直言曲言 第258回 「浦島桃太朗」
「昔々」というほどでもないつい最近のこと、あるところにチロリン村という郊外の村がありました。人口は急造しているのですが、行政が追い付かないのでまだ「村」のままでした。そこにお父さんとお母さんと2人の兄妹が済んでいました。お父さんは大都市に通勤していて中堅会社の管理職、お母さんは近所のスーパーでレジ係のパートをしていました。パートをしなければならないほどの貧しい暮らしではないものの、2人の子どもの教育費と家のローンをすこしでも繰り上げ返済をしたいと考えていました。
チロリン村にはチロリン台という団地とくるみが丘という住宅地が隣り合ってありました。浦島家はくるみが丘にある戸建ての家で長男の太郎、長女の花子と両親の核家族で住んでいました。チロリン台には県立チロリン台高校が、くるみが丘には私立の胡桃丘高校がありました。チロリン台高校は地域のほとんどの中学生が進学する高校で進学率もそれほどではなくスポーツも盛んだが「不良」が多いといわれていました。胡桃丘高校は県内随一の進学校で浦島家でも太郎を胡桃丘高校に進学させたがっていました。
チロリン台では毎年夏には盆踊り大会が開かれ、チロリン台の住民はお年寄りから子供まで参加しますが、隣のくるみが丘からは参加する人は一人もなく、子どもたちもほとんどが塾通いという生活でした。お父さんたちも残業する人が多く、駅からのパスもチロリン台行きは夜7時台がピークなのにくるみが丘行きは夜10時を過ぎても込み合っているという有様でした。チロリン台中央住民センターというところは商業地区で喫茶店も居酒屋さんもあるのですが、くるみが丘は第一種住居専用地区とかいうことでいくつかの自動販売機があるだけでパン屋さんも食堂もなく、昼間は人通りも少なく閑散としていました。通りすがりのお母さん方もチロリン台ではあちこちで井戸端会議をしていたり、公園で子どもたちを遊ばせていましたが、くるみが丘の児童公園は人っ子一人いなくて、だれもが忙しいのか時間を無駄にはしたくないようでした。普通に通り過ぎれば同じ時代の同じ村の隣り合わせた団地と住宅地なのですが、まるで違う国や違う時代のことであるかのように住民の暮らしぶり生活ぶりが違っていました。チロリン台の方は高層団地が多いのに人々が町でよく出会い、くるみが丘の方は戸建ての住宅地なのにまるで森の中のように人と出会うことがまれでした。
くるみが丘は山に囲まれた静かな住宅地でしたので動物たちがいっぱいいました。犬も猿もキジたちも…。しかし、くるみが丘の住人達は動物たちに親切であるとは言えず、あまり住みやすくありませんでした。人間同士でさえ「他人に迷惑をかけてはいけない」というのがスローガンになっているほどですから、「迷惑」なことに非常に敏感でした。「迷惑防止条例」というのがあり、いたるところに張り紙や看板がありました。「犬の大小便禁止」などというのは序の口で「公園での犬の散歩禁止」などというのもありました。大小便を禁止されるだけならまだしも、散歩まで禁止されては犬を飼うことはできません。野良犬でさえ、公園の中で見つかると石を投げつけられて追い払われるのですから、くるみが丘の野良犬たちは人間不信や対人恐怖に陥っていました。夜中に遠吠えをする犬がいるということで大声でほえることも禁止されてしまいました。こうなると犬だけではなくて猿もキジも声を立てることさえできません。動物は豊富だけれど、動物は迷惑の根源のように思われていましたので、動物を飼う人は少なく野生動物にえさをやる人もいません。たまに腰にきび団子などをぶら下げて歩いている人がいると、動物たちが寄ってたかって奪い取ってしまいます。
人間と動物たちの関係だけではありません。ここでは人間同士も不信感に覆われています。村営バスの車体には「あかん、知らん人についていったらあかん。」などと書かれています。幼児誘拐などの事件でもあったのでしょうか。これでは大人達は知らない子どもに声をかけることは出来なくて、子どもたちもますます人間不信に陥っていきます。もちろん、初めてくるみが丘を訪れた人は子どもに道を聞くことなどできません。道を聞きたい人は、近所の家のベルを押し、名刺を差し出して怪しい人ではないことを証明しなければなりません。
犬や猫を飼う人は少なかったけれど、くるみが丘には他の町にはないペットが流行っていました。亀やウサギやワニです.亀やウサギやワニは大声でほえるということがないので大人気です。しかしワニはさすがに大きくなり過ぎると獰猛でこれも迷惑防止条例で禁止されました。ウサギは言い伝えにより亀よりも下等な動物ということで見栄っ張りのくるみが丘住人には人気が無くなり、結局浦島家にも一匹の亀が飼われていました。この亀は桃太朗が見つけて拾ってきたのですが別にいじめられていたわけではなく、人が近づくとすぐに首をすくめて甲羅に身をかくしていました。桃太朗は何となく自分に似ているような気がして可愛がっていました。
桃太朗は胡桃丘高校に進学しましたが競争ばかりで楽しい高校生活ではなく不登校になり毎日パソコンにばかり向かい合っていました。ある時パソコンのマウスのつもりが亀を握ってネットサーフィンをしていると2チャンネルというサイトに出会い、そこに竜宮城というコーナーに行きつきました。そこには信頼や信用などというものは最初からなく、ハンドルネームというものを使えば悪口でも陰口でも何でも言い放題でした。桃太朗は自分の名前で投稿しましたが、桃太朗という名など本名だとは思われずハンドルネームのように何でも書きこめました。竜宮城で遊んでいると時のたつのも忘れ他人の悪口や嘘で何年も過ぎてしまいました。気が付くと何年も過ぎてしまい、お父さんもお母さんもいなくなってしまいました。浦島家は桃太朗の一人住まいになっていたのです。桃太朗は高校も中退したまま高齢者と言われる年になっていました。たまにパソコンから目をそらし、テレビを見てみると麻生太朗の孫だという総理大臣が定額給付金を支給するというので話題になっていました。桃太朗は高齢者ですが、この時代にはまだ年金は支給されていません。妹の花子はチロリン台高校を卒業して結婚し、チロリン台に住んでいました。桃太朗の食事は花子の娘が毎日運んでくれていましたが、感謝の気持ちもない桃太朗に余りなじんではいませんでした。定額給付金は無職・無年金の桃太朗にとって久しぶりの収入です。定額給付金が入ったら自分にも亀にも何か御馳走を買おうかなと思っていました。
2009.03.28.