NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第211回 「三丁目の夕日」

By , 2007年11月24日 6:01 PM

1958(昭和33)年東京タワーが完成した。その建設途中の東京タワーを背景にした昭和30年代半ばの下町の風景を描いたのが映画「always3丁目の夕日」である。その続編も最近封切られ、なかなかの評判のようである。私も2作とも見に行った。1作目を見て、それほど感心したわけではない。むしろ「期待」の割りに「駄作だ」と思った。ストーリーもありきたりでむしろ陳腐でさえある。それでも2作目も見に行った。最近の映画にしては珍しく映画館は8割以上の入りであった。だが若い人にはお勧めしない。単にその時代を生きたお年寄りの郷愁だけのような気がする。もっとも、「最近の年寄りはどんなことに興味があるのか?」という『考古学』的な興味のある人は別だ。私自身もなぜこのような映画に魅(ひ)かれるのか、不思議に思って考えてみた。

東京タワーの完成したのは昭和33年。昭和39年には東京オリンピックが開催され、この頃を機に地下鉄の路線延長や高速道路の建設など、東京は大きく変貌した。映画には変貌前後の東京が描かれ、その頃を知る我々には懐かしい想いで一杯である。東京タワーは3百3十3メートル。なぜこんな細かい数字まで覚えているかと言うと、その当時流行ったフランク永井の流行歌が『333メーター』。同じ年には石原裕次郎の『風速40米(メートル)』と言う歌も流行った。ジェット機のボーイング727が始めて日本の空を飛んだのは1963(昭和38)年だが吉永小百合は『夢のジェット機セヴントゥーセヴン』と歌った。やたらと数字で表現する歌が多かったように思う。高度経済成長期に入る前だが、数字の新しさ、大きさに気をとられていた日本人の気持ちが分かる。東京タワーと言えば、ご存知の通りテレビの電波塔であり、その後札幌や名古屋にも高層の電波塔が出来た。大阪には高いテレビ塔はないが生駒の山頂に電波塔があるし通天閣もある。

高い建物と言えば、昔は火の見櫓(ひのみやぐら)があった。若い人は知らないかもしれない。先日40前の人と話しをしていたら、火の見櫓のことを知らなかった。街中に立っていた塔で火事を発見するための塔であった。高さは30メートル程度だが、昔は高い建物がなかったので、そこに上れば近隣の火災が発見できたのだ。木製であったり、比較的新しいものは鉄製であったりする。今では火の見櫓は役に立たないらしく、無用の長物になっている。30メートル程度の高さだから、今の都市では遠望も利かない。ちょっとしたマンションでも先が見通せない。都市の高層ビルディングなら、その上層階から眺めた方が遠くまで良く見える。火災報知器が普及しており、電話による通報も普通だ。だから昭和30年頃から火の見櫓は姿を消し始めたらしい。あの火の見櫓は火事を早期発見するためのものだから、塔の上に常時、人が上っていなければならないはずだ。昭和30年代に私が子どもの頃でも、火の見櫓の上に人が上っているのを見たことがない。無用の長物なのだから取り壊されるのが当然だ。都市では消防署などに併設されていた火の見櫓はたいてい取り払われた。地方都市では町中に残されているものもある。田舎に行けば今でも残されている。撤去するのに時間とお金がかかるのだろう。火の見櫓を知らないと言う人は、一度見ておいてほしい。

火の見櫓はそこに登って遠くの火事の炎や煙を見張っていた。少し大きな焚き火をすると、火事の誤報をされたり、お叱りを受けることがあった。焚き火と言うのも消えてしまった冬の風物詩である。

垣根の垣根の曲がり角 焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き

童謡に歌われているくらいだから不道徳な遊びではない。田舎ならともかく、過密の都会では見られなくなった遊びである。火の見櫓もなくなったのだから、消防署に叱られる心配はない。時々、落ち葉を集めて焚いてやろうかと思うが、消防署よりもご近所の人に密告される方が早いだろう。都市の過密化が原因だろうが、禁止されてしまった行為がなんと多いことか。その代表格は喫煙の禁止である。駅や人の集まる場所ではタバコは吸えない。公的な場所でなくても嫌煙権を主張する人がいる所ではタバコは吸えない。タバコは堂々と売っているのだから、喫煙者の権利と言うものもあるのだろうが、どうも分が悪そうだ。住宅地で気になるのは、犬に関する禁止行為だ。公園に行くと、犬の大小便禁止とある。大便の放置は、美観や清掃の点で分かるのだが、犬の小便を禁止とは理解できない。雄犬なら電信柱におしっこをかけて歩くのが習性である。犬に公衆便所があるところまで我慢しなさいと言うのだろうか。昔は町中で禁止されていることと言えば、人の立小便くらいであった。露地の塀には鳥居の絵が描かれており、立小便禁止のサインであったが、今は電信柱などにペットボトルなどがくくりつけてある。犬にペットボトルの中に小便しなさいと言うのなら親切なことである。公園によっては『犬の散歩禁止』とうたっているところもある。こちらの方が、すっきりするが、ペットを飼ってもいけない社会とは暗黒社会のようである。

公園ではボール遊び禁止とか、花火の禁止、凧揚げも禁止されている。いっそのこと、公園そのものを廃止してはどうか。携帯電話についてもそうだ。電車内で『心臓のペースメーカーに悪影響を与える恐れがあるから、携帯電話はマナーモードにするか電源はお切り下さい。』などと恐ろしいことを言う。実は『ペースメーカーへの影響などない』と言う研究結果もあるらしいが、ペースメーカーが影響を受けるようなら、携帯電話など廃止にした方が良い。私は携帯でメールのやり取りはしないが、メールを打っている若い人にまで『うるさい』と言って怒っている大人がいる。メールを打つ音までうるさいとは思えない。メールを打つそぶりを注視している人が不愉快に思うだけではないか。

『他人に迷惑をかけるな』と言うのは一見尤もらしい徳目だが、過剰反応ではないかと思えるような禁止行為が多すぎる。過密社会であるから、出来るだけマナーを守るのは良いが、頭の中で考えただけのような権利主張や、他人への禁止行為はいただけない。『他人に迷惑をかけるな』と言うスローガンが親友を作れない現代っ子を生み出し、ひいては引きこもりをを発生させているとは気付かないのだろうか。子どもたちに禁止や強制などすることなく、のびのびと育ててあげたい。私が『三丁目の夕日』の世界に憧れるのはそんなのびのびとした社会への憧れのようだ。

20年ほど前の中国に行ったことがある。北京や上海だが、街のいたるところに『禁止』のポスターが貼ってある。『つば吐き禁止』『ゴミ捨て禁止』『集会の禁止』の類である。中には『張り紙禁止』と言う貼り紙もあった。当時の中国の人は、国民性なのか路上につばをはく人が多かった。上海の街角で、中国人の超美人が通りすがりに『チーン』と手鼻をかまれたのには驚いた。確かに、その頃までの中国人には公衆道徳にかけるところがあった。何でもかでも『禁止』をしている中国を見て、当時の日本では「中国人は『民度が低い』」と言っていた。北京オリンピックや上海万博を前にして、中国人のエチケットは向上しただろうか。今何でも禁止している日本は、当時の中国と同様に『民度が低く』なっているのではないか。

2007.11.24.

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