直言曲言 第232回 「テロリズムと愛」
秋葉原無差別殺傷事件には衝撃を受けた。5月の例会や翌日カフェコモンズで開かれた「引きこもりサミット」でも白熱した議論が行われた。議論の大筋は派遣労働者の加藤容疑者の心情は分かるが無差別殺傷という行為には共感できないという極めて穏当なものであった。だが私にはそれだけで済ませてしまうにはいかない衝撃が残っていた。犯行後路上で警察官に制圧された容疑者は死んでしまったように無表情で、何かをやり遂げた後のように放心していた。私はこの表情を見たとき、1972年イスラエル・テルアビブのリッダ空港で自動小銃を乱射して自爆死した奥平剛士、安田安之ら京大生ら3人を思い出した。奥平らはアラブにおいては「英雄」と崇められており、日本においては赤軍派やその支持者からは「オリオンの3つ星」として記憶されている革命家なのである。秋葉原の殺人犯と同列視することは元赤軍派からも良識派ジャーナリストからも白眼視されるであろう。つまりは奥平らも加藤容疑者もテロリストであったと思うのだ。
明治42年中国ハルビン駅頭で伊藤博文を狙撃・暗殺した安重根は日本の歴史教科書はテロリストとして扱っているが、韓国では救国の英雄として扱われている。2001年9月11日、あのニューヨーク貿易センタービルに2機のジェット機が突っ込み、ビルが崩落した。なぜか私たちはテレビでそのライブ映像を見ていた。米国はもちろん、これをテロと断罪し、その後のアフガニスタン攻撃やイラク戦争を正当化する理由とした。映像を見ていた私は「これは戦争だ!」と叫んでいた。これはあの攻撃が正当であるとか正義の戦争であるとかの意味ではない。これは従来言われていたテロのように、個人や少人数の冒険的な犯行ではなく、組織的に仕組まれた戦いだった。だけど、時間が経ってやはりこれはテロだと思い直した。私のテロリズムの定義は少数の戦闘者が生還を望まないで攻撃することだ。生還を望まないのではなく、決死で戦いを挑むのかもしれないが、イスラム聖戦の自爆攻撃もやはりテロではないかと思う。もちろん第二次大戦時の神風特別攻撃隊や人間魚雷回天などというのもテロリズムである。彼らも聖戦を遂行したつもりかもしれないが、生き延びる可能性を捨てて体当たりに出かけたのはやはりテロリズムではなかったか。公正を期するためにもう一つ付け加えておきたい。最近のピンポイント爆撃のように攻撃者が遠隔地にいてコンピュータを使い、自分は姿を見せないで不特定多数の人を殺傷するのもテロリズムである。正義の戦争かテロリズムかは主観的な認定基準ではなく、敵対国をテロ国家と勝手に指定するなどという行為とは無縁である。
秋葉原事件の加藤容疑者は無差別に人を殺した。私は彼を弁護する論理は何ら持ち合わせていない。彼の行為は無差別殺人というテロである。しかし無差別ではあるが無目的であったとは思わない。事件後テレビのコメンテーターたちはなぜか急いで「この事件は派遣ビジネスや社会問題とは無縁である」とコメントした。加藤の行為は周到に計画されており、携帯での事件予告を含めて、心神耗弱や狂気の沙汰と推測されるものは何もない。コメンテーターたちはいち早く加藤の死刑予想と社会の無罪を宣告した。事件後10日を経て売られた週刊誌(私は読んでいない)の新聞広告の見出しでは「容疑者を神と崇める若者たち」という記事が出ていた。たとえ、加藤容疑者の殺戮の目的があったにしろ、たとえ匿名でも彼を神とあがめるような若者が実際にいたとは思えない。週刊誌記者自身の妄想ではないのか。
人間とは壊れやすい存在である。生きる希望を失った時、生還の望みのないテロに出発する。自殺増加のニュースが続いている。自殺原因は病気と貧困だそうである。ワーキングプアとは、過酷な条件で働いていても貧しい人たちである。現役の引きこもりは、豊かな親に育てられ、自殺しそうにもない。無理に自立して、ワーキングプアの道になど進まない方が良い。
加藤容疑者のことで一つ不思議に思ったことがある。警察の取り調べに対する供述だろうが、「彼女がいなかった。彼女がいたらこんな事件は起こさなかったかもしれない。」最初は「なんて甘ったれたことを言っているのだろう」と思ったが、案外本音かもしれないと思い、例会や引きこもりサミットに参加した若者に聞いてみた。Dという青年だけが答えてくれた。家族に事件や事故が続き、彼も長く引きこもっていた。生きる希望を失いかけていた頃、彼女と出会い恋をした。生きる力が湧いてきて、今は頑張っている、と。彼女もその場に参加していたが明るく笑っていた。その他の若者は恋愛経験がないのか、恥ずかしがって答えなかった。生きる希望を失って投げやりな生活を送っていたが、彼女と出会って恋をし、生きる希望が持てたという。私にもそんな経験がある。共感した。
私が彼女と出会ったのは24歳の頃であった。私は一目ぼれをしたが、まだどのように生きていくのか心に決めていなかった。彼女に近づく勇気もなく、無関心を装っていた。そのころは生活も不安定で、仕事上も少し嫌なことがあるとすぐに投げ出したくなった。いろんな転機があり27才になって彼女と結婚した。やがて長女が生まれ、性格も変わってしまった自分を発見した。嫌なことがあってもへこたれない。毎日が喜びに充ち溢れていた。まっすぐに生きていく自信が与えられていたのである。
愛し合い、触れ合い、スキンシップから粘膜接触へ。体液が混ざり合い、やがて愛の結晶が愛し子として生まれ、孤独であった昔を忘れる。文字通り他人ではない人の存在に孤独であることなど許されないのだ。生きていく上でのあらゆることについて夢を共有することのできる人が現れたのである。甘っちょろいことを言うわけではないが「愛」こそ生きる勇気である。性愛だけではないが、愛する人の存在を信じることができるようになることである。そうすれば生きる望みを失って生還を望まないテロリズムなどに走らなくて良いだろう。私は加藤容疑者を含めてテロに走った人を単なる犯罪者として断罪することなどできない。不正義に対して怒りを感じることはむしろ人間的である。怒りを感じる人を馬鹿にすることなどできない。ただ、生きる勇気を見失ったからと言って、生還を望まない犯罪に走ることは断固として反対する。まだ愛する人を見つけられない人もいるだろう。しかし、あなたは気づいていないだけだ。それにあなたの兄弟や両親がいるではないか。その人たちにとって、あなたこそが生きる勇気であり、生きる望みなのだ。その人たちの望みを奪ってしまわないように。
2008.06.24.