直言曲言 第181回 「貝」
引きこもりは親にとってどうしたら良いのか分からない難事態である。親が説得するのは不可能だといわれている。第3者の協力を得なければどうにもならないといわれている。引きこもり支援団体であるわれわれの出番である。居場所や鍋の会、共同生活寮などあらゆる場所を用意して引きこもりの若者が参加してくれるのを待っている。しかし第3種引きこもりは、ニートともいわれるもので学校には行かず就職もしないが、外出は出来るから、鍋の会などに自ら参加してくれるが、第1種・第2種などの引きこもりは文字通り自宅などに引きこもっていて、他人に会おうとしない。そこでこちらから出かけていって出てくるように勧誘するのがNSP=ニュースタートパートナー=レンタルお姉さん・お兄さん=訪問部隊である。
訪問して自宅から出ることを勧誘する。すぐに出てきてくれることもある。10分の1以下の確立である。事前に本人と親とが協議して、NSPの訪問を依頼してくることもある。『出なさい』『いや、でない』と押し問答をして字体は膠着してしまうが、本人も内心では『このままではいけない。何とかして家から外に出よう』と思っていて、助けを求めるのである。そんな場合でもいざ訪問をすると『時間をくれ』とか、すぐに勧誘に応じない。親が一方的にNSPを依頼して、そんな場合がほとんどだが、訪問すると、会うのも拒否するのがほとんどである。中には、物を投げつけたり暴力を振るわれることもある。 少なくとも訪問や勧誘を拒絶されることが多い。
引きこもりは、人間不信や対人恐怖から、自宅から出て他人に会うのを拒否している状態である。親が依頼しているとはいえ、本人の許可を得ているわけではない。本人の見知らぬ誰かが訪ねてきて、外出を促しても拒否をするのが当然かもしれない。よしんば、自分自身引きこもりにうんざりしていて『出て行かなければならない』と自覚していても、他人に促されれば、とりあえずは拒否するものである。心の中の10%は出て行かなければという気持ちがあっても残りの90%は拒否したい気持ちである。95%出て行こうという気持ちがあっても残りの5%の拒否感で、そんな時は確実に勧誘には拒否してしまう。私たちは、その5%や1%を信じて、辛抱強く語りかけるのである。いつかその 1%が成長して、自分から出てこようと言う気持ちになってくれることを信じて。しかし訪問したNSPが一番困ってしまうのは、こうした頑固な訪問拒否者ではない。暴力で抵抗し、反発を隠さない引きこもりでもない。一番困るのは、何の反応も見せない、無反応の若者である。NSPが訪問しても、もちろん挨拶しない。出迎えない。部屋に入っても、抵抗しない。蒲団をかぶって寝たままである。呼びかけても返事がない。大声を出しても、ゆすっても一切反応がない。狸寝入りをしているのかどうかすら分からない。もちろん無表情であり、訪問者が来ていることに不快感を感じているかどうかも顔色に出さない。貝のようにピタリと口を閉ざして、何の反応も示さないのである。
すでに『出て行く』ことについての不毛なやり取りは親との間で散々繰り返されてしまったのだ。 彼はそのことについては全く無視することに決めてしまったのだ。肯定することも否定することもしない。相手と議論すれば、こちらの言い分を聞いてくれるのではなく、世間の言いなりになることを強要してくるだけだ。
昔『私は貝になりたい』というテレビドラマがあった。 1958年(昭和33年)の放映であるから、まだテレビ草創期の作品である。ある地方都市の理髪店の店主が囚われてB,C級戦犯の罪に問われた。A級戦犯とは政治家や軍首脳で、戦争遂行の責任者として罪に問われたことで知られている。B,C級戦犯とは現場の兵士クラスで、戦闘中の行為や捕虜の扱い方についての違法行為が戦争犯罪に問われている。ジュネーブ協定によって、交戦国における捕虜の取り扱いについての規定があり、現実には戦勝国による敗戦国処分に利用されているだけなのだが、 このドラマの主人公も、戦時中の捕虜虐待の訴因により『死刑』に問われた。『捕虜虐待』を正当化しようとは思わないが、戦時下の兵士が上官の命に逆らって捕虜に人道的な扱いを出来たとも思わない。ましてやその扱いが、兵士個人の責任として『死刑』に問われようとは!
いかに戦勝国による一方的な裁判とはいえ、手続き民主主義は尊重され、被疑者の自白は死刑の執行条件とされたのであろう。執拗な自白の強要が迫られた。かといって虐待の否認は認められない。訴えられた捕虜虐待を事実として認めるかどうかの自白強要であった。ドラマの主人公はフランキー堺が演じた。喜劇役者であり、ドラマーとしても有名な人であった。喜劇俳優として見慣れた笑顔が苦痛に歪み、泣き笑いが真に迫り名演技であった。 1994年には所ジョージ主演でリメーク版が製作されている。
主人公は獄中で叫ぶ。『生まれ変わらなければならないとしたら、人間には生まれたくない。 人間に使われる牛や馬にも生まれたくない。どうしても生まれ変わらなければならないのなら、いっそ深い海の底の貝にでも…私は貝になりたい。』 遺書だとされるドラマのタイトルになった『私は貝になりたい』の独白の一節である。自白は強要される。しかし、無実の主張は聞いてくれるわけではない。自分の意見を何も聞いてくれないのなら、いっそ貝にでもなって…。海の底の二枚貝になれば、誰にも干渉されず、たとえ人間に捕まったとしても二枚貝のようにピタリと貝のふたを閉じて…。
警察に不当逮捕されたときなどに『完全黙秘』という戦術がある。取調べを受けても、氏名・住所を含めて一切話さないのである。『自白偏重』である現在の刑事訴訟法では、自白調書がなければ微罪や別件逮捕の場合、起訴できず釈放されざるを得ない。
この死刑囚の場合、促されてしゃべったとしても、予め勝者の論理で定められてある理屈に屈服するだけで死刑囚への道が用意されているだけならば…。この『私は貝になりたい』という気持ちは私にはあまりにも理解できるのである。おそらく何度となく繰り返された議論の果てに絶望的な選択として、選んでしまった沈黙なのだろう。だからこそ、何の反論もせず、呼びかけにも応えず、貝のように口を閉ざすのであろう。私たちは第2次世界大戦の戦勝国のように、勝者の論理で敗者を裁こうとするものではない。あなたたちの言い分を十分に聞こうとしているのである。もう言い分などないのであろう。話すことや、考えることに『絶望している』のであろう。『絶望』というのが、どれだけの苦しみを経て到達する心境なのだろう。
引きこもりの若者の中には『絶望』の果てに『死んでしまおう』と考える人がいる。しかし、誰も死ぬことに手を貸してくれる人はいない。ましてやいつまで待っても死刑は執行されない。自分自身で死刑執行が出来ない以上、時が流れるだけである。沈黙は確かに安易な説得を試みる人には有効な対抗手段である。しかし私たちは焦らない。『貝になる』ことの是非も、いずれはその是非を自分で判断せざるを得ないだろう。『完全黙秘』を貫き通すのは信念がなければ、容易なことではない。
2007.1.11.