『家族論』――家族,その解体と再編に向けてA――核家族とその桎梏
『家族論』はれっきとした『学問』領域であり,社会学的にも経済学的にも『家族』の機能や歴史については論じられている.私は例によって『専門家』ではないので,学問的に『家族』を検証してみようとは思わない.ただ『引きこもり』問題を通して見る限り,現代の核家族の歪みは,もはや子どもを健全に育成する現場としての適格性を欠いており,その解体と再編が必要だと主張せざるを得ない.
引きこもりは『120万人』だと言われているが,その発生原因を『社会の病理』『家族の病理』におくなら,子どもや若者に押し寄せている『危機』は, 120万人の引きこもりに顕在化しているが,実はすべての子どもや若者に共通する『危機』であり,『引きこもり』として顕在化しているのはむしろ『氷山の一角』であると言わざるを得ない.
アレルギー反応のように,抗原抗体反応を見せない子どもや若者には,むしろ身中深く病原が巣くってしまっており,それは遺伝学的な言い方をすれば獲得形質のように病理を取り込んで人間自身が変形している過程だと言っても過言でない.
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核家族はせいぜい20世紀の後半に,先進国に現れた家族形態に過ぎない.エンゲルスが『家族,私有財産及び国家の起源』で示した,家族の機能を極限化した,資本制生産とりわけ工場制生産に最も都合の良い形体としての家族形態であり,他方,都市化社会や少子化といった先進国現象と結びついて急速に普遍化していった.
少子化核家族は,一代限りの『種無しぶどう』のように,『相続』のシステムを内包していない.しかし,それは『家』(家系)が相続されないだけで遺伝子や財産は相続しうるのだが,『文化』を相続できない.『文化』を相続し伝承するための『親子』のモデルを伝統的大家族から切り離した時,祖父母の元に置き去りにしてきている.
しかし,私はここで『家族』の解体だけを言い,エンゲルスやその継承者たちのように『家族の消滅』を言うのではない.むしろ,現在の『核家族』を解体すると同時に『家族の再編』が必要であることを力説したい.
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核家族の急増は,日本では1960年代からの高度経済成長及び都市化の進展と連動しているのは明らかである.と言っても,それ以前の家族形態がすべて大家族であったかのような誤解をしてもらっては困る.
1920年に『夫婦とその未成年の子ども』で構成される核家族は既に58.8%である.農村の二,三男の独立家族は小作貧農としてあり,都市無産階級も長屋住民として存在していた.これらもほとんどが核家族である.それが40年後の1960年までは僅か5%増の63.5%で推移し,以後高度経済成長期を迎えて15年後の1975年には74.1%に増えている.ちなみに記せば1990年は77.6%で核家族化の進展は止まっているように見える.
しかし,これには隠された背景がある.1920年〜1960年は『人生50年から60年』(平均寿命)の時代である.子どもが成人に達し,結婚し,独立するころには親は老年期を迎え,『死の準備』をしなければならなかった.多少の『親子三代』の時代を経ても,短期間で『核家族』に逆戻りしているのである.
現在は平均寿命80歳時代,孫が生まれ,ひ孫の顔を見る人も稀ではない.『核家族』の意味が違う.さらにいえば2001年では人口1億2千6百万人,世帯数4千8百万であり,平均世帯人員は2.6人.単身者世帯などを含み,正確な表現ではないが『総核家族時代』と言えなくもない.
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『核家族』が増えたこと自体を『非難』する謂〔いわ〕れはない.むしろ,高度経済成長時代は『核家族』への賛歌が合唱されていた.昔の大家族は『封建的』で『家父長制』『男尊女卑』.核家族になって『民主的』な家族システムが出来た.『男女同権』で『嫁・姑』の確執もなくなった(少なくなった?)『言うことなし』でよいことづくめの『マイホーム』時代が来たはずである.
もちろん経済的な豊かさもついてきた.都市化第一世代は木造アパートから出発したが,やがて2DKの公団住宅から3LDKのマンションに移住,夫婦が一室で我慢すれば2人の子どもに独立した子ども部屋を与えることも出来た.
しかし,ローンだけは否応なくついて回る.ここは父親に頑張ってもらうしかなく,企業戦士となり,社蓄となり,帰宅は『午前様』.不況で残業が減ったら母親もパートに出るしかない.それでもささやかな幸せを守りながらも,子どもの未来を夢見て教育投資だけは怠らなかった.父親が企業戦士,たまの休日はゴルフか競馬かパチンコか.母親はパートで,豊かになった分はカルチャーセンター通い.
昔のような,親戚づきあいもなく,近所づきあいもない.子どもは,親と学校の先生,おっと塾の先生も…,それ以外の大人を知らず,むしろ誘拐殺人や性的変質者の横行する時代『他人を信用してはいけません』の時代だから,『対人恐怖』になって当然.友達はすべて進学,受験のライバルなのだから,うわべの付き合いはしても心など許せるわけもない.せっせと働いて,この不況.仕方がないからのんびり暮らすかと思いきや,何と子どもが『引きこもり』.
別にふざけて書いているわけでもないが,まるで『気の毒』を絵に描いたような『悲喜劇』である.
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なぜ,こうした社会環境の劣悪化と『核家族』に因果関係があるか.
ひとつは,上にも書いた『親と学校の先生以外の大人を知らないで育つ』子どもの生育環境の貧しさ.親戚関係も疎遠で,コミュニティライフにも冷淡なのが『核家族』の特徴である.父母ともに『自己実現欲求』は強いのだが,『実現』の手段は日本銀行券だと思っている.山や海や畑,それにこうるさい『村人』はむしろ自己実現を阻む阻害物だと思っている.団地やマンションの隣人も迷惑な,あるいは迷惑を掛けてはいけない他人だと思っているから,遊ぶのも学ぶのも日本銀行券に頼るしかない.もちろん,この考え方は子どもにも容易に伝染する.
自分達は大家族を捨てて都会に出て,核家族を形成したのだが,家族は当然仲良く暮らし,末永く家族の繁栄を願っている.人生80年時代なのだから子の結婚も,孫の結婚までも見たい.少子化で子ども二人であれば,独りは嫁がせ(婿に出し),一人は我が家を継がせ同居するというのも社会的にも算数としてもつじつまが合う.しかし,それは余りにも都合の良い親のエゴイズム.
わが子は,たっぷりと親の愛情を注いで育てたのだから,親への依存心は強く,パラサイトシングルはいつまでも続くが,結婚して相手の親と同居するなど,大人嫌いの現代青年には最も苦手なことである.『他人と同居する』文化もモデルも継承されていない.ある意味で『核家族』は単純再生産されるしかないのである.
しかし『引きこもり』の青年には,それすらも期待できないのか.『鍋の会』(前稿)などに参加して,運良く『引きこもり』から脱出できたとしても『核家族』の再生産しか見込めない?対人恐怖,人間不信を抱え込んで『生涯パラサイト』を決め込めば,家族を形成しての人類再生産はできず,いずれは家族の『消滅』とならざるを得ない.
次回以降,『解体』から『再編』への『提言』を書く.
(12月3日)