NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第38回 「つぼみふくらむ」

By , 2002年2月22日 5:08 PM

 <つぼみ>を漢字で書くと蕾または莟である.なんとなく花のつぼみについて書きたくなって,Wordにひらがなで打ちこんで漢字変換で押すと,<蕾>.
  意外にごつごつとした感じの文字であって,可憐〔かれん〕で可愛いイメージの文字を漠然〔ばくぜん〕と考えていた私は少し戸惑う.つまり思っていた以上に<固い>のである.確かに,これ以外につぼみという漢字があるわけではなく,これで良いのだが,なんとなく裏切られたような気分になる.
  考えて見れば,花の咲く前段階としてのつぼみというものは固く,蝶が舞い飛ぶ前段階の青虫や蛹(さなぎ)と同じようなものであり,ただ美しいというだけでは,この時期を過ごせない.蕾や莟にはそれなりの事情があるのだろう.

 一月の花といえば福寿草〔ふくじゅそう〕.たしか一昨年あたりの暮れ,女房殿がおせち料理の準備に忙しくしている頃にぶらりと園芸店に出かけ,芽吹きかけている福寿草の小さな一鉢を買ってきた.あれ,福寿草の蕾のことを書こうとしたのだが,つい<芽吹きかけて>と書いてしまった.
  <芽>と<つぼみ>とは同じなのかな?いや,芽には,葉になる芽や枝になる芽もあるから厳密に言うと違うはずだ.でも花になる芽もあるのだから,同じようなものだということにしておこう.

 お正月に間に合わせるように,温室で育てられたであろう福寿草の芽の膨〔ふく〕らみかけたのを買ってきて,浅い平鉢に移し植え,白砂を掛けて室内の窓際などにおいておく.元日か2日あたりにふと目をやると,浅黄色の蕾だったのが濃い黄色の花をつけている.クリスマスといえばシクラメン,お正月といえば福寿草.そんな気分で花を愛でいるのだから,こちらも良い加減なものである.花の季節が終わると花壇の片隅に地植えして,来年を期するのだが翌年に咲いているのを見たことがない.考えてみれば春・夏・秋と福寿草の存在さえ忘れて,放ったらかしにしているのだから,そう都合よく花の季節にだけ愛〔め〕でようという人の思う通りにはならないらしい.

 花といえば春,とりわけ、寒い季節を耐え忍んで春に蕾を膨らませる春の花は可憐で美しい.
  人間の側でも春を待つ気持ちが強いので,春の花は蕾の頃から心待ちに待たれる.その点,夏や秋に咲く花は損なめぐり合わせである.秋の彼岸〔ひがん〕頃に決まっていっせいに咲き出す彼岸花(別名:曼珠沙華〔まんじゅしゃげ〕)などは,蕾の時期に目にしたことすらない.というよりも,花が咲いて初めてそこに彼岸花の存在に気付くような次第である.あの打ち上げ花火が開いたような花姿は,咲くときにも,花火のようにしゅるしゅると茎が伸びて行ってぱっと咲くのではなかろうかと思えるのである.

 二月といえば暦〔こよみ〕の上では節分,立春を迎えるがまだまだ厳しい寒さが残っている.しかし,樹々の枝を見て回ると,春の花が蕾をつけてふくらみを見せ始めている.春を心待ちにする気持ちも膨らんでくる.冬空に聳〔そび〕える木蓮〔もくれん〕の花の蕾は大きくて,綿毛に被〔おおわ〕われている.おそらく雨露が凍結して蕾の細胞を破壊してしまわないように,綿毛が中の花芽を守っているのだろうか.
  椿の蕾も大きくふくらんでくるが,こちらは花が開いたときの艶やかさに比べれば,ずいぶんとくすんだ色をしている.花が開くと,虫や鳥を誘い寄せる甘い蜜を貯えているが,蕾のうちに鳥などに食べられてしまっては元も子もないので,あんなにくすんだ色をして世をはばかっているのだろうか.

 大阪などでは四月の上旬に開花して,ぱっと散る染井吉野〔そめいよしの〕に比べて,梅の開花期は長い.早いのでは二月の上旬から咲き始める.たいていは白梅が早く,紅梅が遅いようだが,専門家でもないのであまり良く知らない.紅梅の方は三月下旬に咲くのもあるが,二月中旬には既に散っているのもあり,種類によって咲く時期も散る時期もさまざまなようだ.桜は花の姿を称〔たた〕えるが,梅は香りである.馥郁〔ふくいく〕たると喩えられる,梅の香がまた春の訪れを知らせてくれる.

 桜に比べれば梅は低木が多いので,蕾が目に付きやすい.オフィス街の公園などにも紅梅が植えられていて,昼休みに散歩に出たとき必ず,蕾の膨らみ加減を確かめに近づくことにしている.一本の木の中でも,散り果ててしまった花もあれば,これから花を開かせようとしている蕾もある.『胡馬〔こば〕は北風に椅〔よ〕り,越鳥〔えっちょう〕は南枝に巣くう』という.同じ一本の木でも南側の枝は日当たりも良く暖かいのであろう.蕾の育ち方も違って当然である.

 紅梅の可憐で赤い小さな蕾が膨らんでいる様は,多少不謹慎な表現かも知れないが可愛くてエロティックでさえある.いや,この幼いつぼみが示すエロスやコケットリーこそ,生命力の根源なのかも知れない.人間の成長や成熟を安易に樹々の開花にアナロジーしてはいけないかもしれないが,人も花が開いて男女が結びつき,やがて子孫を生み育てて老いて行く.花もまた蕾が成長し,花が開いて実がなる.

 青春に花ひらく樹々なら玄冬〔げんとう〕は蕾で過ごす.蕾にとっては篭〔こも〕りの冬であり,忍耐の季節である.早く花を開かせようとして,真冬に水をやり,肥料を施しても,却〔かえ〕って枯らしてしまいかねない.草花なら温室で育てるという方法もあるが,こんな花は鉢植えで飾っているうちは良いのだが,花の季節が終わって地植えに移植すると,いつのまにか消えてしまって,翌年に花が開くということはまずない.つまり本物の生命力というものを内蔵していないのではなかろうか?

 紅梅の季節が終わると,いよいよ桜の蕾が膨らみ始める.花の種類により,木により,枝により,蕾の膨らむ時節はみな異なる.いくらエロチックだからと言って,いくら花の咲くのを待ちわびると言っても,蕾を砕いて花を取り出そうなどとするべきではあるまい.
(2月22日)

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