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NPO法人ニュースタート事務局関西

直言曲言(代表コラム)

平凡

 昔,≪総合芸能雑誌≫とでも言うのだろうか,『平凡』という月刊誌が発行されていた.『明星』という似た雰囲気の雑誌も出ていて,けっこう若者に愛読されていた.もちろん私も,愛読と言うほどではないが,読んでいた.その後『週刊平凡』というのが創刊されて,さらに男性向けの『平凡パンチ』という雑誌も出た.いずれも今は廃刊になったらしい.

 私が中学2年のあるとき,担任の教師が生徒に『愛読書』を書けという.この先生は,優等生である私のことも目にかけてくれていて,なかなか好感の持てる先生だったのだが,どうも生徒に対する理解の仕方が≪通り一遍≫で,今で言うと,まるで「マニュアル通り」のような接し方をする先生だった.
  私は愛読書を『平凡』と書いて提出した.案の定〔じょう〕この先生は引っかかってしまい,「おい西嶋,お前のような賢い子が『平凡』なんて雑誌を愛読しているとは何ごとだ」と,説教をした.私は教室でクラスメイト全員の前で先生に恥を書かせては損だと考えて,その場ではぺこりと頭を下げておいて,先生が教室から出て行く間際〔まぎわ〕に「先生!二葉亭四迷の『平凡』ですよ」と耳打ちした.見る間に先生の耳が赤らんでいくのがはっきりと読み取れた.悪い生徒であった.

 中学から高校時代にかけて,私は<平凡>とか<倦怠〔けんたい〕>とかの言葉が好きであった.実際に高校時代には,「アンニュイ(フランス語で『倦怠』)」というタイトルの小説を書いたこともあった.現実には,受験勉強もやらされ,人並みに失恋も味わったのだから,≪倦怠≫などとは程遠い青春を送っていたのだが,子ども時代の波乱万丈の貧困体験に比べると,中学や高校時代はある意味で私にとって退屈な時代であったのかも知れない.
  私自身のことはこれくらいで良い.やはり引きこもりのことを書かなければならない.

 引きこもりの子のお母さん方から相談を受ける.親にして見れば,たいていは真面目で従順な優等生だった子なので,我が子の引きこもりは『晴天の霹靂〔へきれき〕』である.『何事が起こったのか?』と思うらしい.引きこもり本人も真面目だが,親もそれに輪を掛けたまじめな人が多いので,子どもの幼いころからの『養育歴』を事細かに記録し,持参される方もいる.

 引きこもり始めてからの記録は私にも参考になるのだが,それ以前の延々と綴〔つづ〕られている『養育歴』はほとんど役に立たない.どこにも,引きこもりのきっかけになったであろうと推測されるような大事件は存在しないのである.つまり平凡な養育歴である.
  いや実は引きこもりになる小さな切っ掛けは存在するのだが,これは詳細な記録を書いている親には却〔かえ〕って見逃されている.むしろ,記録を読み終わった後,私からの質問でぽつりともらされることのほうが多い.記録を見ている限りでは,むしろこんな詳細な記録を書く神経質な親だから引きこもってしまったのではないか,とすら思える.

 『3歳のとき公園のブランコから落ちた』,『5歳のときに遊園地で迷子になつた』,『小学校の入学式で泣いた』,『中学1年のときいじめにあった』.それぞれの詳細な経緯付きで綴られている.こちらは,てっきりブランコから落ちた傷の後遺症とか,迷子になったのがトラウマになっているのかと,早とちりしてしまうのだが,そんなことはまったくない.そしてこうした事件と事件の合間には,明朗で快活,学校の成績も良く,クラス委員をしていたと言うような優等生像もしっかり綴られている.

 「ははぁ!これはあのカウンセラーどもの悪影響だな」と私は思う.カウンセラーや臨床心理関係者は,引きこもりや神経症の発症の原因を幼時の原体験,心の傷,トラウマなどのせいにするのが大のお得意である.
  ある種の精神科医は精神障害を器質的欠陥と考えてしまうので,これよりはましなのだが,原体験から心の傷を探しても引きこもりの治癒にはつながらない.こうした臨床心理学に多少の知識のある親が,原体験を記録して専門家である私に見せれば我が子の引きこもりの原因を突き止めてくれると思うのである.

 『それでいつ頃から引きこもり始めたのですか?』 私は尋ねる.
  『大学に入って1ヶ月ほどしてからです』
  『その大学は本人の志望する大学でしたか?』
  『いえ,本人はAという私大の芸術系学科に行きたがっていたのですが,成績も悪くなかったので学校の先生と相談してB国立大学の法学部を受けさせました.無事に合格できて…』

 これなんだよなぁ!親はむしろ,偏差値の高い国立大学を受けさせて無事合格したのだから,我が子に良いことをしたと思っている.

 これは一般化するために書いた平凡な事例である.家業を継がせるために,どうしても医学部を勧める親.『お前は女だから』と,東京ではなく地元の大学を受けさせる親.もちろん気の進まない大学を受けさせられて受験に失敗する例なども山ほどある.有名進学高校に入ったが,入学式で校長が『諸君はこれから高校生活を楽しもうなどと言う甘い考えでいてはいけない.これから3年間予備校に通うつもりでいれば,3年後には必ず栄冠が勝ち取れる』と言った.これは実話である.これを聞いて高校入学直後に引きこもってしまった子もいる.
  特別な事件や切っ掛けなどなくても引きこもる.受験勉強自体が大変なストレスの連続である.それでも自分自身が納得する目標があれば乗りきれるだろう.親がそれを『当たり前』のこととして押し付けようとすれば,その当たり前のことで引きこもるのである.

 親が一流大学出身で一流企業の幹部社員.それ自体,親に何の責任も咎〔とが〕もない.しかし,それだけの理由で引きこもる子がいる.要するに自分で納得できない『上昇志向』を押し付けられ,あるいは,親を含めて誰も押し付けていないのに,自分で『上昇志向』に囚われて引きこもる.上昇志向に囚われているということは,常に競争意識にとらわれていることであり,人間不信に陥るから引きこもるのである.

 引きこもりの原因探しなどしても仕方がない.原因がわかったからといって,引きこもりが解決できるわけではないからである.ストレスは取り除いた方が良いが,トラウマを見つけ出してきて,それを治癒しようとするのは愚〔ぐ〕の骨頂〔こっちょう〕である.
  昔いじめに遭ったことがあるとして,それが引きこもりの原因であると考えてはいけない.それが切っ掛けで,人間不信に陥ることはありうるが,いじめの体験自体を取り除くことなどできない.忘れてしまえば良いだけのことである.いじめ体験=人間不信だとすれば,それは錯誤である.いじめたのは一部の人間であり,すべての人間がいじめるわけではない.
  しかし,人間不信は理屈ではなく,根深い思いこみなのである.錯誤であることを気づかせるには,人を信じることの楽しさ,喜びを感じるような新しい体験が必要なだけである.醜い競争社会→だから人間不信,という短絡的なパターンが一番多い.しかし,これが果たして『錯誤』だと言いきれる人がどれだけいるのだろうか?これが『錯誤』だと言えない限り,平凡なひきこもりがますます増えていく.
(5月21日)