NPO法人 ニュースタート事務局関西

引きこもりがひらく社会(共同生活のすすめ)

By , 2012年11月26日 4:09 PM

今回は、代表の高橋淳敏さんからの、現状の「引きこもり」について 振り返るエッセイを掲載します。引きこもり支援の場は増えましたが、決して引きこもり状態の人が激減したとはいえません。この社会における引きこもり問題とはいったい何なのか、という問いは、古くて新しい問いではないでしょうか?

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引きこもり問題は長引きすぎたようだ、一人一人はどうにか耐えてもやってあるが、未だなお解決がされていない。日常的にそのように考え、時間もなくあるいは時間がないことを理由に反省できずにいたが、最近より一層思い出されるようになった。これは、社会が変わっていかないことにも由来している。引きこもり問題は終わらない。チェンジと言っても、政権が変わっても、大きな震災に見舞われても世の中は変わらないどころか、どんどんと固まっていくように見える。

引きこもり問題とは何なのか?引きこもりの状態にある人が増えていくことである。引きこもりの状態とは何なのか?かつて、半年以上家族以外の人との関わりがない状態と定義されたし、今もそのようでいい。引きこもりの状態であることの何がいけないのか?このような閉じられた家の中では、関係が固定化する。例えば、お金のことは親が握っていて、食事のことは母親がやっているというように。そもそもなぜ引きこもるのか?外に出て行く場所がないからである。出ていける場とは何か?能動的にその人の存在を認めてくれる場や関わりであり、社会的な役割のある場のことをいう。なぜそのような場がないのか?人の役に立つような仕事が少なくなり、他人と協力していくことよりも、他人を蹴落とすことの方を優先する社会になったためである。  世の中は高度成長期より一層、稼げと急き立てている。悲壮感漂う経営者たちは、中国がゴールドラッシュだとか、インドがそうだとか言っている。

それを前に外貨を稼げ、日本は自国に引きこもっていてはならないと。稼げる人を崇めて稼がせて、今の私たちの生活を維持できるのだったら犠牲は仕方ないと、本末転倒なことにもなっている。今以上に稼がなければこの生活は維持していけないのだ。このような経済を駆動している社会を考えると、引きこもりの支援というのは、引きこもりそのものを否定し、そうでなくさせることであり、それこそ大企業ネットワークの末端雇用にどうにか滑り込ませようと支援することである。あるいは発達障害や新型うつなどという病名をつけて、医療や福祉の世話になれるよう紹介することである。そのような支援を行政はサポートステーションというところがやり出している。それにしても、これも前々からではあるものの親御さんや本人もアルバイトさえできればいいといった話を聞くことがある。その気持ちは分からなくはない。出口の見えない引きこもりの状態を続けるよりは、アルバイトでもしてくれたらそれは世界も変わりそうに思える。一度働いてから引きこもる人も多いというのに、そもそもそのような世界になじめず引きこもり始めたというのに。アルバイトをしてみても、世界は変わらない。会社をリタイヤしてしがらみから逃れ、のびのびとできそうな老後の世界を、今の引きこもりの若者たちは夢に見て、期せずして今実現しているのである。社会とは何なのか、その金を稼ぐためのネットワークに参入することか、そこから離脱して年金をもらうなどの引きこもり生活を過ごす二者択一ではない。社会は今まさに、目の前で日々作られているのだ。そこにある関係が社会なのだ。それは取るに足らないくだらないことなんかではない。  綺麗事を話しているのではない。私たちには共同生活がある。それは、個々が遠く外にある仕事を獲得するためにそれぞれが勉強している生活などではない。日々他人の存在をひりひりと感じながら、それぞれが干渉しながらされながら、役割を担い生活をしている。手に取ってみてわかる働き方というのはそのような生活の中にしか表れてこない。生きる喜びもそのような生活の中にこそある。

 

NPO法人ニュースタート事務局関西 代表高橋淳敏

 

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