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NPO法人ニュースタート事務局関西

VOICE

自分で自分が何であるかを決めた頃 - 6

中学・高校の6年間を,前回の一回だけで書き飛ばそうとしたのですが,簡単に触れておきたいことを一つ思い出しました.

 中学校の卒業式の日にクラスメートの一人から封書を受け取りました.度の強い近視の眼鏡を掛けたS君からでした.開封してみると便箋が一枚だけで,そこには『君は卑怯者だ!』とだけ書かれてありました.

 S君は,数学や英語などはあまりできず,成績はクラスで10番くらいでしたが社会科の授業だけはやたら張りきる人で,授業中に私との討論を何度も繰り返しました.
S君は中学生なのに『俺は資本論を読破した』と豪語していました.三年生の時の担任も社会科の先生で,民主主義教育の権化のような先生でした.授業中に私とそのS君とを論争させるのを面白がっている節がありました.


  私は,型にはめられたような民主主義の押しつけが大嫌いで,社会科教師の言い分 によく反論し,S君がその私に反論するという展開がほとんどでした.しかし論争が終わって見るといつも知らぬ間に私の方が,民主主義の原理を支持しており,S君の方は過激な革命論のようなことを主張しており,社会科の先生も私の主張を支持せざるを得なくなっているのでした.

 『卑怯者だ!』の言葉は私を突き刺しましたが,それは私の学校でのあらゆる優等生的振舞の裏に隠された『卑怯者』の本質を見抜かれていたのか,それとも単に先生の意見に迎合して論争を終わらせたことに対する恨みなのか,あまり深く考えることはせずに,手紙はくずかごに捨てました.

 高校に入った私は,子ども時代の経済的な苦労や,中学校時代の優等生的演技のプレッシャーを跳ね除けるように,普通の高校生に徹しました.勉強はあまりしませんでした.ただ,読書だけは高校の図書館にあった人文科学・社会科学系の主な本を読み尽くすほど耽溺しました.サークルは最初バスケットボール部に入りましたが,持久力がなく半年で退部し,文学系のサークル(文学部・短歌部・俳句部)に3つ入り,3つのサークルの部長を兼ねるようになりました.学校の試験の前日になると,一応『一夜漬け』の勉強の体制に入るのですが,そのうち教科書は閉じてしまい,原稿用紙を開いて詩作や小説を書き始めてしまいます.そのまま,教科書は一ページも勉強しないまま徹夜になり,試験を受ける羽目になるのがいつもの癖になりました.まるで自虐的であるかのように勉強を拒絶していました.

 その当時の大学進学については,大阪では公立高校が圧倒的に優位な時代でした.府立のO高校,T高校,K高校などがトップ高校でそれぞれ東大に20名程度が進学し,京大には50〜70名程度が進学していました.私の通ったS高校は,学区では一番の進学校でしたが,東大進学組はほとんどいず,京大には毎年,現役・浪人合わせて24〜25名程度が合格していました.その代わり,阪大や公立大学トップクラスの大阪市大の合格者数のトップを続けており,いわば超二流高校だったようです.


ですからこの高校から現役で京都大学に合格するためには概ね学年で15番以内の成績を維持しなければならないということになっていました.入学当初はその程度の成績だった私ですが,何しろ試験の前の一夜漬けがほとんど小説を書いて徹夜するようなことが続きましたので,成績は落ちて行く一方でした.それでも2年生くらいまでは何とか恰好がついていましたが,さすがに進学校でしたから2年生の2学期頃からは,友達はみんな一斉に受験勉強に力を入れ出しました.取り残された私の成績はますます急落し,いよいよ受験大学を絞り込まなければならなくなる3年生の2学期頃には,私の成績は学年で真ん中辺りの200番程度に低迷していました.

まあ,勉強もせずに大学に合格したというのも,かなり嫌らしい自慢話ですので,ほどほどにしますが,私は受験の年の年明けから3ヶ月程度急ごしらえの受験勉強で京都大学法学部に現役合格することになります.
2002.9.18
にしじま あきら