直言曲言 第320回 「過渡期」
私が引きこもりに初めて遭遇したのは今から12年と少し前であった。鍋の会等の席上であった。ご本人に会う前にご両親からそのご様子をお聞きしていた。ご両親にとっては、話が一切通じず、学校へも行かず、働きに 出かけようともせず、意思の疎通がまるでない「お手上げ」状態の子どもだと言う。
その後、「レンタルお兄さん、お姉さん(NSP=ニュースタートパートナー)」の依頼があり、NSPを派遣 し、その報告を聞いていた。私の予測通り、NSPに対しても最初は不信感が強く、心を開こうとせず、「打ち解けてさえくれなかった」という。
やがて、NSPは親の回し者や代弁者ではなく、本人とのコミュニケーションを望んでいることが分かると、誘いに応じて「鍋の会」に参加してくれる若者が増え始めた。「鍋の会」に参加してくれても私は「説教」じみた ことを一切言わず、若者ら同志の対話が深まることに気を配った。何の説教も聞かされなかったことに、恐らく 不満や不安を感じる人も多かったのではないか?ただ、席上「自己紹介」の時間が必ず設けられた。
この間まで「引きこもり」状態にあった若者たちであるので、流ちょうな「自己紹介」など望むべくもなかった が、話しなれず、口下手ながら、何度も心の中でシミュレーションをしたかの如く、「引きこもり」の経緯や心 情を率直に話してくれる人も多かった。そこでは、あらかじめ両親から聞いていたような、一方的な対話拒否も 反発もなく、ただ、両親の恫喝めいた説教に益々身を縮める若者たちの姿があった。
若者とのそうした出会いは何度となく、何十度となく繰り返された。だから「引きこもり」は競争社会との出 会いの中で、絶望的な心情が、人間不信や対人恐怖に陥り、心の扉を閉じてしまう現象であるとの仮説に確信を 持ち、確認されて行った。
競争社会はまぎれもない事実だが、そこからは「逃れ得ない」のか? 私たちが、彼らと出会うまで、彼らは家庭の中で絶望的に孤立し救われる方法はないかに見えた。NSPに誘われ鍋の会に出てくると、同じような心 情を持った若者との出会いがあり、ニュースタートのスタッフたちも学校へ行くことも、働くことも強制はしな い。そこは彼らにとって一応のオアシスである。
両親によるニュースタートとの出会い、NSPとの出会いを経て、鍋の会やその他の集まりでの若者同士の出会い…。こうして、「引きこもり」からの脱出の経路は見えた。しかし、数十万とも言われる引きこもりに対して ニュースタートのような支援組織との出会いを通じて脱出経路を見つけ出す若者は余りにも少数である。そもそ も、引きこもりに陥らないような方策はないのか。
「競争社会」に対するアレルギー反応はほぼ間違いのない事実だろうが、「競争社会」というのは今に始まったことではない。戦争末期の生まれである私にしても、もちろん競争社会を生き延びてきた。「競争」をむしろ好 物のようにむさぼる中で、青年期を迎えたと言ってよい。ただし、その学生時代には全共闘運動というものが起 こり「自己否定」という今になって思えば「よくわからない」スローガンで、エリートとしての自分たちの存在 を拒絶し続けた。
なぜその頃の私たちが対人恐怖や社会不信に陥らないで社会人になることができたのか?やはり、私たちを受け入れるだけの社会に経済的余力が残されていたのが大きいだろう。全共闘運動の曲がり角となった1970年は高度経済成長の結節点でもあった。成長のスピードは緩やかにならざるを得なかったが、個別の企業にはまだ目に見える変化は表れていなかった。
経済成長の余力がまだ慣行力として機能しており、幸福追求の幻想が維持されていた。尤も、そのことがバブルという実体のない富裕への願望だけが膨れ上がり、ついに幻想と実体の乖離を覆い隠されきれなくなって、バブル崩壊に至るのである。この頃に生まれたのが引きこもり世代の若者である。
団塊(~1950)から1960年代生まれの彼らの親は高度経済成長期の恵みを精一杯受けるとともに、競争(選別)の時代の余波を思いっきり受けてきた。彼らより少し上の世代は「恵み」と「余波」を同時に被る時代であった。時代がすすむに連れて、「恵み」は残り少なくなり、「余波」だけが高くなってきた。この時代をいかに乗り切るかが「子育て」に成功するかどうかの分かれ道であった。
上の世代のような「餓え」の体験を持たない代わりに、迫りくるような「餓え」の恐怖に苛まれていた。団塊の世代の一部は全共闘運動に巻き込まれて行ったが、そこから逃れきった多くの人々は思想信条などというものに振り回されて幸せへの道を見失ってはならないと深く心に刻み込んだ。
バブル崩壊後の「失われた10年」「失われた20年」などというものは危機回避のための日和見主義が生み出した停滞に過ぎない。それ以前の経済成長はがむしゃらな膨張主義(帝国主義)であったが、グローバリズムという名の国際化が資本の国際的垣根を低くし、先進国資本の低開発国労働力との結合を可能にし、先進国各国における労働市場の狭隘化をもたらした。
国際金融資本は愛国主義などというものと決別し、市場と労働市場を席巻して歩く。労働の機会を奪われる若者も、多くは近隣諸国である競争相手国との連帯の道を奪われ、孤立する。
こうした若者の親たちも、国際的に孤立する労働力としての将来を避けるために、早くから大企業・国際企業のエリート層を目指させる競争社会の生き残りへの道に賭ける。労働力の絞り込みを目的とする選別競争だから容赦はない。
「いじめ」も選別のための一つのプロセスである。そこでは弱肉強食の論理が幅を利かせ、いじめる側には勝ち残るための「理由」はいくらでもある。いじめられているわが子を「防衛」しようにも、いじめる側の理由に共感してしまう親は、いじめっ子たちの尻馬に乗ってわが子を責めてしまうこともある。
競争社会から降りてしまおうとする引きこもり予備軍たちも、それだけで落ちこぼれてしまう訳ではない。しかし、自分が納得できず降りようとする競争社会にあくまでも乗り遅れないよう叱咤激励する親や、時にはいじめる側の論理に同調して「ふがいなさ」を謗る(そしる)親に絶望してしまうこともある。
私たちが見る限り、生まれつきの引きこもり性質の子などいない。人生経験はもちろん乏しい。初めて体験する競争社会にしり込みしてしまい、頼りにしたいのは親であるのだが、その親こそが大嫌いな競争社会の守護神である肉食動物であることに気がついた引きこもりたちはどうすれば良いのだろう。人類にとって今は遺伝子の過渡期なのであろうか?
2012.7.10