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NPO法人ニュースタート事務局関西

VOICE

自分で自分が何であるかを決めた頃 - 13

 私が人生の前半にこだわり続けた『壁』とは何だったのでしょうか?最初は明らかに釜が崎というゲットーからの脱出を阻む『壁』でした.しかし,後から考えてみれば『不就学児一掃運動』によって中学に編入したとき,ある意味で『壁』は私の眼前から一時消えていたのかも知れません. 

 その頃の『壁』はある意味で釜が崎というスラムに閉じ込められている『壁』でしたが,学校に入ることによって明らかにその『壁』は消えていました.このことは最近になって,引きこもりの若者たちが感じている『壁』のことを考えるにつれて明らかになってきました.
  これは『学校』という名の『壁』でした.その『壁』が中に入ることを拒んでいたのか,外へ出ることを拒んでいたのかは正反対のように違うのですが,明らかに『学校』という社会システムがその『壁』の役割を果たしていたことは共通しているのです.

 学校に行くというのは,特にその頃の私にとっては,社会に受け入れられているのかいないかという意味で,非常に大きな意味を持っていました.戦後から昭和30年代の前半というのは歴史的にもそれなりの意味を持っています.
  戦後復興から高度経済成長の直前に達していたその頃の社会は,かなりの落ち着きと豊かさを回復しつつありました.ただ釜が崎というスラムはその豊かさの埒外にあり,特に社会システムからは除外されたような『員数外』の世界だったのです.

 戦後日本は教育立国を目指し,高校や大学への進学率も上がり続け,やがて経済成長の中で高校や大学を出た人たちは,大企業に受け入れられ,核家族を形成し,マイホームを持ち,それなりの『幸せ』を獲得していきます.学校というのは『幸せ』への登竜門であり,学校で先生の言うことを聞いていれば,つまり優等生になることを努めれば,学校と言うシステムは上の学校に押し上げてくれて,先生達はやがてよい就職先の世話もしてくれます.
  いわば学校や先生と言うのは,発展する社会という『権威』を背景に子ども達を教育していました.

 のちに『学級崩壊』や『校内暴力』などが続発し『教育の崩壊』と言われる事態が出現しますが,これはもはや『学校』で『よい子』として振舞うことが『幸福への切符』を手に入れることとは無縁であることが暴露されてしまったことの結果なのです.経済は成長をやめ,先生達だけでなく親や大人たちのすべてが希望を失い,教育する権威も気力も失ってしまった社会に教育の『目標』などあるはずがありません.

 しかし,私が不就学児童から中学に編入された頃はそうではありませんでした.『学校』に入ることそのものが『希望』であり,入れないことに『壁』を感じていたのです.

 今の引きこもりの人たちはどうなのでしょうか?既に教育は崩壊していると言われ,先生達の権威は地に落ちています.社会の権威が地に落ちていると言ってもよいでしょう.
  しかし,引きこもりの若者達は,学校に入った頃の私が優等生であったのと同じように,学校に希望を持ち続けています.劣等生や非行に走る子がとっくに学校の『権威』などを見放しているのに,優等生たちは親や先生のいうことを聞くことによって『幸福への切符』が手に入ると,最後まで信じさせられているのです.

 経済は右肩上がりの成長を止め,産業は空洞化し,企業はリストラにまい進しこそすれ,新卒を採用する余力もない.先生達は生徒に頼りにされても,就職を世話する力さえない.つまり希望や出口はなく,競争だけがまさに『前世紀の遺物』のように人と人を争わせ,人間不信や対人恐怖を増幅し,再生産していいます.人の良い優等生もついにそのことに気づき,『引きこもり』はじめているのです.

 だから今の引きこもりたちは『学校』と言う『壁』を中から外へ越えようとしているのです.私が40年以上前に必死に中に入ろうとしていた『壁』を.

 それは『社会システム』と言う『壁』と言ってもよいでしょう.
2002.9.26
にしじま あきら