NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第286回 「幸 福」

By , 2010年1月12日 4:09 PM

地球温暖化と言うなら冬はもう少し暖かくてもよいのに。その代わり夏はもう少し涼しくてもよい。夏に海で泳ぐことも冬にスキーをすることもなくなった私は、そんな勝手なことを考えながら新年を迎えた。でも春の花見がなくなると困る。桜が咲くのが5月にずれ込んでも良いけれど。地球温暖化を疑いたくないけれど、気候や水面の上昇を警告するのならもう少し科学的に分かりやすくやってくれないかな?

「年末」は「家なき子」や「マッチ売りの少女」など「不幸」について考えてみた。今年は「幸福」について考えてみよう。「しあわせってなんだっけ、何だっけ」。年が明けてからは見かけないけれど去年まで明石家さんまが上半身をスイングさせながら歌っていた。「うまい醤油のある家さ」私はてっきり村上ショージが登場して醤油の小瓶をかざしながら「ショーユーこと」とふざけるのだと思っていた。ところが「うまい醤油は○○○○○○」醤油のブランドのコマーシャルソングだった。なるほど醤油がうまいってことは、料理がうまいということ。これは健康な証拠。幸せの一つの形かもしれない。

昔から「しあわせな家庭はどこも似ているけれど、不幸の形はさまざまである」と言うけれど、幸せも不幸も実に多様でありようは無数にあるように思える。他人の幸せをうらやむと他人はみな「満ち足りて」いるように思え、自分にはすべてが欠けているように思えるのだろう。欠けていることには親であったり、健康であったり、美しい服、おいしい食べ物、暖かい家庭,優しいお姉ちゃんとさまざまであるが、すべてはお金がないことにはじまるように思えるのである。少しくらいお金があったからと言って暖かい家庭が金で買えるものではないことは知っているけれど、神様ってずいぶん「不公平」なのだと思う。不公平でないとしたらしょっちゅう「よそ見」していて目が行きとどかないのだと思う。

お金がないことはすべての不幸の根源のようだが、どのくらいのお金があればよいのだろうか?ニュースタート事務局関西の活動を続けているとどうしても引きこもりの人の収入が気になる。完全に引きこもっている場合、働いていないので収入はゼロである。共同生活寮入寮生の場合半分程度はアルバイトを始めている。しかし、就業可能時間の半分くらいしか働いていないので月に5万円程度であろう。無収入の寮生と合わせて平均すると月平均3万円に満たない。ある時、何人かの卒寮生に「アルバイト収入は幾らあるか」と聞いてみたら「月に14万円」と答えた人がいた。親たちに寮費負担を強いているので、本人収入がそれほどあるのなら、少しは「親の負担を減らしてあげればよい」と思ったのだが「いつまで働けるかわからないので貯金している」とのことだった。真面目な人で同じところで働き続けているので引きこもり直後としては収入の多い方だろう。引きこもりでなくても、フリーターと言われるフリーアルバイターではそこまでいかない人が多い。

日本人の平均給与所得は年間460万円ほどである。一世帯当たりの家計所得は平均で556万円だという。給与所得と家計所得には約100万円の差がある。給与所得は個人のものであり、家計所得は家族の他の所得も含めてである。お母さんのパート収入なども含まれる。それに給与以外の収入、例えば株式の配当収入や他人にアパートなどを賃貸している場合その家賃収入も含まれる。フリーターで時間給800円程度の場合8時間働いても1日6400円。5時間なら4000円、月に20日間働いても月に8万円ということになる。月に8万円で年に96万円。平均給与所得と比べても5分の1である。フリーターの場合、アルバイトができているだけでもラッキー、勤め先の都合でやめさせられたり、月のうち半分くらいしか働けないこともある。給与所得者の中には年に1千万円も2千万円も稼ぐ人もいる。これが所得格差。フリーターと正社員の格差も大きいが、正社員の中でも300万円にも満たない人もいれば、2千万を超える人もいる。昨年民主党が政権をとり、子どものいる家庭に「子ども手当」(今年度は一人当たり月額1.3万円、来年度から月額2.6万円)子どもが3人いれば月額7.8万円、年額93.6万円になるのだから大変なものだ。この子ども手当の支給に所得制限をつけるかどうかが問題になった。貧しい家庭には大変な助けになるのだが、高所得者に手当てが必要か?当然の疑問である。そこで年収2000万円以上の世帯には支給しない案というのが浮上した。ところが統計で調べたところ年収2千万円以上というのは全世帯の1%未満しかいないことが分かった。

節税という観点では1%では少なすぎる。選挙のことも考えると敵は作りたくない。子ども手当に所得制限を設けるのはやめにしたらしい。人口比では1%未満であるが、貧富の格差は大きい。年収100万円未満の人から何10億円と稼ぐ人までいるだろう。人口比1%でも全就労者の中では何10万人が年収2000万円以上になる。年間国民所得の多くの部分をこの人たちが独占していることになる。平均所得年間556万円、平均に近い人はいわゆる中間層、中流階級だと思っているだろう。しかし高額所得者に比べればはるかに低所得者。年収100万円では確かに食っていけないだろう。引きこもりのように親の世話になっている間はよいが、自立しようとすれば「派遣村」などのお世話にならざるを得ないだろう。その2倍の年収があっても200万円、さらに2倍でも400万円。平均年収に満たない。平均年収層でも実際には裕福感はない。餓えることはないだろうが、子どもたちを安心して学校へ通わせる年収ではない。子どもたちが無事に大学を卒業しても自家用車が買いたい。その次は外国車が買いたい。海外旅行に行きたい。別荘が買いたい。海外のあちこちに別荘を持ちたい。欲望は尽きることがないだろう。高い欲望を持つことは悪いことではないが、尽きることのない欲望を追いかけて、お金持ちを目指すのは幸せなことだろうか。自分が欲望に駆られている限り、貧富の差や格差社会を批判できない。

私は老人と言われる年齢に達し、老齢年金を受給している。社長業を辞してNPO法人に勤めているが、これは自分自身の選択。蓄えも資産もない。妻の所得を合わせても平均所得に満たないけれど生活に不自由はない。脳梗塞を患い身体の自由が利かないので、あまり多くの欲望はない。このお正月も千葉県にいる二女が2人の孫を連れて帰省してくれた。三女の孫も生まれて私は幸せの絶頂かもしれない。自由になるお金は少ないが妻は孫に与えるお年玉には十分な小遣いを与えてくれた。若い人に、高い欲望を持つなとは言わない。ただ守銭奴になって自分の幸せを見失ってほしくない。

2010.1.12.

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