<共同>して<生活>するという意味 寮担当 西嶋和恵
ドミトリー前史(2001・12月〜2002・3月)
京都の民家を借りての<鍋の会>が軌道に乗った2001年秋,私たちは次のステップとして共同生活寮の必要性に迫られていた. その頃まだ独身で一人暮らしをされていた小川さんから,転居を機に若者との共同生活を始めてもよい,という思いがけない申し出を受けたことが,その実現の大きな後押しになった.<鍋の会>が出来る大きなリビングルーム,小川さんを含めて3室以上の個室,という条件で巡り合ったのが今のドミトリーである.12月1日小川さん入居,NS関西の共同生活寮は産声をあげようとしていた.
2002年4月,相次いで二人の入寮生を迎える.今も寮長として私たちを支えてくれている濱本君と,当時17才の壌君である.これから彼らの生活をどう形作れば良いのか?何もかも未経験からの出発だった.まず最初に当面した毎日の食事作りをそれまでボランティアで協力して下さっていたお母さん方にお願いした.それを皮切りに関わってくださったドミトリー・サポーターは10人を数える.NSPに続く有償ボランティアであり,その後この仕事はNSワーカーズのドミトリー事業部に委託される.毎日の<夕食の記録>は1年余りで大学ノート6冊になり,それはそのまま初期ドミトリーでの生活の記録である.
NSワーカーズのドミトリー事業部は経営上の赤字に耐え切れず,半年ほどで休止した.少人数の寮生では退寮者が出た後の空白期間を維持できなかった.また分譲マンションの為,近隣住民との軋轢が出始めた.様々な困難にぶつかっていた頃,それまでも交流のあったNPOフェルマータが<よすみ総合福祉住宅事業>を計画し,私たちとの提携を申し出てくれた.それは,それまでの寮のイメージを大きく変えるものだった.まず,せいぜい2,3人だった数の限界を大きく取っ払ってくれた.そしてワンルーム・マンションを出ると向いには毎日通えるステーション・フェルマータがあり,食事サービスも受けられる,そこには様々な人との日常的なふれあいがある.
現在寮生はドミトリーに3名,よすみ大栄コーポに5名.ほとんどが夕食をフェルマータにお世話になっているが,週1回金曜日はドミトリーでニュースタートの夕食会を開く.何人かの来訪者を加えて10人程度で食卓を囲む.彼らの健康な食欲は,ペロリと私のヘタな料理を平らげてくれる.いつの間にか芽生えてきている連帯感や友情を感じるのもこんな時である.これは私の<天職>ではないかと思ってしまうほど私は彼らが可愛い.
この2年足らずの経験を通して学んだことは大きい.親からの自立の第一歩として入寮してくる彼らを待っているのは,見知らぬ他人との出会いであり,毎日の時間を埋めていく努力と勇気.それがドミトリーであれ,薄い壁一枚で仕切られたワンルーム・マンションであれ,他人に迷惑をかけまい,かけられまいとハリネズミのように身を硬くしていては生きていけない.何故なら,日常というのは偶然性に満ちていて,時として思いがけない摩擦や困難を運んでくるからだ.それを避けようとするよりもどうやって解決していくのかを学ぶこと・・・時には他人の力を借り,時にはその迷惑も引き受けて,人と人との間に信頼の架け橋をひとつひとつ架けていくこと.力が及ばず,成し遂げられなかったことも多いけれど,それが私たちの仕事だった.
試されているのは,彼らではなく私自身だということに気付くのである.