直言曲言 第274回 「お前は誰だ」
先の衆議院総選挙、民主党の大勝・自民党の大惨敗、とりあえず祝賀申し上げます。と言っても内心ではそれほど大喜びしているわけでもないですが、「知らんぷり」をしているのも変だと思い、一言ふれておきます。自分が大喜びもしていないのにこんなこと言うのもおかしいかもしれませんが、国民も案外「冷静」ですね。阪神タイガースが優勝しただけで道頓堀川に飛び込む人が続出したというのに、今度はどこかの駅前の噴水に飛び込んだ人さえ聞いたことがない。自民党が負けたからと言ってカーネル・サンダース人形をどこかに放りこんだという話も聞かない。不二家のペコちゃんが盗まれたというのは選挙に関係ないよね。
今回の「政権交代」と言っても、かつての田中(角栄)派が勝って、福田派の系列が負けた保守陣営内部の争いにしか過ぎない。国民が案外冷静なのは理解できるが、それにしてはこの政権交代、戦後初めての出来事らしい。私自身、これまで何回の選挙に期待を持ち、その期待を裏切られたことだろう。日本人と言うのはよほど大勢に流される受け身な性格らしい。受動的と言うよりはむしろM的な被虐趣味的ともいえそうだ。被虐趣味のくせに翌日には何事もなかったかのように冷静を装っている。真正の異常者のようである。
4年前、つまり2005年の衆議院選挙の時、政権交代は起きるのではないかと思っていた。55年体制(1955年左右両派社会党が合同し自由民主党が誕生)以来自民党が第一党を続けてきたがその崩壊の兆候が現れ、橋本・小淵・森総理大臣と続いて、さすがに日本国民も保守党に嫌気がさしていた。おまけに政治に対する刷新の期待も盛り上がって事前の世論調査では若者の選挙に対する関心も高く今度こそ「政権交代」があるのではないかと思われていた。ところがそこで登場したのが「変人」と言われた小泉純一郎。「私が自民党をぶっつぶす」とこぶしを振り上げて息巻いたが、国民は若者に限らずこのパフォーマンスにたぶらかされた。おまけに「郵政民営化」と言う一般国民には目的も弊害も分かりにくい選挙課題であった。おかげで自民党は圧勝。郵政民営化の是非はともかく実際には市場原理主義の追認。グローバリズムに幻想を持つ人はいてもアメリカ発のサブプライムローンに端を発する大不況にはさすがに辟易した。おまけに小泉の後を継いだのが安倍・福田・麻生、政治的に信頼できないだけでなく、人間的にも信頼できず記者会見でも国民をバカにしているとしか思えない応対ぶり、おまけに無責任に内閣を放棄して選挙の洗礼も受けず政権のタライ回し。民主党圧勝と言うよりも、自民党の大惨敗と言うのはマスコミの見る通り、あまりにも遅すぎた国民の怒りの表れだろう。さすがに国民の怒りも爆発したかに見えた05年選挙で若年層の政治的関心が高まっていると聞き、期待したのだが実際にはそうではなかった。若者に失望するのはよそう。若者もまた国民の一部。若者だけに「先見性」があると思うのは幻想。すべての若者は良くも悪くも大人達のコピーなのだ。
まあ遅すぎようと自民党政治に終末が来たのは喜ばしい。二大政党政治などと言って、次回選挙で自民党の復活を予想したり、期待する向きがあるらしいがそれだけはご勘弁願いたいものだ。そのためには今回の政権交代で明確に良い政治転換がなされなければならないが、その点はまだ不明確なようだ。今回の選挙、投票所の「出口調査」で投票した基準を聞いたが、それによると第一に「年金問題」第二が「景気対策」だそうだ。消えた年金問題など長年の掛け金の行方が分からなくなるなど政権党の責任は重く「年金問題」に関心が高いのは野党への追い風だと思っていたがそれだけではなさそうだ。選挙後テレビのインタビューを受けていたのは自営業者だという女性。「40年間毎月掛け金を支払って来て、月に6万6千円の年金受給資格を得た」とか、民主党は「一律7万円」の給付を約束しているとか。「えっ、掛け金を払っていない人も貰えるのですかっ」と40年間掛け金を払ってきた自分としてはご不満のよう。「年金問題」とは払ってきた掛け金の行方が『不明』になったという個人的な利害にたいする怒りだったようだ。つまりは公共工事の利権と同じく、既得権益に対する防衛意識だったようである。これでは自民党支持者の既得権益と民主党支持者の権益が入れ替わるだけではないのか。年金制度は大事だが、今の若者特に引きこもりの若者にとって働くこともできていないのに「年金」など空気中の水蒸気のように頼りないもの。自分が将来「年金」を貰えるなどと夢想もしていないだろう。働きもしないで、税金も払わないで、老後の生活が保障されるような底抜けの福祉社会ならともかく、そんなことは社民党でも共産党でも約束できない。せめて若者のすべてが働くことのできるような社会を希望するだけだ。
選挙に望むことの第二は「景気対策」。「景気対策」とは何だろうか。庶民にとっては物価が安くて生活がしやすくなることだろうかと思えば、消費者物価が安いのはむしろ不景気の目安らしい。経済が好況となり、株価が高くなることらしい。株価を高くするのなら、公共資金を株式市場に投入すればよいのだが、そんなことは株式など持たない庶民には何の関係もない。国民の大多数にも株価など関係がないはずなのに、なぜ選挙の投票動機になるのだろう。経済成長を国民の裕福さの指標にすることは理解できる。しかし株価は国民の幸福と何の関係もないだろう。株式市場における株価の上下とは株式売買の結果である。ある会社が成長し続けていれば、株価は安定して上昇して行く。そして株主は安定した配当を受けられる。単純にそう考えられれば良いのだろうが、株式とはそんなに単純なものではない。市場や国際情勢、科学技術などその企業の業績とは何の関係もなさそうな事件によっても暴騰したり暴落する。しかもそれは人の心理の裏の裏を読んだような仕掛けによっても変わる。株式市場がそんなものであることは百も承知のはずである。テレビやクォリティペーパーと呼ばれる新聞においても、毎日の株価は必ず報じられる。株価が暴落すれば、まるで国民の富が削り取られたかのように大騒ぎをする。株式などひと株も持っていない人まで大損をしたような気分になって暗い気持ちになる。自由民主党とは、そんな経済を動かしてきた、資本主義社会の守り手である。その資本主義の恩恵を受けて生きている人も少なくない。そんな人たちは次期総選挙における自民党の復活を願うのが当然だろう。資本主義的競争社会の中で、正社員として就職することもできず、底辺の格差社会を生きてきた人が守るべきものは何か?
2009.09.11.