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直言曲言 第154回 「食物連鎖」

By , 2006年3月5日 1:20 PM

「ブラック・バス」とか「ブルー・ギル」という淡水魚をご存知だろう。琵琶湖などの湖沼に棲む外来魚で、鮎やフナ、もろこなどの在来魚激減の原因になっているという。『外来魚』なのになぜ日本の湖沼にいるかというと、「ブラック・バス」や「ブルー・ギル」を対象にした「スポーツフィッシング」を日本に流行させる為に、釣具店の店主などが夜陰にまぎれて日本中の湖沼に放流したというのだ。

真偽の程は定かではないのだが、あっという間に日本中の有名湖沼に広がったのだからさもありなんという話である。「ブラック・バス」や「ブルー・ギル」は繁殖力が強く、フナなどを凌駕し、あっという間に琵琶湖全体に広まってしまったらしい。おそらく何万年も、ひょっとすると数億年もかかって安定した琵琶湖の生態系が、数年か十数年の外来魚放流によって塗り替えられてしまったというのだ。

小さな池や湖なら、人間界に影響も無いだろうが琵琶湖ほどの湖だと淡水魚を獲って生計を立てている漁師も多数いる。フナ鮨(ふなずし)やもろこの甘露煮などという名産品もあり、品薄になったり、高騰したりする。影響も無視できない。「スポーツフィッシング」というのは、釣り上げた魚を食べずに放してしまう(リリースする)ので、釣っても釣っても資源はへらないことなる。これはこれで動物界に対するフェアプレー精神の表れだろう。

自治体や環境当局は放流やリリースを禁止しようとして何とか外来魚を減らそうとするのだが、「スポーツフィッシング」の愛好団体は、愛好団体で頑固にその流儀を曲げようとしない。 地球上には食物連鎖というものが存在する。地中には微生物というものが無数に存在し、植物はそれを栄養として摂取しながら成長する。動物にもプランクトン等の微小生物から、小魚や昆虫などの小さな生物も存在する。

それらをより大きな生物が捕食する。草食動物は植物を食べるし、狐やいたちなどは、鶏などの家畜や小動物を取って食う。草原に生きるシマウマなどはライオンに食われる。象の死体などははげたかに食われてしまう。巨大な鯨なども、人間に食われてしまう。地球上の小さくて、弱い生物はこうして、より強い生き物の餌となって、より大きな生命体の命を支える。動植物の間の捕食順位を食物連鎖といい、さしずめ、人間は食物連鎖の頂点に立つ生き物のようである。

人食い虎とか、サメとかいうものも聞いたことはあるが、さすがに人間を常食し、種を保存している生物というのは聞いたことが無い。 沖縄には猛毒のハブという蛇がいる。沖縄に行ったことのある人は、知っているだろうが、ハブとマングースの戦いというものがある。マングースというのは「じやこうねこ科」の小動物で、見かけは愛らしいのだが獰猛で、ハブなどの天敵らしい。そのハブとマングースを戦わせる一種の見世物だが、実はハブとマングースの戦いはマングースの常勝であるらしい。

ハブというのは猛毒で知られているし、内地の蛇に比べて大型だ。見世物の見物客である観光客は皆、マングースがハブにやられないことを願って、手に汗を握っている。元々は、ハブが猛毒で住民や観光客の安全を脅かすというので、その駆除のためにジャワ島から導入されたそうだが、弱そうに見えるマングースが強すぎて、ハブが激減したり、マングースが繁殖しすぎて、沖縄固有の野生動物までがマングースにやられて絶滅したりしている。

一日に数回行われるハブとマングースの戦いの見せ物において、毎回ハブが殺されてしまうとなると、今度は見世物用にハブを捕獲してこなくてはならない。ハブは、地元住民の生命をも脅かす生物として、駆除が奨励されていて、一匹数千円で保険所などが引き取っていたそうだから、足りないからと言って現金で仕入れるとなると大変である。

スポーツフィツシングの例にしても沖縄のマングースの例にしても、天敵や食物連鎖など自然の生態系の摂理に属することを、人間社会の利益に役立てようとして勝手に改変しようとするのは大変だ。生態系を飛び越して、特定の種を人間の欲望のために優遇しようとするのだが、人間の予測を超えた自然の変化をもたらせはしないだろうか?

自然界を見てみれば、ある一定の地域に必要以上に同一種がはびこりすぎればある種の「淘汰」機能が始まるという。地球上の人間は65億を超え、将来100億人人に達することも予測されるという。一部の川べりや湖水のほとりに住んでいた人間が、山野を開発しその生息地域を広げてきた。密林や砂漠などは人類にとっては未開発区域で、そこには予測不能な猛獣や蛇蝎の類、天敵もいたことだろう。

しかし、今や人間はそれらの地域も克服し、地球上を我が物顔に跋扈している。もはや人類を滅ぼす天敵はいず、人類が滅びるとすれば内部的な争いによる自滅しかないとかんがえられる。 食物連鎖の頂点にはどうやら人間がいるらしいが、人間社会の内部にも弱肉強食の論理は罷り通っている。

例えていうなら、強い人間は弱い人間を食い物にして生きているということだろう。差し詰め、引きこもりの人は弱い人間の代表格のように、強い人間に顔を合わさないように自宅に引きこもっている。引きこもりの親は、何とかわが子にもっとたくましい人間として生きて欲しいと願っており、親の力(財政力)を振り絞って優遇しようとしている。

そのこと自体は、ニュースタート事務局関西など引きこもり支援団体の目標と合致しているのだが弱肉強食の自然の摂理に組せず、いわば弱い人間に生き延びる道を発見しようとしていることは正しいことなのだろうか?  私が見てきた限り、引きこもりの多くは病人でも障害者のような「弱者」でもない。むしろ競争社会において勝ち抜こうとしたが、途中で脱落し競争を放棄し、引きこもってしまったに過ぎない。

友達を発見し人間不信を克服し、親から離れて自立の道を探すことは正しいが、引きこもりから立ち直り、元の社会に戻る人の大半は、尚私欲を捨てていない。残念ながら、むしろエゴイズムの塊のように、エゴイズムに開き直っている人が多いのではないか?

そんな人々を支持し、そんな人々に生き延びる勇気を与え、そんな人々に生きる手段を見つけることをお手伝いすることが正しいのだろうか?ひょっとすると、我々は自然界の摂理に反し、奇形の人間を生み出そうとしているのではないか。増えすぎる人間の、自己淘汰の働きに抗おうとしているむなしい試みに過ぎないのではないか?そんな馬鹿な考え方にとらわれない為にも、健全でたくましい若者たちの支援に力を尽くし続けていきたいと思う。

2006.03.05.

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