『恐怖』と『怒り』
最近,とある場所でこんな質問を受けた.『<対人恐怖>の恐怖感ってどんなものですか?』私は一瞬,質問者の意図を判断しかねて首をかしげたが,おもむろにこう答えた.『ジャングルの中で何者か分からない生き物と遭遇したような気持ち,高所恐怖症の人が高い建物の上から下をのぞいたような気持ち,だと聞いています』と.
その時,その会場では二通りの反応がうかがえた.多くの人は『なるほど』とうなづいておられ,一部の人は『良い加減な答えだな』という態度.さらに一部の人は,明らかに侮蔑するように,首を振るようにせせら笑っておられた.その会場は必ずしも引きこもりの方や精神障害やその身内の方ばかりではなかった.つまり『対人恐怖』と聞いても,そんなに深刻な心身反応だとは思わず,単なる『人嫌い』程度の理解をしておられるのである.
もちろん引きこもりの人の『対人恐怖』の程度もさまざまである.現実に,引きこもりでも家から外出できる人もいれば,家から一歩も出られないという人もいるのである.人前で話すことの出来る人もいれば,他人の視線を感じるだけでパニックになってしまう人もいる.
ところで先ほどの質問者だが,後で私の所に来られ『お答えに<わが意を得たり>の気持ちです』とおっしゃられます.この人,実はご本人が『対人恐怖』で自分の『恐怖感』を他人に話しても分かってもらえず,一体,一般的に『対人恐怖』とはどんな状態の人を指すのだろうと質問されたそうなのである.
『幽霊の正体見たり枯尾花』という川柳がある.恐怖の対象も正体がばれてしまえば他愛もないものである.言い換えれば『未知』なるものこそ『恐怖』なのである.ジャングルで未知の生き物と遭遇すれば,虎やライオンかもしれない.人食い人種かもしれない.あなたがもし,イラク人や北朝鮮の人であれば,相手はアメリカ兵かも知れない.恐怖に戦慄するのは当然である.
こういう想定は文化人類学の初歩的な問題意識なのだが,実はやはりジャングルで遭遇して最も怖いのは人間である.蛇やトカゲや猛獣だって怖いのだが,たいていは相手がこちらに気付いて先に逃げ出すという.相手が人間だと,武器を持っていて攻撃される可能性が高いのだ.ただし,これは誰が住んでいるのか分からないジャングルの話であって,文明都市では普通こんな恐怖感は持たなくて済む.
ところが『対人恐怖』の症状を持つ人は,自分自身の内部に『人間は怖い』という意識を増幅させており,実際には怖くも何でもない人間との『接触経験』があるにも拘らず,それは忘れてしまい,『何をされるか分からない』『相手は敵意を持っているに違いない』という警戒心を異常に膨らませてしまうのである.笑い話ではないが,紅毛碧眼の外国人から話し掛けられてぶるぶると震え上がって首を振っていたが,よく聞いてみると相手は日本語を話していたということもある.いわば固定観念による『恐怖』なのだが,だからといってこの『恐怖』を見くびったり,馬鹿にすることは出来ない.
最初の質問への答えに『高所恐怖症』のことも例に挙げた.私も,その高所恐怖症であり,昔10階建ての公団住宅に住んだ時は,ベランダに出ることはもちろん,窓際に寄ることも出来なかった.背中から寒気がぞーっと上がってきて,落ち着けないのである.もちろん3日もすれば慣れた.ただし,その家に住むのに慣れただけであって,今でも高いところから下を見下ろすのなどは苦手である.高所恐怖症になど縁のない人から見れば,ばかばかしい話であって,その感覚は理解できない.
高所恐怖症に似たような感覚では,閉所恐怖症というのもある.エレベータの扉が閉まろうとすると,奇声を上げて飛び出そうとする人も稀にはいる.
加速度病というのもある.子どもの頃ブランコに乗っていると,誰かが急に背中を押して,ブランコが大きく揺れだす.すると泣き出す子どももいる.乗り物酔いに弱い人も加速度病といえる.加速度の変化に体内の三半規管が対応できず体の変調をきたす.加速度病の人が苦手なのが吊り橋である.あれは通りなれた人は平気で,荷物を積んだ自転車やバイクで平気で通っていく人もいるが,苦手な人にとっては恐怖の体験となる.人間が通ればその体重で揺れ始める.そのゆれに周期をあわせてひょいひょいと渡ればよいのだが,加速度病の人はゆれの周期に反して体重を移動させるので,揺れはますます増幅し,ついにはパニック状態になって悲鳴を上げる始末となる.何を隠そう,私がそのタイプの吊り橋恐怖病患者である.
あまり合理的な説明になっているとは思えないが『対人恐怖』というのもそれに似た感覚なのである.高層ビルの上でも,吊り橋の上でも逆立ちだって出来るというような人に高所恐怖や加速度病が分からないように,『対人恐怖』も理解できないのであろう.
既に答えは出ているのであるが,これを解決するには『慣れ』しかない.未知のものが怖いのである.人間,普通は自分でよじ登ったり,飛び降りたり出来る空間で生活している.歩いたり,自転車に乗っていれば加速度だって自分で調節できる.ところが,建築技術が進んで異様に高い建物が出来たり,高速の乗り物が出来たりする.逆に人間は人口過密の都市に住んで,却って人と人との交流が疎遠になり,人に慣れることが難しい時代になった.
人間だって奇人変人,色んな人がいるが,たいていは予測の範囲である.足元がふらついている酔っ払いには近づかなければ良い.目つきが座って刃物など振り回す,覚せい剤中毒もいないことはないが,あまり見かけることはないだろう.あとは,正気であるはずなのだが武器を持って人を脅す類の人種もたまにいる.たいていは軍服というのを着ているか,見るからにヤクザの服装をしているから見分けがつく.
気をつけなければいけないとすれば,『対人恐怖』を持つ人自身である.これも精神安定剤などを常用している人の中には,見分けのつく人もいるが,たいていは,見掛けは常人と変わらない.カウンセラーを目指す人などは,親切心で『対人恐怖』の人に近づき,あくまでも善意で相手の心に飛び込もうとする.相手との接触を避けようとしているのに,相手がいきなり人と人の適正距離を越えて異常接近してくれば,パニックに陥ることがある.ある意味で,吊り橋の上で重力の移動に逆らって揺れが増幅される時に似ている.相手は未知のものや人に対して警戒心と恐怖心を抱いている.『恐怖』心はいきなり『怒り』に昇華してしまう可能性がある.チワワのような仔犬が,ゴールデンレトリーバーのような大きな犬に遭遇して,パニックのように吼えてしまう.あれである.
『怒り』というものは,人間が理性を失ったときの産物であり,それをアドレナリンの異常分泌などと説明することは可能だ.また『怒り』そのものを理性的にコントロールする人もいて,『怒り』の演出もありうる.しかしたいていの場合,『怒り』は相手に対して『理不尽』であるとともに,自分自身に対しても『破滅的』な行動である場合が多い.私自身は相手に恐怖感や警戒心を抱かせないよう,できるだけ親愛の情を開けっぴろげにして,いきなり肩を抱いたり,握手をしたりするが,実は経験の少ない人にはお勧めできない方法である.家族や身近な人,自分の善意を信じて疑わない人も『人間不信』の人の恐怖と怒りを侮るべきではない.
(7月15日)