直言曲言 第170回 「快癒率40%」
私は昨年(2005年)9月27日脳梗塞を発病した。この8月で約11ヶ月が経過した。原因は糖尿病が悪化したことが直接の発病の引き金であったと聞いている。左半身が不随、言語障害を伴うと言うのが最初の診断内容であった。脳梗塞は直接に死亡の原因にもなる病気である。順調に行けば後遺症が残らず見かけは健康人と変わらなくなる人もいる。私の場合、発症箇所が脳幹部で比較的重症、但し発見が早くすぐ入院したので後遺症はあるが経過は順調というところらしい。救急車で運び込まれた脳神経外科を1ヶ月ほどで退院、リハビリテーション病院に転院、あわせて5ヶ月足らずの入院で退院した。現在は車椅子、杖を使用し家の中では手すりを設置したり、家人の助けを借りて辛うじて生活をしている。言葉の方は、完全とは言えぬが何とか言葉や意思を伝えることができる。もともと立て板に水のようにしゃべっていたわけではないが、大声を出そうとしたり、早口になると言語障害を意識せざるを得ない。
先日は家人と同行してお盆の墓参りに出かけた。墓地は駐車場から約200メートルなのだが坂道あり、石ころ道あり、松の根っこが浮き出た道ありで車椅子は使えない。仕方なく杖を突きながら歩いたのだが大変苦労した。普段は家人や友人に支えてもらいながらも、日常生活にはそれほどの苦労はなく発病前も椎間板ヘルニアのせいで長く歩けなかった。年齢のせいもありだんだんと体が不自由になるのも仕方がないかと思っている。元気なときに比べて、日常生活の回復率は30%くらいかなと思っている。3割自治なんて言葉があるが不自由さはこの程度なんだろう。
私たちは、社会的引きこもりの支援をしているが、さて何の支援をしているのか、言葉に迷うことがある。引きこもりの「社会復帰」と言う言葉はよく使われるのだが、私たちの好む言葉ではない。そもそも『社会』が良くない状態であるから引きこもりになったと思っている。その『社会』にそのまま『復帰』させることなど『良くない』と思っている。私たちとよく似た活動に『不登校支援』と言うのがあるがこちらは不登校がいけないから登校させるのだと思う。『不登校』は登校しないことがいけないから『登校』させようとする。『社会復帰』を目指すのであれば『元通り』を目指すのだから『不登校』支援と変わらない。それでは不十分だと思う。
私たちが『社会的引きこもり』 の支援を始めて8年近くになる。最初の頃はご両親は人知れず悩んでいて、世間では『引きこもり』と言う言葉も知られていなかった。その頃両親は我が子のことを『精神病』だと思い込んでいる人が多く、精神科医の門をたたいたり却って問題解決から遠ざかっている人が多かった。 あれから8年たって、引きこもりの相談機関も増えた。しかし、相談機関の多くは『不登校』問題の相談機関だったところが多く、引きこもりの本質もわからなかった。学校や先生や親の側からしか理解していないから、『学校に行っていないからいけない』と言う理解しかなく、なぜ行けないのかについての考えが不足していた。また『登校』すれば解決だと考え、義務教育だからと言って『卒業』してしまった生徒は解決課題としての対象外であった。もちろん『不登校』と『引きこもり』 は直結しており、中学を卒業しても高校で引きこもるなど、問題はなんら解決していないことは言うまでもない。
最近では、引きこもり相談機関の数も増え、情報も増加した。引きこもりが増加して、社会問題化したからであり、対策機関が増えたのは喜ばしいことでもあった。引きこもりがポピュラーな話題になるとともに政府や既成権力も無視していられなくなった。NEETと言う言葉や厚生労働省による自立支援塾の予算化などがそれである。NEETは無職で学生でなく、職業訓練を受けているのでもない若者を指す英語の頭文字である。英国でのNEETの紹介でしかない論文に対して、これまで引きこもりと言う言葉に違和感を持っていた人々が飛びついた。NEETは職業についていないという点だけに注目している。引きこもりは、その根本的な原因や、社会参加しそびれたことによる対人恐怖や人間不信という心理学的影響にも着目している。引きこもりと言う問題の本質を見ないでNEETと言う言葉の耳障りの良さだけで通過しょうという人たちは、当然ながら引きこもりが持つ一部心理学的で神経症的な問題も見落とし『就職』出来さえすれば『解決』したかのような態度をとりたがる。これでは『失業者』が増大し見かけの失業率を小さく見せたい政府の思惑に乗せられてしまう。
引きこもりの解決は『就労』すればそれで終わりと言うような簡単なものではない。しかし親からすれば、就労すればとりあえず当面の心配の種はなくなるかもしれない。私たちは経験上、対人関係の習熟なくして、アルバイトについただけでは長期的な社会参加は不可能だということを知っている。若者自立塾は3ヶ月間の合宿生活によって就労トレーニングを行おうとするものだが、3ヶ月の合宿では対人関係の慣れの緒についたばかりであり、そこでの付け焼刃的な就労技術トレーニングなどでは社会参加は不可能である。これは実際に若者自立塾を運営する立場の人の誰もが口にする言葉である。ところが政府からの補助金欲しさから、実態には口をぬぐって促成栽培に参加している。政府は見かけの失業率は減るし、それで満足しているかもしれないが、迷惑なのは当事者の若者である。さて両親など保護者はどうか?若者自立塾は、このような不十分なシステムと不十分な成果であるにもかかわらず、そこそこの参加率を得ているらしい。親にとって見れば、補助金のおかげで自己負担金が低く3ヶ月と言う短期間であるのが魅力的であるらしい。
引きこもりの社会的契機は若者に対する労働市場からの排除である。1990年頃からの不況と経済のボーダレス化の中で、企業は利益確保のために人件費を切り詰め、低賃金のアジア労働力を活用し、国内の若者に就職難が増えた。最近は、景気がやや回復し、求人が増えてきたと言う。引きこもりに正社員求人があるかどうかは別として、派遣社員やアルバイトなど非正規社員も玉突き的に改善されてきたのは事実であろう。こうした社会条件を背景に、引きこもりの若者がフリーターになれたからといって、厳密な意味で社会参加が出来たと思わない。ところが、先ほどの若者自立塾と同じで、当面の就労問題が解決したからといって引きこもり問題から目をそらしてしまう親御さんが増えている。つまりは引きこもりの解決途上での取り組み中止である。私の主観であるが、全体の6割以上の人が半引きこもり状態のままに放置されようとしているのである。つまりは快癒率40%と言う状態である。
かつて、引きこもりとして、自宅から出られず、アルバイトも出来なかったが、今ではたまに気が向けばアルバイトに出る。親としては、それでも一段落ホッとしているのである。20年、30年後の社会を思えば暗澹となる。対人恐怖や人間不信からは逃れられず、社会不適応のまま高齢化したこのような人々が大変な数に上る。現在のように一部の若者に見られる社会不適応ではなく、同世代の多くの人々が人間不信に陥れば、社会活力が低下するのは明らかである。20年後の社会活力を私が心配するべきかどうかは別として、次代の世代がそんな世代になってしまうということを放置することは出来ないと思うのだが…。
2006.08.22.