NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第293回 「十年賭け」

By , 2010年3月23日 4:27 PM

ニュースタート事務局関西は1998年10月から活動を始めた。千葉県に本部を置くニュースタート事務局の代表二神能氏が大阪で講演会を開くと言うので当時友人であった西嶋が会場の借り受けや広報活動のお手伝いをした。二神氏本人も気楽な気持ちで開いた講演会かもしれないが、参加者は130人ほどいて質疑応答に答えきれなかった参加者は会場責任者であった私・西嶋のもとに詰め寄った。その時二神氏は既に会場にいなかった。それ以前から二神氏は私に対して「ニュースタートの活動を手伝うように」と要請していた。青少年の社会教育には興味を抱いていた私だが、その公演会場の近くにある会社の社長をしていて家族や社員を食わせていかなければならない私は断り続けていた。しかし、引きこもり問題の提起をし、しかもその問題提起が「当を得て」いたからこそ会場に残った参加者をわたしは置き去りに出来なかった。翌月からこの問題に継続的にこたえていく場を毎月開催することを約束させられた。数人の賛同者はいたが、私はまだ現役の社長でこの仕事に専念することなどできなかった。月に1回とは言え、準備にはかなりの手間がかかった。会場の予約や案内状の制作・発送。手間も費用もすべて自弁でそれを補うような収入はゼロであった。ボランティアとはそんなものだろうが、問い合わせの電話などがちょくちょく会社宛に掛ってくるようになったのには参った。このころ私宛に掛ってくる電話の大半は「ニュースタート事務局関西ですか」というものだった。電話を取るのは私の会社の社員である。社長のボランティアだとわかっていても、度重なると「いえ違います」と「嫌味」の一つも言いたくなるのは当然だろう。私は当然そのうち社長を辞し、ニュースタート事務局関西に専念するようになった。二神氏は電話口で「ようやく専任になったか。良く頑張ったけれど、遅すぎたくらいだ。」と言っていた。大阪で講演会を開いたときから、二神氏には「こうなる」ことは分かっていたようだ。

あれから11年半の歳月が経った。最初の数年間は私の会社が事務局の連絡先だった。私が会社を退いて、事務局は高槻市にある私の自宅に移した。やがて事務局のすべての活動は高槻市内でやるようになった。私は相変わらずの無償のボランティアだったが、親御さんからの個別相談に報酬をいただくようになって、事務費用などは賄えるようになった。自宅で仕事をするようになって、妻が少しずつニュースタート事務局の仕事に理解を示してもらえるようになって、活動に幅ができていった。鍋の会活動、共同生活寮の運営などは妻がいなければ継続できていない活動だ。若者のボランティアも増えてきてニュースタートパートナー(NSP)の訪問活動が始まるようになって、ニュースタート事務局関西も組織的な活動が続けられるようになった。

それだけの歳月が経ったから当然かもしれないが、最近「10年前にお世話になりました」というような電話や手紙が舞い込むようになった。私は4年前に脳梗塞を発症し、左半身不随になっているし、記憶力も不確かになっているのだが、当時聞いた話を聞くと不思議に記憶は甦る。引きこもり相談はどれも親御さんにとっては深刻な話なのだが、10年もたって蒸し返される話は一筋縄ではいかなかった難しいケースであるから、記憶にとどまっているのだろう。「10年前に相談したケースですが、もう一度相談に乗って頂きたくて…」と切り出してくるのは、当時の私の口ぶりに納得がいかずに途中で相談を放棄したケースだ。当時から私は「引きこもりは病気ではない」と主張していた。親は子どもを精神病だと思い込んでいるケースが多く、入院と退院を繰り返していた。10年経っても治癒するでも悪化するでもなく、医者は曖昧な診断を繰り返していた。「病気ではない」と明確に断定し、治癒実績もあると聞くニュースタート事務局に頼ろうとするのは当然だろう。「10年前にお世話になったが、息子もようやく結婚し落ち着きました。ありがとうございました」というような礼状も来る。

特に「お世話をした」というわけではないが、当時「苦労をした」相手の一人であった。その頃は若手のNSPもいなかったのでお母さんから相談を受けて、私自身が本人に何回か会った。礼儀正しく、頭の良い子で受け答えも理路整然としていた。「お子さんは引きこもりではないと思います」私はお母さんに告げた。お母さんの言い分によると「大学も卒業したのに就職せず、毎日パチンコばかりしている」親としては困ったことだろうし、相談に来るのも分かるが、私たちは品行方正な青年を育成しようという教育団体ではない。考えてみればギャンブルをしたり、生業とは思えない手段で生活をしている青年の相談もこの10年間で10件ほどある。パチンコやスロットマシーン、競馬などで生活している人が多い。連戦連勝と言うほどでもないのだろうが、ほとんど勝つという。たまには負けるが、親の家に住んでいるので飢え死にすることはない。小遣いには困らないらしい。

彼らが決して常軌を逸しているわけではないのは彼らなりのギャンブル必勝法を知っていることからも分かる。親はギャンブル必勝法など知らないだろうが、十分なお金があることを前提にすればめったに負けはしない「必勝法」は存在する。親は就職してお金を稼ぐように教えたが、仕事をしろとは言わなかった。必勝法を知った以上、汗水流して働くよりもギャンブルで稼ぐ方が効率的なのだ。パチンコならまだしも汗は流すが、商品先物や証券取引、中にはフィナンシャル・プランナーになるという若者もいる。ギャンブルという意味では同じだ。

「必勝法」にも例外がありうることを知るまでに十年かかってしまった。「十年賭け」というタイトルは人生の貴重な十年をギャンブルに賭けたという意味だが、引きこもりにより社会と没交渉になり抜け出すのに十年もかかってしまったという意味でもある。商品や証券相場でお金儲けをしようと言うのは、真面目な若者の発想法ではない。引きこもって社会に出ようとしない若者に、親がお金を預けて取引を勧めてみたのだろう。たまたまその時うまくいって、小額を儲けたのかもしれない。親は子どもに「才能」があるかのようにおだてたのかもしれない。現実の資本主義社会では他人を騙して集めたお金を運用して暮らしている人も少なくない。カジノ資本主義という言葉があるように、人生の勝ち負けをルーレットの勝負に賭けてしまうのが資本主義の本質なのだ。ふとした気の迷いで、子どもにそんな生き方を勧めてしまったら、子どものギャンブル人生を批判することすらできなくなる。

2010.03.23.

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