直言曲言 第52回 「儲〔もう〕け仕事とミッション」
ニュースタート事務局関西のホームページの掲示板に『HP管理者より』という欄があり,管理者のS.O.さんがこんな書きこみをしている.
『最近2件,儲け話の紹介書き込みがありました.管理人の「寛容」さ故,暫く警告期間を置いた後に削除しましたが,今後は,発見次第,削除します.』
実際その後もこの種の書きこみが続いてるらしく,その他いろいろといかがわしい書きこみがなされる.しかも,ニュースタート事務局が『社会的引きこもり』を扱っている団体と知っての書き込みであり,こうした引きこもりの方の関心を引くような内容であるので,悪質である.
『引きこもりを治してあげます』の類〔たぐい〕はホームページの読者ならむざむざと引っかかる人はいないと思うが,儲け仕事の勧誘は心もとない.元々引きこもりは上昇志向を持っていて,しかも,学校に通ったり,就職したりできない状態の人である.お金を稼がないで,親に負担をかけている人が多いので『楽をしてお金が稼げる』と言うような話には引っかかりやすい.
一番危なくて,しかも引きこもりの人が引っかかった実例が多いのは,いわゆる『マルチ商法』である.『友達づくりをしながらお金が稼げる』と誘ってくる.もっとも,訳の分からない新興宗教も,出会い系の交際団体も同じような誘い方をしてくるので,この手の誘いには乗らないことである.
引きこもりの人は,むしろ他人の言葉には猜疑心が強く,判断力もあるのでこの手の誘いには乗らないと思われるが,ついつい魔が差すというか,心の隙に乗じられてしまうようである.
親からの相談もある.閉じこもりがちであったわが子に最近頻繁〔ひんぱん〕に電話が掛かるようになり,外出も増えた.喜んでいたのだが,理由も言わずに大金を要求するようになった.何かを仕入れて『代理店』の資格を取るというのだ.
マルチ商法というのはたいてい定価の20%程度の原価の商材(宝石とか下着とか健康食品など)を扱い,販売者には最大 50~60%の販売マージンが与えられる.商材自体の価値は低いが,自分の下に子や孫の販売者を作れば,その人たちの売上分についても親〈代理店〉に販売手数料が入る仕組みである.
自分が5人の人に商品を売り,その人がさらに5人ずつに売り,そのまた孫がというように代を重ねて行けば,あっという間に天文学的な数字になる.この皮算用〔かわざんよう〕で儲けようと代理店の資格を目指そうとする.とりあえずは,自分が商品を買い,5人の相手に売るための商品を仕入れる.そのための大金を親に出させようとするのである.
私は『社会的引きこもり』の理解者であるつもりだし,引きこもることを一概〔いちがい〕に『悪いこと』として非難はしない.しかし,引きこもりの人の多くに共通する『金銭観』や『仕事観』を容認できない.引きこもりは,今の社会に自分たちの≪ 役割≫や≪出番≫がないと感じて,社会参加を拒否している.そのこと自体は,私は彼らの責任ではなく,今の社会の責任だと考えている.しかし,社会参加を拒否しながら,彼らはそのことを『社会システム自体の制度疲労のせいだ』と主張する論理を持ち合わせていない.ある種の≪直観≫で拒否しているだけである.
個人的には,社会参加しない=働いていないのだから,経済的には親の負担に依存している.つまり働くことや,お金を稼ぐことに劣等感を持っている.つまり,働くこと=仕事と金儲けとが一体化し,短絡している. 別に,お金儲けのために働いてはいけないと言っているのではないが,働くことの意味を考えるゆとりがなく,仕事=金とストレートに結び付けてしまいがちなのである.
『金がすべて』のような風潮の今の社会でお金を稼ぐこと=働くこと=社会参加を拒んでいるのだから,引きこもりの人はさぞかし崇高な職業観を持っているのだろう,と考えるのは美しい誤解である.実際には稼げるのならどんな仕事でも良いというのが彼らの多数の本音であり,親もまたわが子の将来が心配というが,将来の『経済問題』が心配の中心問題であるが故に,彼らの生き甲斐とか働き甲斐は棚に上げて,とりあえずアルバイトでも何でもよいから稼げるようになってほしいと願っている.
生活手段としてお金を稼ぐことは必要である.たいていの人はここで頷〔うなづ〕くだろうが,私は敢〔あ〕えてこれに疑問を呈〔てい〕する.
いま,引きこもっている人のほとんどは実は,働かなくても生活が出来ている人である.たいていは親が健在で,親に食わせてもらっている.それならそれで良いではないか?引きこもりからの真の脱出を図ろうとするなら,とりあえず金をかせぐことなど優先させず,生き甲斐,働き甲斐の発見に努めてほしいと思う.つまり,『儲け仕事』を見つけるのに躍起になるのではなく,Missionを発見してほしい.Missionには宗教的伝導や使節などの意味があるが,ここでは使命,任務,天職などの意味で用いたい.
ミッションというのは簡単に発見できるものではない.生涯働きつづけても,天職と思えるような仕事に出会えない人もいるだろう.まして,お金を稼ぐためについた仕事を天職と意識できることなど稀〔まれ〕だろう.
ただ,仕事を探す動機はお金儲けであろうと,真剣に誠実に取り組んでいれば,その仕事に対する自分の適性を発見できるかも知れない.ミッションとしての自覚は高額の報酬を受け取れるからとか,難しい資格が必要な仕事であるからということは関係ない.
確かに,今の社会は,やりがいのある仕事を見つけるのが困難で,そのやりがいを報酬の高さや社会的評価に求める人が多い.そのために職業資格を取得することを目指す若者も多い.しかし,資格によって使命感や満足感が得られるのではない.天職には資格など必要がない.必要なのはひたすらな研鑚〔けんさん〕と使命感である.
NPOの周辺では,仕事をするとき,このようなミッションともうひとつはボランティアという形がある.ボランティアには有償と無償の活動があるが,どちらにしても自発的な意思に基づく活動であり,本人の使命感が活動の原動力である.ボランティア抜きでNPO活動を維持することはほとんど困難であり,ニュースタート事務局関西の活動も多くのボランティアに支えられている.ところが,ボランティアは自発的意思に基づく活動であるから,ある種の継続性や義務性,規定性のある業務には向いていない場合がある.
私は若者に事務局の業務を依頼するとき,『この活動はボランティアとしてではなく,仕事〈ミッション〉として取り組んでほしい』ということがある.すると彼らは割り切ったように仕事をするのだが,彼らにはミッションという概念はないらしく,いきなり『お金稼ぎ』のための仕事と割りきってしまうらしい.
最近彼らの中の一人(女性)が仕事の中で素晴らしい≪成果≫を獲得した.おそらく仕事の意味を今まで以上に深く理解したであろうし,やりがいも発見したであろう.彼女はきっとミッションに出会えたと思う.
(6月29日)