NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第222回 「脅迫」

By , 2008年3月22日 11:50 AM

最近私がよく言うことに引きこもりの「原因探し」のことがある。ひきこもり関連の書物というのがよく出ていて、そこに「ひきこもりの犯人探しや原因探しは無駄である。」などと書かれている。なぜ無駄なのか?ということは書かれていず、好意的に解釈すれば原因探しよりも回復のための努力の方が大事、ということではないか。それは同感である。しかし原因も分からずに回復の方法が分かるのか。なるほどそういう本には、本当の回復のための方法らしきものは書かれていない。思うにこれらの本の著者は「原因」が分かっておらず、だから原因探しは無駄などと「まことしやか」なことを書いているのだなと分かる。私はいや、ニュースタート事務局は「引きこもりは労働問題である。」と言っている。「就労問題」ということはあっても「就職問題」とは言っていない。なぜ「労働問題」なのかというと、過去の『直言曲言』でも何度か触れている。ここでは紙数がもったいないので触れない。聞きたい人があれば、例会や個人的に会いに来てほしい。いくらでも喜んで説明する。

しかし就労が課題であっても、それだけでは引きこもってしまわないのではないか?就労しないことで、社会人になれないとか「生きていけない」とか脅迫する人がいるのではないか?と思う。そう親なのである。私は「そんなことを言った覚えがない」という親が大部分であるが、知らないうちにそんなメッセージを伝えている。昔の親は頑固オヤジで、怖いイメージが強かったが、今の父親はやさしい。「友達親子」などという言葉もあり、子どもに理解のある親が増えている。昔のおやじのように訳のわからないことでがみがみ怒ったりしない。その代わりに、世間や社会のことを引き合いに出して、子供を脅迫しようとする。「○○しないと××になっちゃうよ」のたぐいだ。脅迫して子どもを教育しようとする風潮は昔からあった。秋田県のなまはげなどもその代表である。「言うことをきかない子はいないかな?」などと小さな子を脅す。しかし、この類は子どもが少し大きくなれば通用しない。「酔っぱらったおじさんが鬼の面をかぶっているだけだ」と見抜かれてしまう。私などは単純だから大人の脅しに恐怖を感じた。こんな脅しも良く流行っていたようだ。「言うことをきかないとサーカスのおじさんがさらいに来るよ」サーカスのおじさんがさらいに来て、玉乗りなどの曲芸を仕込まれるというのだ。時代背景の違いもあるのだろうが、そんな脅しを信じているふしがあった。今でもサーカスのテーマ曲と云えるあの「天然の美」という曲を聴くと、歌詞は「空に飛びかう 鳥の声 峰より落ちる 滝の音」と悲しい曲でも何でもないのだが、なんだか悲しい曲のように聞こえるのだ。

自分が嫌われるのは嫌なので、世間や社会のせいにしたり、伝聞の形にして子供を脅かそうとする。これは思った以上に効果を上げているようである。ただし、恐ろしいと感じるけれど、親の思ったとおりに行動するかどうかは別物である。「大学に行かなければならない」とか「高校だけは卒業しておかなくちゃ」というのは代表的な「脅し」である。高校だけは卒業しなければ「世間」で通用しないとか、あるいは「就職しなければ」生きていけないというものである。高校を卒業させたいとか、大学に行かせたいという気持はわからないではないが、「世間に通用しない」という理由は子どもに通用するのか。就職しなければ本当に生きていけないのか。ここでは親は至極「当たり前」のことを言っているつもりである。しかし子供には「世間」というものの実体は分らない。なんだかそこに通用しなければ、「大変恐ろしいことになるらしい」と脅かされているだけである。人間は生きていくためには働かなければならない。しかし「就職しなければならない」というのは誤解である。とても人の命令を聞いて働くことなどできないと思っている人は、働くこと自体に対して絶望的になってしまう。

親の「脅迫」的言辞に対して、おおげさに言っているように聞こえるかも知れないが、社会的な経験が少ない若者には思わぬ効果を上げてしまう。高校卒業や大学進学の時機を逸した若者には「世間に通用しない」身になってしまったという思いがある。「就職」しなければ働けないと思ってしまい「生きていけない」と思ってしまう。大学に行かなくても、就職しなくても立派に生きていけるのは言うまでもない。親はなぜこんな脅しをしてしまうのか。高校を卒業すべきであるとか、大学に行った方が良いとか、なぜ自分の意見として言えないのか。「自営業や農業、職人など生きていく方法はいくらでもあるけれど、就職するのが一番簡単だと私は思う」となぜ言えないのか。昔は自営業や農家など、サラリーマン以外の人がたくさんいた。自分の親も周囲の人もそうであった。いまでは多くの人がサラリーマンであり、自分も就職することに疑問を抱かなかった。だから大学に行って、就職するのが当たり前だと思っている。それを自分の意見としてではなく、世間や社会に通用するためにはという理由で子供に押し付けようとしている。

引きこもりの子どもを脅迫する極め付きの手口はこうだ。「私たち(両親)は先に死ぬ。私たちが死んだらお前はどうするの?」親がおそらく先に死ぬであろうことは事実である。その先(働けない)子供がどうやって生きていくのかは、親にとっての最大の不安である。だからたいていの親はこのことを心配している。だから今のうちに、働けるようになってほしい。しかし、このことを子供に対して口に出して言うのは「脅迫」である。「親が死んでしまったらどうしよう」これはひきこもりであろうとなかろうと年頃の子どもにとって、最大の不安であり、恐怖なのではなかろうか。その恐怖をわざわざ味あわせるために発せられた言葉である。親の目論見とは別に子どもたちは答える。「お母さんたちが死んだら、ぼく(私)も死ぬ。」これを「うちの子は死ぬと言っている」と言って心配して相談に来る親がいるのであるから世話がやける。言わせたのはあなた方自身ではないか。取り返しのつかないことと脅迫して、「もう生きていく希望がない」と思い込ませる。自殺念慮もそんな絶望感から生まれる。

充分に理性的な若者なのだが、NSPにどう説得されてもどうしてもあと一歩が踏み出せない人がいる。理性では割り切れない社会への恐怖感が頭にこびりついているのだ。たいていは、それは親による脅迫のせいだ。親もわが子のことを思ってしたことであるので済んでしまったことをとやかく言いたくはない。ただ脅迫による恐怖の「呪文」をなんとか解いてあげて欲しい。

2008.03.22.

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