家族という名の桎梏〔しっこく〕
引きこもりを『家族病』と捉える考え方は根強い.とりわけ母親の行き過ぎた過保護や過干渉を原因とする『母源病』というネーミングさえあって,自責の念にかられた母親を自殺に追い込むケースさえあったという.
精神科医の斉藤学氏の『家族依存症』という著書を私は名著だと思うし,氏の業績もこうした分野では出色のものだと思う.
しかし,現代青年のさまざまな病症を『家族』との因果関係で捉えるのは良いとしても,家族が青年に与える『病理』的な悪影響だけを指摘し,『家族』そのものが病んでいる実態を指摘しなければ,まるで疫学的な病因指摘となり,根本的な問題解決に近づかないのではないかと懸念している.
つまりは『家族』自体が病んでしまう原因としての『社会病理』の解明や,『家族』の来歴やその置かれている環境を分析しなければ,甚〔はなは〕だ片手落ちな『家族非難』によって問題が棚上げされてしまうのではないか?
私たちニュースタート事務局の周辺には,引きこもり状態から脱して自助的なグループ活動に参加している若者が多数いる.しかし,その中には相変わらず親に日常的,精神的,経済的な全面依存を続けている若者もいるし,反対に親元を離れ自活しようとしているのは良いが,たとえば『父親が大嫌い,軽蔑している』と広言し,『自分が引きこもったのは親のせいだ』と思い込んでいる若者もいる.
自宅閉じこもりのような若者を『引きこもり』から脱出させるのは比較的たやすいが,『社会的引きこもり』から脱出させるには『社会参加』が必要であり,そのためには,正当な『社会観』とその一部としての正当な『家族観』を確立させることが必要である.
家族との関係を上の二通りのように捉える若者たちは,いずれも真の意味での自立を達成しているとは言えず,きわめて狭い視野で『自立』を錯覚していると言わざるを得ない.
『核家族の病理』については再三述べているのでここでは詳述しないが,コミュニティの崩壊や企業戦士としての父親像が,『閉じられた家族』の主因を作っているとだけ言っておこう.
なるほど,引きこもりの若者はこうした『核家族の病理』の被害者ではあるが,それを父親や母親への『恨み』に転嫁しても問題が解決しないのは言うまでもない.そうした『病理』をもたらしたものへの洞察がなければ,単に躓〔つまづ〕いた石ころに怒りをぶつけているだけになる.
こうした言い方をしてくると,家族(父親や母親)の立場を擁護〔ようご〕しているようだが,私としては,家族自身が『核家族の病理』を自覚していただくことが,引きこもりの若者を脱出させるための第一条件だと考えており,先ほどの二通りの考え方の若者の親たちには,いずれもそれが欠けているケースが多い.
私は,子どもを引きこもりにしてしまった家族の責任を問うつもりはないが,引きこもりになった若者の,脱出と自立の後押しをする責任は親にあると思っている.
引きこもりを長期化させている親にはいくつかのパターンがある.復学とか就職に対する圧力を掛け続け,引きこもりの心情を理解しない親と子のコミュニケーションが完全に断絶しているケース.これは『心の風邪引き』としての引きこもりを<こじらせ>てしまったケースである.
もうひとつは,引きこもりの初期や過程で自殺企図を含む不可解な行動から,親が理解や対応を完全に放棄してしまったケースである.親は精神病だと誤解し,精神科医のところへ駆け込む.あるいは,カウンセラーに委ねてしまう.
大部分の精神科医は引きこもりと精神病を混同しないだろうが,完全に健康な状態ではないのは事実だから,医薬や訳の分からない心理療法でクライアントを引きとめようとする.本人は,自分は精神病ではないと自覚しているわけだから,やがて精神科医やカウンセラーからは遠ざかる.しかし,引きこもりからは脱出はできていない.家族は引きこもりをいまだ理解できていない.どうやら精神病ではないらしいが,自殺企図の件もあり怖くなって,あまり口出ししなくなる.また自殺でも企てられたらと思うと,腫〔は〕れ物に触るような扱いで放置しておくしかないと考える.
このケースでは引きこもりは長期化する.親はあれこれと口うるさい発言をしなくなっているから,本人にとっては快適な引きこもり環境が完成している.父親は働きもしない成人であるわが子の将来の経済生活を思い,ただひたすら企業戦士に復帰し,母親はわが子の専属家政婦兼看護婦のような状態である.
このような場合,引きこもり本人も家族もある種の均衡状態にあり,完全に膠着〔こうちゃく〕してしまっている.
どのようにすべきか?難しいことを言っても仕方がない.この膠着状態に倦〔う〕んだ方,つまり,親か子かどちらかが動き出すしかない.
子が動き出すケース.完全引きこもりで,しかも家庭外とのあらゆる情報回路を遮断している場合は無理だが,インターネットなどで情報検索し,ニュースタート事務局のような団体や自助グループに接触してくるケースがある.
この場合,親の積極的な対応がなかったわけだから,親に反発する感情が保存されたままの場合が多い.とりわけ,企業戦士として家庭を顧〔かえり〕みなかった(と思い込んでいる)父親に対する恨みや反発,被害感情が強い.
ある程度時間をかけて家族や社会の仕組みを理解させるしかない.家族問題を克服している引きこもり脱出の先輩や仲間から学ばせるしかない.<父親批判>に共感する同類を求めたりするが,そのことにより友人や仲間を得ても,現状の自己をそのまま<肯定>してしまっているのだから,正常な自立や社会参加に向かおうとしない.
親が動き出すケース.親子関係の膠着と無力感から,第三者の手を借りなければならないことを自覚するのだが,親自身が抱えている『家族の病理』に対する自覚に至っていないケースが多い.つまり,『家族』自身が社会から孤立し,その『閉じられた家族』の中での『幸福の追求』をしようとしている.
引きこもっている若者の年齢にもよるが,成人である場合,親離れ・子離れをしなければ,成人としての社会参加ができないのは自明の理である.第三者の力を借りようとはするが,家庭から突き放そうとはしない.<第三者>を障害者介護のホームヘルパーのように,家庭内に取り込もうとする.これはほとんど母親によって無意識に選択されている態度である.当然,本人は家庭内で安住することを保障されているのだから,第三者が働きかけても外の社会との緊張関係の中に飛び出していく気がしない.安楽な現状維持を選ぶ.
家族は最も基礎的な社会関係の単位である.家族が仲良くすることに別段の異議はない.
しかし,家族を閉ざしてしまうことは家族の『自己否定』である.つまり,成人した子どもを家族の中に閉じ込めては,家族の発展も継承もない.これも単純な自明の理であり『家族を開く』ことが家族の健全性を維持するために不可欠である.
同時に,親がどのように不完全な子育てをしたとしても,その親を恨み,反発し,親を否定したままの子どもはいくら成人していても,未成熟な個体であり,健全な社会成員とはなりえない.
(11月11日)