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直言曲言 第96回 「小売業の勧め?」

By , 2004年5月6日 4:34 PM

突然,摩訶不思議なことを言うようだが,子どもを引きこもりにさせたくないお父さんは,脱サラして小売業を始めればよいかも知れない.最近気づいたのだが,引きこもりの子の親の職業で『小売業』というのはほとんどない.いや,私が面談した親や,ニュースタート事務局に出入りする若者の親には『小売業』というのは皆無である.すべての若者から聞き取り調査をしている訳ではなく,100万人と言われる引きこもりの数に比べて,私が知っている引きこもりは,せいぜい数百例であるから,断定的なことはいえない.もちろん例外もあるだろう.
引きこもりの若者の親は大半がサラリーマンである.もちろん大学の先生,小・中・高校の先生もざらにいる.自営業でも医者や何かの製造業,修理業の方などもいる.不思議なことにパン屋さん,うどん屋さん,八百屋さん,衣料品店,その他さまざまな小売業があるはずだが,そういった小売業を営まれている方にお会いしたことがない.もちろん自営の小売業は衰退気味で,スーパーやコンビニなどの流通業大手に席捲〔せっけん〕されつつある.有名スーパーマーケットなど大手企業に勤めているサラリーマンは例外である.いわゆる自営の小売業の方はいらっしゃらない.
その理由をつらつら考えてみる.小売業は接客業でもある.親が小売業を営んでいるということは,親の接客コミュニケーションをいつも身近に見ているわけで,それでコミュニケーション不全とも言うべき引きこもりにならないのか?それも一理ありそう.
引きこもりの多くは,思春期の頃,将来の自分の職業イメージを描くのに失敗し,つまり人生デザインに失敗して引きこもる.親が小売業なら,跡を継ぐことを含めて,自立自営することを含めて,職業イメージを容易に描くことが出来る.これも一理ありそう.
私が思い当たる理由にはもうひとつある.都市化,近代化された核家族は,鉄とコンクリートで出来た家に,頑丈な扉と錠前を施した『城壁家族』である.家族相互の幸福を願うという意味では,家族仲はよく,幸福を守るために収入を増やし,貯蓄に励む勤勉な家族である.だが,隣近所との交流もなく,<外敵>の侵入を恐れる『自閉家族』でもある.子どもたちは,親と学校の先生(それにあるいは塾の先生も)以外の大人を知らずに育った純粋培養のような若者が引きこもる.私たちは『家族を開く』ということを提唱している.
小売業というのは,少なくとも営業中の店主や従業者は町に開かれた空間としての店舗で働き,隣近所の人や通行人が自由に店舗を訪れ,さまざまなコミュニケーションをしている.子がそうしたコミュニケーションに参加しているかどうかは別として,開かれたコミュニケーション空間で働く親たちの感化を受け,そうした環境になじんでいる.商っているのがうどん屋なら,うどんの味に満足して感謝する客もあれば,味にけちをつけて喧嘩を売るような客もある.八百屋さんなら,大根一本でも値切って買おうとする客もある.たくましい言葉の応酬もコミュニケーションである.『自閉』していては商売など出来ないのは自明の理である.それに来店客に,いちいち敵意を持っていては,商売は出来ない.訪れる客に自然に好意持ち,人間に好意を持つ習性が養われる.小売業は『開かれた家族』のひとつの典型でもある.少なくとも自然に人間関係は開かれていく.
今や世の中,サラリーマンが圧倒的に多いのだから,サラリーマン生活の非人間性をことあげしても始まらない.決まった給料をもらい,決まった税金や社会保険を天引きされるのだから,計画的に支出をコントロールしなければならない.商売人のように,自分の才覚で,繁盛したら散財をしたり,贅沢をしたりすることは出来ない.その代わり,会社の業績(売り上げ)が低いからといって,すぐに生活に響くこともない.基本的には喜怒哀楽の少ない生活である.定年後のために貯蓄に励んだり,投資のような気持ちで子どもの教育にお金を掛ける.そのことは当然子どもたちには,目に見えないプレッシャーが掛かる.商売人だって子どもの教育にお金を掛けるが,決められた給料ではなく,商売の利潤からつぎ込んでいるために,どうせ『儲けたお金』という割りきりがある.サラリーマンの『給料』と商売人の『儲け』では同じお金でも考え方に差がある.
サラリーマンから見れば『商売人は金に汚い』という先入観を持っている人が多いが,実態は案外逆で,少なくとも商売人は稼ぐときには『がめつく稼ぐ』かもしれないが,使うときにはきれいに使うものである.
引きこもりの若者に特徴的な『金銭観』も,サラリーマン的な金銭観に根ざしているかもしれない.もっとも,最近の若者はフリーターなどで比較的自由にお金を手に入れる.安定しているとは言えない収入源であるから,貯蓄などしても仕方がない.案外,お金をきれいに使ってしまう.使ってなくなり,必要になればまたフリーターをすればよい.サラリーマンの親より,商売人に近い金銭観の持ち主も増えている.もちろん,衣食住などの基本的な生活はサラリーマンの親に依存しているのだから,気の毒なのは親かも知れない.
引きこもりの若者は,フリーターのように割り切った金銭観を持てない.自由になるお金は親からもらったお金か,限りのある貯蓄だけである.この先,いつになれば引きこもりから脱出できるのかのも見えていない訳だから,贅沢をするわけにはいかない.孤独なお年寄りが,いつまで長生きしなければいけないのか見えていないので,貯蓄にしがみついて細々と生きていく心境に似ている.外出も出来るだけ控えて倹〔つま〕しい生活をしながら,やがてお金を残したまま孤独死をしてしまうケースもある.今の社会では残念ながら,交際費や交通費まで惜しんで,人との交流を避けていれば,引きこもりにならざるを得ないのは必定である.
『金が仇の世の中』とはよく言われる言葉だが,本当は『お金』そのものが敵なのではなく,自分の金銭欲(金銭観)が自分を滅ぼしてしまう『仇のような』存在であることの別表現でもある.資本主義の社会であるからには,お金と無縁の生活は出来ない.お金を稼ぐことを蔑視することも出来ない.ただお金の奴隷になることは,拝金主義であり,健全な社会生活者とは言えない.サラリーマンがいけないというのではないが,拝金主義に陥りやすい立場であることは,自覚しておく必要がありそうだ.
人に奉仕して賃金を頂く.あるいは人に喜んでいただける物をつくり,それを売る.適切な利益を頂くことを卑下してはいけない.ただし,買っていただくためには,おおらかなコミュニケーションが必要である.
私は農業をやれ,小売業をやれ,それを一生の仕事としてやり通せといっているのではない.働いて,お金を稼ぎ,それを見事に使い切ってしまう体験が必要だ.貯金をするなど愚の骨頂である.そうすれば,また働く意欲が涌いてくる.
引きこもりからの脱出と,そのために必要なコミュニケーション修行の一環だと思って働くことは決して回り道にはならないと思っている.

(5月6日)

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