NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第163回 「父の日」

By , 2006年6月17日 10:20 AM

6月の第3日曜日は「父の日」。世間でもよく言われることだが、良く知られている「母の日」に比べてこちらはあまり人気がない。我が家でも昔から「母の日」には3人の娘から妻にプレゼントが渡されていたが、「父の日」には数年前までは≪音沙汰≫がなかった。
我が家には3人の娘がいる。長女と次女は30歳を過ぎていて、もうおばさんの部類だ。 三女は27歳、結婚して市内に居を構えている。次女は夫の赴任先である千葉県に住んでいるが、初めての出産の為に、今≪里帰り≫していてただ今≪入院中≫だ。数日前、長女を無事出産した。

さて、初めて≪おじいちゃん≫になった私は昨年≪脳梗塞≫を患い、左半身が不自由なため車椅子生活で何かといたわられている。現在はNPO法人の理事をしており、自分の職務以外はおとなしくしているが、数年前までは大阪で株式会社の社長をしており、それなりの≪仕事人間≫であった。

今から考えてみれば大した仕事ではなかったかもしれないが、当時は私にしか出来ない仕事として仕事に入れ込んでいた。子どもが出来た頃は若かったし、仕事暦もそれほどなかったことから私事にのめりこんだが、次第に仕事に傾注し、やがて仕事漬けになった。早朝から深夜まで働き、通勤時間が惜しかった。会社に泊まりこんで仕事をしたかったほどだ。

そんな父親だったから子どものことは妻に任せっぱなしだった。子どもを愛していないというつもりはなかった。仕事に一生懸命になることが家族を愛することにつながる、そんな理屈であった。  引きこもり相談を始めて、そんな父親があまりにも多いのに気が付いた。95パーセント以上はそんな父親だった。これだけ多いと単なる偶然と言うより、むしろそんな父親だから子どもが引きこもりになったのではないかと疑いたくなる。

けれども、我が家の三人娘は引きこもりもせず、不良化もせずに育ってくれた。わが妻の功績だと感謝している。  父親である私の方は仕事にかまけ、仕事にかこつけた酒の上での深夜帰宅もたびたびだった。子どもに関心がなかったわけではない。語りかける言葉がなかった。たまの休日などに、子どもに親愛の情を示そうとするとたわいない冗談を言うしかなかった。いわゆる親父ギャグである。娘盛りの子ども達にうけるはずがない。

会社生活中心の父親と妻や子ども達では、使用する言語が違う。(2001年7月直言曲言『家族言葉と会社言葉』)父親が普段会社生活で使用する会社ことばと子ども達が家庭で使う家族ことば、同じ日本語であっても、敬語の使い方や語尾が全く違う。家族ことばと会社ことばが違うだけでなく、地域社会のことばも違う。丁寧さ、ぞんざいさ、堅苦しさが違う。だからうちとけて話しているようでも、父親の話はどこか堅苦しい。ニュース番組などで、北朝鮮の放送局員が話しているのを見たことがあるだろう。大変堅苦しくて公式的である印象を受ける。同じ朝鮮語でも韓国のバラエティ番組などで聞く朝鮮語とは違う言語のようだ。語調や態度の問題もあるだろう。朝鮮語が分からなくてもその程度の違いは分かるだろう。日本でも民間放送のワイドショウのホストの語り口とNHKニュースのアナウンサーとでは相当ちがうはずである。父親が威厳を保とうとすれば、益々ことばは堅苦しさを感じさせるものになる。

厳密な区分を言うわけではないが、地域社会で使用される言語と言うのも違う。私などは『職場生活』が主で、家庭や地域では『異邦人』のようなものだから、偶に休日に近所の人と顔を合わそうものなら、話しかけることばにも困ってしまう。ビジネス上でのお付き合いのように『初対面』のような挨拶をするのはおかしいし、かといって友達のようになれなれしい挨拶でもおかしい。黙っていると『無愛想』な人間と思われてしまう。出来るだけ近所の人に顔を合わさないで置こうと思えば、引きこもりか昼夜逆転のようになってしまう。

子ども達にも愛想の良い『多弁』なお父さんを演じるのは難しい。しかし、どこかで『親愛の情』を抱いているのだと言うことは伝えなければならない。私がとった方法は3人の娘に手紙を書くと言う方法だ。しばしばではない。15歳と18歳、20歳の誕生日にワープロで書いたやや長文の手紙を届けることにしたのだ。三人娘にそれぞれ手紙を書いたのだが、それぞれの誕生日に欠かさず書いたわけではない。何しろ、娘の誕生日さえ忘れてしまいがちなお父さんだったのである。  それでも、この手紙作戦は功を奏したようである。母の日にはプレゼントを欠かさなかった娘達は、バレンタインでーには父親にもチョコレートをくれるようになった。娘達がボーイフレンドたちにチョコレートを贈る習慣を身につけた頃だったから、父親にもついでに義理チョコをプレゼントしただけのことであったかもしれない。

前にも書いたことがあるかもしれないが、我が家には『25才定年制』と言うのがあって「満25才に達すると結婚していても、いなくても家を出て自立しなくてはならない」と言う憲法がある。これが我が家を引きこもりとは無縁な家庭にしてくれた。制定者は我が妻である。この憲法のおかげか、5年ほど前から『父の日』に決まってプレゼントをもらえるようになった。昨年までは、毎年ネクタイをもらった。三人娘が小遣いを出し合って買ってくれるのだが、高価なのには恐縮している。私などバーゲンセールで打っているような1本500円程度のもので十分に満足しているのに、娘達の買うものと言ったら美麗な箱に入り、リボンをかけた高級品である。

『脳梗塞』で半身不随になってしまった私は、ネクタイを締めるようなこともなくなった。今年は何かネクタイ以外のものをもらえるかとひそかに期待している。いずれ、バレンタインデーに父の日、それに敬老の日もプレゼントがもらえるようになるかもしれない。バレンタインデーの方はもう卒業かもしれない。そうだ、よい作戦がある。孫を手なずけてチョコレートをもらうようにすればまだ当分は大丈夫だ。  今年の6月18日(日)は私の父親の33回忌に当たる命日である。あっという間に、父から娘、孫へと4代に渡る時間が過ぎていった。そういえば父の日に何かを上げた記憶などない。

2006.06.17.

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