9月例会報告
9月20日(土)7名参加(内家族の方は4名)でした。自分の父親の話。昭和22年生まれの団塊の世代。4年前に亡くなった時に火葬場で叔母さんに父親が引きこもっていた時期があったことを初めて聞いた。その世代は金のたまごと言われ、こもっていたり浪人したり何年か空白があったとしてもそんなことはそれほど問題にされず社会に入っていけた。社会の側が歓待していたのだ。この話を聞いて私が改めて感じたのは、引きこもりという言葉ができる前から引きこもったことのある人はたくさんいたのだろうが、社会の側が(まぁ若い時はそういう時期もあるわな)と優しい目で見ていたので問題にならなかったんだということ。決してある時期から引きこもりが突然現れて急増していったわけではない。引きこもり第1世代ともいわれる団塊の世代の子どもたち、今40,50の人たち、彼らが社会に出る年代の時は、仕事の量に対しての人数がただでさえもう上の世代で埋まっているのにその世代を上回る量の若者があふれている状態で、就職氷河期といわれる時代。そうなると買い手の会社側が選んでくる。社会の目が厳しくなることは簡単に想像できる。2年も3年も空白があれば、それはマイナスになるかもしれないという恐怖感を生む。少しこもっていても出ていける社会から、少しでもこもっていたら何と言われるか怖くて出られない社会になってしまった。
皆さんの話から。子が家に引きこもって5年、10年となり、その生活は心乱されることなく安定し、経済的にも先の想像がついたり、このまま続ければいいのかもしれないと思えるような状態だとしたら、本人の心の中には親と離れて一人で暮らしたいという気持ちがあってもそれを表に出すことは難しくなるのではないか。よほどの事件、災害や親になにかあるようなことが起こらない限り。じゃあどうすればいいのか。積極的に、こんなことが起きたら大変そうで嫌だなと思うことを新しく始めようとは思わない。前からよく言っていることでもあるが「やめること」ならどうだろう。この生活を作り上げているためにしていることをやめてみる。まずは一つやめてみる。(くみこ)