1へのレスポンス
西嶋さん!中退者の文字を見ると心が疼き、何かしら私事について書いてみたいという衝動にかられてしまいました。
西嶋さんの批評でもなく、このページを借りて書きすすめます。
私も8年間の大学生活の末、中退者の仲間に加わりました。大学生活の中で、卒業論文も書き、2科目を残しての中退でした。
もちろんそれを誇るつもりはありませんし、50歳近い今になってもそれを悔いることは何一つありません。
大学入学と同時に父親が死に、自分で学費を工面しながらの大学生活は実に気侭なものでした。
70年安保も終結し、現在の大学とほとんどかわらない体制が作られていった時代。
大学で学ぶことは、ほとんど意味をなさず、自分であれほど熱を入れて読んでいた哲学書も大学生活の中で、さしたる意味を持たなくなってしまった。
大学の8年の満期が来て中退となった。中退をしても、それまでの生活と何ら変わるところがない。
当時、望めば、中退者であっても就職口はあったと思うが、大阪の西成で土方をした。
土方仲間とサボって魚釣りをしたり悪ふざけをすることは、大学生活よりもはるかに面白いものだった。
大学生活を送っている間は、おそらく社会的引きこもりの一員であったが、土方稼業になってからは、いきのイイ、型枠はずし工となったと思う。
引きこもっていて、人生を悲観的に見ている人に、あえて言いたい。
こんな私も、今は、ささやかな経営者の端くれになっている。
と言って、潰れかけだから、たいしたものではないことを強調しておかねばならない。
この度、17歳になる息子は、高校をやめた。
一説には、この親が辞めさせたと囁かれている。おそらく事実であろう。
鬱陶しい学校などには行く必要がない。こればかりは、断言できる。
面白くもない学校での生活を捨てて、自由に、自分の人生を築いていく。
ひとつの提言、新時代の家出のすすめかも知れない。
大西 裕(2002.9.12)