将来や自由を奪い、今の生活(やり方)でしょうがないと甘んじているのは大人たちの方である。 社会の側に本当に必要とするような働きがあるのではなくキャリアカウンセリングなどの検討はずれな政策に巨額を投じては大人たちが一時的(2次、3次と続いているようだが)に権益を貪っただけで失敗し続け、今ではそれで働けないものを発達障害だとして医療や福祉の問題にしようとしている。
まともに相手もされず大人になる機会(コミュニケーション)を失っている若者を、働かないだとか障害者だと勝手なカテゴリーにくくりつけてコミュニケーションを怠る前に、また改めて「引きこもり」の問題に立ち返りとどまりたい。 そもそも大人と若者との齟齬がなぜディスコミュニケーションの形をとったのだろうか。 引きこもる人の多くは、親や学校教師(もう教師はその対象ではないかもしれない)以外の大人とはほとんどの関わりを持ったことのない場合が多い。 私も同じ年代に生きたので、このような実感もある。だから引きこもるという直接の理由にはならないが、彼らにまだ悩みがあった時、相談できるような大人は皆無に等しい。 他の大人が一体何をして生活しているのかも知れなければ、悩みがあってもそれをどのように語れば伝わるのかが分からない。親戚づきあいも近所づきあいも、地域社会もほとんどない。 あるとしても、※営利企業が取って代わり、サービスを受けるようでしかない。地域行事も大事なところは、地域の人や業者でもなく、どこぞの営利企業に任せられる。問題もなければぶつかり合うこともない。 友達の親もグローバルな企業の子会社で働いていて、何しているかも分からなければ相手もしてくれない。軋轢は少なくなったが、自分たちで生活や地域を作っているという実感はない。 生活している場所に、私たちが出会うべき人はいない。 たぶん、先人たちは、田舎にあったようなしがらみから抜け出したくて、都会に出て来た。しがらみから抜け出したかった大人達にとってはディスコミュニケーションこそ望んだところであったが、それが故に住民運動などは敗北続きで、新たに作ろうとした関わりも分断され、大きな道路や大きな建物、大きな企業ばかりが残った。 日本の経済は上手くいかなくなってここ20年くらいだが、コミュニケーションはここ4,50年失敗し続けているのではないだろうか。
引きこもりは、この都会でのあるいは都市化された地方でのディスコミュニケーション状態だとも考える。幸せについて突きつけられる見たくはない自画像とでも言おうか。 隣人とも親戚とも付き合いのない核家族が、都会のマンションの一室で安心して暮らせるのも、今のような食生活ができるのも医療や教育、介護を受けられるのも、国の政策によるものではなく、日本が経済的に他の国々より有利に発展してきたためである。私もそのような生活を享受してきたが、それがために周辺の人たちで協力して生活することができなくなってしまった。賃金に換算できない仕事を切りくずし、それすらも賃労働という仕事にしてしまい闇雲に人々を引きこもらせようとしているだけではないか。 それに対抗するためにも、私たちは無謀でもこのディスコミュニケーションの問題に向き合い、新たなコミュニケーションを作っていく必要がある。そして、自分たちの手元の方に生活や経済を、※取り戻さなくては、そこからしか「引きこもり」はなくなってはいかない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ ※「引きこもりは病気ではない」2001年西嶋彰 ニュースタート事務局関西発行 ※「営利企業」この場合、事業を通して得た利益を出資者である株主等に分配している団体を意味している。 ※このたび自民党が取り戻そうとしている社会とは違うことを分かっていただけるのであればこの文章を書いた意味もある。
2013年2月13日 高橋 淳敏