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NPO法人ニュースタート事務局関西

直言曲言(代表コラム)

『家族論』――家族,その解体と再編に向けてC――家族の再編

 「鍋の会」――それはニュースタート活動のひとつの軸として大きな成功を収めてきた.擬似的大家族の『共食共同体』として,多くの引きこもりの若者を再生させてきたのは事実である.しかし「再生」された若者はどこに戻っていくのか?また「再生」そのものを「拒絶」する若者にはどのような生きる道があるのか?私たちの目の前には,新しく大きな『壁』が立ち塞〔ふさ〕がっている.

 「鍋の会」への参加,あるいはその次のステップとしての「共同生活寮」への入寮にしても,実は「家族」の経済的支援がなくては成立しない.「鍋の会」は月に2回開催している.月にたった2日だけ,楽しい「鍋の会」の日がめぐってくる.もちろん入寮生には毎日の食事や夕食会が用意されており,さまざまなイベントを含めれば2日に一度くらいの割合でニュースタートでは何らかの活動を行っている.
  しかし,そうした活動のない日,彼または彼女たちは,日がな一日,家で無為の時間を過ごしている.彼らの生活を支えているのは,いうまでもなく「家族」であり,「家計」であり,彼らの父が,母が稼いだ日本銀行券なのである.「家族」が「解体」「消滅」してしまえば,たちまち彼または彼女は路頭に迷わざるを得ない.そんな彼らを「救う」力がニュースタート事務局にあるのか?残念ながら答は「NO」である.

 現実は「核家族解体の危機」に瀕〔ひん〕しながらも「家族」から仮託〔かたく〕された「使命」をニュースタート事務局が代行しているに過ぎないのである.ニュースタート事務局は3つの目標を掲げている.@友達づくり,A家族からの自立,B社会参加(労働参加).3つ目の目標を実現した時,初めて家族からの経済的支援から解き放たれ,自律運動のサイクルに入ることができる.「社会参加(労働参加)」と言っても,私たちは人に雇われて賃労働することに絶望しているので,共同での自営業開業を目指している.しかも,それは「未だ」であり,「これから」の目標である.ようやくその基盤である「ワーカーズコレクティブ・サポートセンター」や「NSワーカーズ」が結成され,ネットワークを広げつつある段階である.

 つまり「家族」から仮託された任務を遂行しながら,さらに「家族」から出資を仰いでワーカーズの基盤を固めようとしているのが,現段階のニュースタート事務局(関西)の使命(ミッション)なのである.「核家族」は解体されるどころか,ますます家族機能を強化して行かざるを得ない.これはおかしいのではないか.これでは,ニュースタート事務局もまた病んだ社会システムの一個の補完物に過ぎなくなるのではないか?

 分かりにくければ,もう少し具体的に述べよう.ニュースタート事務局と言えども,霞〔かすみ〕を食って生きているのではない.「鍋の会」を開くにしても,肉や野菜は市場で買い求め,酒やビールは酒屋で日本銀行券で求めている.もちろんさまざまな善意に囲まれており,さまざまな寄付やカンパが事務局の仕事を支えている.しかし,端的に言って引きこもりの親御さんの経済的な仮託があるから,これまで5年間の活動は支えられてきた.活動は年を追って広がり,安定し,基盤は強固になってきた.
  それは事務局に仮託される「引きこもりの若者」が増えてきたことを意味している.「増える」とは何か?「卒業」していく若者より,新しく仮託される若者のほうが多いということに他ならない.つまり「卒業」せずに「滞留」している若者のほうが多いということである.

 引きこもりは今120万人と言われている.私たちニュースタート事務局がどれだけ頑張ろうと,その引き受けのシェアを1%にまで伸ばすのは困難である.ましてや,若者は「卒業」する人より「滞留」する人のほうが多く,活動を続けられているのは新しく仮託する人が絶えないからである.新しく仮託された「金銭」で,滞留する若者の活動を支えているのが実情である.このやり方では,早晩破綻を迎える.「核家族」が解体されきったら,引きこもり以上の悲惨な若者が増えてくる.それを誰が救えるのか?「学級崩壊」どころではない「家庭崩壊」「社会崩壊」が目の前にちらつくのである.

 「解体」する「核家族」を放置することは出来ない.新しい「家族」原理を構築し,「家族の再編」に向わなければならない.「鍋の会」のような臨時の「擬似大家族」では間に合わない.「共同生活寮」と言えども,引きこもって対人恐怖に陥ってしまった若者に「擬似的」な社会生活を体験させる小規模再生装置に過ぎない.しかも120万といわれる引きこもりに対し,我々の力は圧倒的に小さい.サポートする力が余りにも小さすぎるのだ.

 親が引きこもるわが子を直接支援することは出来ない.『第三者の力を借りる』,これは今や常識となりつつある.しかし,親は他人の子を助けることは出来る.現に今も多くの親が,自分の子を助けるためにではなく,第三者として他人の子を助けるために,鍋の会やさまざまな会合に参加し,サポートをしてくれている.このシステムをもっと強化して,<サポート力>を圧倒的に強くすることだ.それは親が単にわが子を仮託するだけではない『参加』の形を創出することである.

 私たちは人間の修理工場ではない.崩壊しかかっている家族から引きこもりの若者だけを分離して仮託するというスタイルそのものが,病んだ社会システムにおける病院と同じ発想ではなかったのか?病んでいるのは引きこもり本人ではなく,むしろ家族そのものではないか?家族そのものを修理すべきなのではないか?

 今伝統的家族が崩壊しつつあり,それを補うものとして新しい家族の形が多く生まれている.上野千鶴子東大教授(『近代家族の成立と終焉』岩波書店)によれば,ホモやレズ同士の家族形成,離婚した女同士の家族,離婚した妻と離別した夫の親との同居などの例も少なくないらしい.失われた家族機能を,伝統的(例えば再婚)ではない形で補おうとする「再組織化」の力が発揮されつつあるのだろう.単純な「家族」ではないがコーポラティブハウスのように,数世帯の家族が台所やリビングルームを共有した家を建て,食事づくりや育児などを共同する試みも増加している.

 コーポラティブハウスは職業や個人生活は分離して,互いの個性を尊重しながら,利便性のみを共有しようとするのが特徴であり,成功の秘訣と言われている.おそらくこれは新しい形での「大家族」の試みであるが,国勢調査があれば,単にいくつかの家族が共同して住んでいるに過ぎないものとしてカウントされるだろう.それは「台所」や「育児」の共有であっても,「家族」や「家計」は解体されず保存されているからである.そこで「破綻」した家計や家族が現れた場合,おそらくその「家族」は排除されざるを得ないだろう.
  「ヤマギシズム」という農業を基本にした宗教的な原理で結びついた原始共産制的「大家族」は個人的資産を寄付してその一員となれる.脱退すると無一文になってしまう.

 個人の尊厳を守りつつ,外部経済と交流しながら,どこまでも助け合え,力を合わせて子どもを育てて生けるような「家族の再編」のスタイルが,もう少しで見えてくるのではないだろうか?
  おそらく,絶望的な「核家族」が破綻する前に「解体」し,子どもだけを分離するのでなく,親と子,家族ぐるみで「再生」を図る.そんな共同・共生のコミュニティを私たちは目指していくことになるだろう.
(12月8日)