直言曲言 第151回 「孤独の魔力」
青い夜霧に 火影が赤い どうせ俺らは 独り者
花の四馬路(スマロ)か 虹口(ホンキュウ)の街か
ああ、嵐吹くような 夜がふける。
『戦前』にディック・ミネが歌った『夜霧のブルース』の一節である。戦後、石原裕次郎もリバイバル(いわゆるカバー)で歌ったことがあるが、どちらにしても三世代ほど前の古い歌である。私はこの歌が好きで若いころから愛唱していたが、実際に四馬路(スマロ)や虹口(ホンキュウ)の街に行ったのは四十歳をすぎてからであった。四馬路(スマロ)や虹口(ホンキュウ)というのは中国・上海の地名。戦前のことであるから租界華やかなりし頃の地名である。
ただし、今も使われている地名である。租界というのは終戦のときの賠償条件として土地を長期借用することで、事実上の占領地と同じ。上海には日清戦争以後の西洋列強の租界があちこちにあった。日本も満州を支配したり、後に日中戦争に突入したりするくらいだから、大陸に大いなる野心があり、虹口というのは日本の租界であった。四馬路というのも上海中心部に近い地名で、私が行った時にはちょうど深い霧に包まれていた。上海はこんな国際都市だから、いろんな国際ビジネスマンやスパイも暗躍する魔の都市といわれていた。先ごろ公開された映画『スパイ・ゾルゲ』なども上海を舞台に国際共産主義と帝国主義勢力がしのぎを削った。そんな時代と土地であったからまともな労働者の日本人がいるはずはない。帝国主義の手先や国際マフィアのような人種ばかりであったと思われる。
「どうせ俺らは 独り者」
といって孤独を嘆いても、孤独なのは当たり前、好きこのんで独身をつらぬき、親の住む日本を捨てて上海くんだりまでやってきたのだから…。要するに私はそんな男の『哀愁』が好き、上海が好きなのである。四馬路というのは黄甫江という大河(揚子江の支流)の川口から始まる南京東路(ナンジントンルー)という繁華街から東南に少し曲がったところにあるビジネス街であった。私がディック・ミネを好きなのもこうした昭和一桁の頃の上海に憧れるのも亡き父(大正3年生まれ)の青春時代に対するノスタルジーであろう。
中国といえば13億という人口を抱える大国として有名。何しろ中国の統計は当てにならないのが有名だが、上海の人口も3千万人だという。世界の有名大都市といえば人口1千万人級であるが1千万人を超えれば一つの都市に包摂し切れる訳がない。都市近郊を含めた都市圏の人口ということになる。パリでもロンドンでもそうだがパリ市内だけではなく、大パリ圏の人口がいくらかということになる。東京でも一説には1千7百万人というそうだが、東京都だけではなく千葉・埼玉・茨城・栃木などを含むいわゆる首都圏の人口である。これだけの人が毎日ではないにしても、東京の都心に出てくる。混雑するはずである。
上海でも中心部の人並みを見ていると、どこからわいてでた人並みなのか不思議になる。今、上海は世界一の都市であるそうな。人口ではもちろんそうだが、都市建設の速度や情報化の面でもおそらく世界一である。20世紀の前半、上海は世界の『魔都』と呼ばれた。国際交流都市であるとともに、あらゆる『歓楽』が買える都市でもあった。殺人も、姦淫も、ギャンブルも、己が人生を裏切ることまで…。だからこそ、独り者、孤独な都市である。人口3千万人にして孤独な都市。東京も大都市であり、孤独な都市である。こんな大都市に紛れ込んだら、人に見つかりはしない。人口数百か数千、せいぜい数万程度であればすぐに見つかってしまうかもしれない。しかし、一千万を越える都市でおいそれと人に出会えるはずはない。
人間は(ひょっとすると動物すべても)『孤独』を愛する生き物であるかもしれない。 遺伝子の中に孤独を愛するという因子が含まれているのかもしれない。親から離れて孤独を愛し、孤独に親しみ,やがて孤独に耐え切れなくなって、人を恋し、伴侶求め、子を生み…。その繰り返し…。 だから反抗期の僕たちは、親を捨てて家出をし、その家出とは往々にして田舎を捨て、大都会に憧れる。実際に僕も高校生のときに、家出をして東京を目指したことがある。あくる朝、東京駅に着いたとき、手配されていた警察官から保護されて、結局一夜限りの家出だったが、十分に孤独と、親と再会したときの喜びを味わったことがある。
孤独を味わってこそ、人を愛する気持ちの深まりを知ることになる。逆に人を愛してこそ、弧愁の憂いを知ることになるのかもしれない。引きこもりとは、孤独を愛することだと思う。同時に、『脱引きこもり』とは『人を愛する』ことに目覚め、『社会』に旅立っていくことだと思う。最近は引きこもりをする人も、脱引きこもりの人も臆病になってきた気がする。本当の意味で、人を愛することも、孤独を愛することも少なくなってきたからではないか?
テレビの発達は、人間から『孤独』というものを奪ったのではないかと思ってきた。同時にそれは人間からコミュニケーションというものを奪った。しかし、まだそれはあさはかであった。携帯電話の普及、いやインターネットの普及こそ、人間から孤独や愛というものを奪っていくのではないかと思う。退屈することにだけは臆病になった。
人間から退屈と孤独を取ったら何が残るのだろう。24時間『吉本』のような騒々しい人柄しか思いつかない。しかも、それはまだ過渡期であって科学の発達は際限がない。今では聴きたいと思う人の声はすぐにも聞ける。行きたいと思うところの映像はすぐに見られる。それどころか、行きたいと思ったら世界の果てのどこへでも行くことができるのだ。どこかの大都市に憧れているだけなんていうのは古いのかもしれない。憧れや渇望を失ったとき、人類の歴史は進歩をやめてしまうのではないか?
ああ、それにしても上海に行きたい。上海は近くて遠い。
2006.02.02.