NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第1回 「荒れた成人式について」

By , 2001年2月6日 2:19 PM

 2001年1月8日,月曜日.妙な日付だが今年はこの日,各地で成人式が行われた.夕方TVを見ていると『成人式各地で大荒れ』というようなタイトルの報道が各局で相次いだ.翌日からの各新聞も,記事やコラムで<不心得者><何たるていたらく><無作法><無軌道>など,来賓に野次を飛ばした若者たちに対する非難の言葉が乱舞していた.

  確かにTVの映像で見ると,金髪で派手な羽織の若者が,椅子に足を投げだして県知事の祝辞に野次を飛ばしている.その姿には大人達の眉をひそませるものがある.ついつい私も,『学級崩壊ならぬ成人式崩壊,若者たちの乱脈もここまで来たか!』と,新聞やTVの論調と同じような感想を持ってしまった.皆さんもそうではないですか?

 しかし待てよ.ついこの間『大学生の不登校と若者のひきこもりを考える会』の1月例会の案内状に,『今年は古い世代と新しい世代の矛盾が明らかになっていくでしょう』,などと書いたばかりである.

  21世紀は,私たち古い世代の残した重い負の遺産を背負ってスタートした.「若者たちの怒りが爆発しない方がおかしい」と考えていたのではないか.もし私が今20歳の若者だとしたら,来賓の『21世紀の未来に向けて,大人になった自覚と責任を持ち,輝かしい未来のために努力して欲しい』などという祝辞を,黙っておとなしく聞いていなければならないのだろうか?晴れ着を着た成人代表の白々しい『お礼の言葉』などを,野次も飛ばさずに,行儀よく聞いていることができるだろうか?

 会場でクラッカーを鳴らしたり,一升瓶をラッパ飲みしたりという行動が,適切かどうかは別にして,少なくとも,おとなしく携帯のiモードでメールをやり取りしたり,知事の祝辞を神妙に聞いていたような参加者よりは,野次を飛ばした若者の方に1ミリでもよけいに親近感を感じるのは,私だけなのだろうか?

  こうした成人式の若者の行動に対して,マスコミは『羽目を外した一部の若者の乱行』という捉え方しかしていない.確かに一部かも知れないが,成人式が荒れるのは今年が初めてでなく,既に数年前から『来賓の祝辞を静粛に聞かない』というような,良識派のマスコミの非難が起きていた.しかし,高知県の橋本知事に対して『お前のほうが出て行け』とやり返したり,来賓に向けてクラッカーを爆発させたりという,明確に攻撃的,反抗的な態度に出た若者がいたということは,『古い世代と新しい世代の矛盾』がはっきりと自覚されたということであろう.

 ところで,改めて問い直してみると『成人』とは何だろう.今の『成人式』は単純に満20歳になったお祝いとして,市長や議員達が来賓として祝辞を述べ,選挙権が与えられ,飲酒やタバコが解禁され,少年法が適用除外になることの自覚を求める儀式らしい.

  私たちのように『引きこもり』問題にかかわりを持っていると,満20歳になったからといってそう単純には『成人』になれず,ずるずると『思春期』を延長してしまう若者が多いことに直面しているから,<20歳,ハイ,オメデトウ>と,セレモニーに招待するわけには行かない.恐らく,若者が本当に『成人』するためには,儀式=セレモニーをする前に,いくつかの通過儀礼=イニシェイションが必要なのだろうと思う.

 私たちは引きこもりの若者のご両親に,『<自立>を言いたてるようなことは,やめていただきたい』と言っている.しかし,『成人』とはまさに人間として<自立>することに他ならない.少なくとも,学びの延長過程にある人も,既に働いている人も,自分自身の人生の設計図を<自律>的に描くべき時なのである.

  自分の現在の状態が如何に不本意であれ,それを親から受け継いだ遺伝子の所為にしたり,親の養育の仕方の責任に転嫁するのでなく,自分自身が責任を持って自分の人生を<自立>して歩み始めるのが『成人』の出発点である.たとえ20歳未満であれ,結婚して社会的に『自立』していれば,法的にも成人と認められる.逆に20歳をとっくに通りすぎていても,良い悪いを論じるのではないが,親の世話になりながら自室に引きこもっている状態なら,それは『成人』とは言えない.

 『成人』の『通過儀礼』は人それぞれである.高校の卒業式が実質的な成人の儀礼になる人もいる.人によってそれは,大学の卒業式であったり,結婚式である場合もある.親の葬式を出して『成人』を意識する人もあるだろう.いずれにしても,満20歳で一律に『成人』としての自覚を求めるというのは無理な時代のようである.

 成人式で<暴走>した若者は,『古い世代と新しい世代の矛盾』にどれだけ自覚的であったかは別にして,それぞれが自分の成人イメージを持っていてお仕着せの『成人式』に反発しようとしたのだと思う.

 この矛盾に対する大人達の反応は陳腐である.代表的なのは『成人式廃止論』である.もちろん,若者たちの意識動向にこれほど鈍感な大人達や行政が行う儀式など,止めてしまうことに,私は賛成するが,この『成人式廃止論』に真っ向から『反対』したのが<和服業界>だというから,まったく笑わせてくれる.確かに成人式というものがなくなったら,着物はおそらく最大の市場を失い,倒産業者が続出するのは明らかだ.

 ところで,2月といえば節分だが,最近では恵方を向きながら,巻寿司を無言で丸かぶりするというのが慣わしになっている.『海苔』業界だか,『寿司』業界だかが作った,バレンタインデーにチョコレートをプレゼントするというのよりも,新しい慣わしであるらしい.1月,2月,3月と何かと儀式の多い季節である.形式的な習慣よりも,儀式の意味や内実を問い直していきたい.

 成人式で<暴走>した若者たちは,後日の新聞報道によれば,市役所を訪れ市長に無作法を詫びたという.『いまどきの若者は案外素直だ』という感想もあれば,『なんだ,確信犯ではなかったのか』と,少し落胆した向きもあるようだ.
(2月6日)

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