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直言曲言 第155回 「CM天気図」

By , 2006年3月14日 1:22 PM

朝日新聞に「CM天気図」という有名なコラムがある。こちらはテレビコマーシャルを取り上げて、その表現方法の「時代性」について鋭い批評を加える絶妙コラムである。CM というのは、限られた時間(秒数)の中で、的確な表現を行なわなければならない。それだけに、大変なお金や時間、それにアイディアを凝らして制作する「力作」ぞろいである。

それを批評するのであるから、あだやおろそか、良い加減な批評で通用するわけが無い。幸い、コラムの執筆者は著名なクリエーターであり、業界でも一目置かれる人であり、しかもテレビコマーシャルの綿密な観察者であるから、見当違いの批評などされるわけも無い。 私もテレビコマーシャルの観察者だが、表現技術に論評を加えるなどという専門的なことなど出来るわけが無い。

ただ、漫然とテレビを見ていて、番組の間などにコマーシャルが挿入されたりするとトイレットに行く好機とばかりに立ち上がるわけであるから、最も平均的な視聴者であり、おそらくはそんな平均的視聴者を対象にコマーシャルも制作されているだろうから、私などもそれについて論評する権利はあるのだろう。 私が見ているのは、表現技術などという高尚なものではなく、ただ単にコマーシャルの表現対象、つまりは何の宣伝をやっているのか、つまりは広告主に関心を持っているだけである。

単なるスポンサー名であるが、これがなかなかに興味深い。CMスポンサーの変遷を見ていれば、世相の変化がわかる。私は専門家では無いのでCMは漠然と見ている。ストップウォッチ片手にメモを取りながら見ているわけではない。従って、○○年頃はどんな業種のどんな商品が何パーセントとか綿密なデータがあるわけではない。ただ最近なんとなく○○のコマーシャルが目立つなあ、という程度である。

CMといえば商業放送の特徴だが、商業放送といえば「民間放送」。昭和35年日本の「高度経済成長」が始まったのは民間放送の揺籃期。以来。日本の民間放送は経済発展とともに続いた。当時は大量生産・大量消費の時代。たくさん生産すれば、するだけ売れた。たくさん生産し、CM で宣伝するのが大量販売のコツ。おのずとCMは大衆消費財が中心。出始めの頃のインスタントラーメンや石鹸、キャンデーやクラッカーのCM などが懐かしい。

元々CMとはマスコミ(大量伝達)を利用するのだから大衆消費財が中心。複数ある商品の中から、知名度上げてその商品を選択させるのか、新商品など今まで無かった商品を購入させるのかどちらかである。しかし、CMにも流行があり、世相や経済を反映する。不景気になれば、その時代にマッチした商品のCMが増え、景気がよくなるとそれなりに景気の良いCMが増える。そこのところがウォッチングをしていると面白い点だ。

ひところ、テレビショッピングが流行し始めた頃、アメリカのテレビのテレビショッピングのCMを研究したことがあるが、その頃ちょうどアメリカは不況の真っ最中。集めたCM は不況対応の商品ばかりでこの商品を使うと電気代がどれだけ節約できるとか「節約目的」の商品CMばかりであった 。 そもそも、不況になれば企業収益が落ちる。 広告宣伝費も減らさざるを得なくなる。CM広告の出稿量も減ってくる。スポット広告や番組提供などのスポンサー料も下がるが、ある程度以下になるとCMが減って民間放送自体が成立しなくなる。

そんな時に登場するのは「公共公告機構」という 代物である。 「献血をしよう」とか「アフリカの飢餓救済」とかのアレである。 「献血」 や「飢餓救済」を馬鹿にしようとは思わないが、物売りの宣伝をしていたのに、急にボランティア的な呼びかけがなされると、却って白ける。さすがにゴールデンタイムにはあまり見かけないが、深夜テレビでは頻発していることがある。これも不況のときによく見かける広告である。 逆に好況になると、CM量が増えてくるとともに、ぜいたく品や高価な品物のCMが増えてくる。不動産やお墓のCMなど不要不急の商品CM(そうでもないか)などが増える。

バブル期などには、高級乗用車や宝石などのCMも目立った。このようにCMで目立つ商品ジャンルに注目しているだけでも、世相や景気変動が見えてくるから面白い。 バブル崩壊以降は、長期の不況で最近は深刻なデフレ(デフレーション)だという。金融を緩和しても、物が売れないという。CM の世界はどうなるのだろう?とひそかに心配していたが、杞憂だったようだ。登場したのは「ピアノ売って頂戴」とか「中古車買取」のCM。物が売れなければ、その手があったか?と感心した。

最近で、目立つのは損害保険や入院給付金つきの生命保険のコマーシャル。「○○の保証がついて、保険金は1日わずか○○円」というアレだ。保険商品が流行るとは、どういう世相なのだろうと思えば、保険料を1日単位で換算しただけの話。私がサラリーマンをしていた頃も、保険屋さんは活躍していた。その頃は、毎月支払う生命保険料が数万円。ずいぶん高いなあ、と思っていたのだが、1日100円程度でも月に数千円程度、しかも死亡保証金は100万円程度だから実質は昔と変わりが無いか、むしろ値上がりしているくらいだ。 現代版の「朝三暮四」というところだろう。

もうひとつ最近気になるのが消費者金融、サラ金のコマーシャル。以前「サラ金地獄」などのことばが流行った頃はテレビはおろか新聞広告も禁止されていた。 (スポーツ新聞は例外のようだった)出資法上限金利が下げられ、大手銀行からサラ金への融資や銀行そのものの系列消費者金融も出てくるなどサラ金も「市民権」を得たようで、むしろ不況下ではサラ金CMこそテレビ業界の救世主のようである。

サラ金CMで多いのは大手各社とも「ご利用は計画的に」というやつ。もちろん、無計画に借りまくる人が現れては、またぞろ借りすぎで「個人破産」してしまう人が増えるので「一種」の警告であろうと思われる。「警告」するくらいなら、CMなどやめて利用者を減らしてくれた方がよさそうなものではないかと思う。 もう少し変な気分にさせられるサラ金CMもある。「忘れないで、あなたよりも大切なものは無い。」歌いやすそうなメロディに乗せて耳障りの良い歌詞が流れてくる。

続いて「忘れないで、お金よりも大切なものがある。」普通なら「なかなか良いことを言うなぁ」と感心するところだが、相手が「サラ金」CMでは、「お前らには、言われたくない」 と怒鳴り返したくなるのである。 「お金中心」の価値観を 植えつけてきたのは「どなた様でしたっけ? 」と聞き返したくなるのである。「お金よりも大切なものがある。」というのなら、死に物狂いで「返済」に駆けずり回らなくても良いというのであろうか?

白々しいことこの上ない。 テレビコマーシャルとは、聞いているとこのように心にも無いことを平気でほざいているのだ。これでは毎日漠然と見聞きしているだけで「不感症」になってしまうのも止むを得ない。「案外」「あなたよりも大切なものは無い。」なんてセリフにころりと騙されてしまうような「拝金主義者」も出てきてしまうのだろう。

2006.03.14.

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