和了の形
和了,中国語である.広辞苑を引いても載っていない.「ほーら」と読む.麻雀ゲームの用語で和(あが)ること.つまり一回のゲームが終了することである.
和了にはさまざまな形があり,その形によって,上がった人に与えられる点数が違う.通常,1翻〔「イーハン」「翻」は得点の倍数計算の単位〕の和了から4翻の満貫,16翻の役満まであり,ルールによってはダブル役満などもある.それぞれの和了の形に平和(ぴんふー),とか三色同順など役名がついている.役満には九連宝灯(ちゅうれんぱおとう)とか四暗刻(すうあんこー),十三不倒(しーさんぷーとう)などの役名があり,いずれも滅多にできない役であるので,高い点数が与えられる.
麻雀は学生時代にかなり熱中したゲームであるが,最近は年に1度も卓を囲むことがなく,ルールも忘れかけている.
麻雀をするとその人の性格がわかるといわれ,とにかく勝ち負けにこだわる人もいれば,和了するときの役や形にこだわる人もいる.
前回『春』というタイトルで,引きこもりからの「卒業」についてふれたが,この「卒業」にも,麻雀の和了と同じように,さまざまな形がある.
引きこもりからの「卒業」とは,言うまでもなく,引きこもり状態から脱することである.引きこもりにもいろいろな定義があって,社会的引きこもりとは,社会参加しない(できない)状態のことであるから,それ(社会参加)ができるようになれば,一応の「卒業」と言える.
しかし,自宅から外出できない状態を引きこもりだと考える人もいて,この場合には,「自宅から出られる」状態になれば引きこもりから「卒業」できたと考える.対人不信から友人を拒絶している状態を引きこもりと考えれば,「友人」との交流ができるようになれば,これも「卒業」の形と言える.
引きこもりの親達が最初にわが子の<異変>に気付くのは,「不登校」状態が続いたり,大学を卒業したのに「就職しない」で家に閉じこもりがちになったときが多い.こういう親にとっては学校に通えるようになったり,子どもが就職したり,アルバイトをするようになると,引きこもりから「卒業」したと思うらしい.
確かにそれは引きこもり卒業の第一歩かもしれない.また第一歩を踏み出すのが難しいのも事実である.
私は,引きこもりにとっての重要な問題は,対人不信や友達づきあいができないこと,また,親に対する経済的,日常生活的な依存,とりわけ精神的な依存であると思っている.つまり,自立的な社会の成員という意識や自信がないことであって,家族というインキュベーター(孵化器)の中から,いつまでも出てこられないのである.
引きこもり状態にあった若者が,例えば私達の『鍋の会』に参加できるようになる.これも大きな第一歩であることは間違いがない.少なくとも,それまでは見知らぬ他人であった同世代の仲間やおじさん,おばさんたちに混じって鍋料理が食べられるようになったというのは,大きな進歩である.
この段階でたいていの親は,ひとまず胸をなでおろす.なにしろ,それまでは,ほとんど外出ができず,友達付き合いも拒んできた子が,定期的に外出し,その上,何だかお酒に酔って上機嫌で帰って来たりするからだ.中には5年も10年も続けた引きこもりの果ての子もいる.
しかし,こうして鍋の会に参加し始めたのに,3ヶ月もしないうちに顔を出さなくなる若者もいる.こちらは事情が分からないから,もう鍋の会の役割も必要なくなったのかと思う.
これはこれで一つの卒業だろう.時には,本人からの手紙やメールなどで消息が届くこともある.すると,『親が鍋の会に参加しつづけるのを反対するので』行けないのだという.この親にして見れば,「せっかく引きこもりから卒業できたのに,本人は復学もせず,就職もせず,ただ鍋の会に行くだけ」で,≪これではだめ≫と親がアルバイト先を探してきて,家とアルバイト先の往復以外,外出を許さないというケースである.
親としては,引きこもり状態からは脱出でき,親が生活を監視しながら,社会復帰をさせているつもりだから立派に卒業できたと思っている.
私達も,引きこもりからの第一歩を印した若者が,いつまでも鍋の会やニュースタートクラブ(若者の会)に参加しつづけているだけでは,だめだと思っている.周辺にさまざまなサブメニューを用意し,そうした活動の中での役割の分担などをさせている.また,第一歩を踏み出そうとする若者へのアシストなども,積極的に行わせている.本人達の自主性を尊重しながら,引きこもりから脱出した若者達による≪事業≫の立ち上げ,いわば起業活動も計画している.
しかし,3年・5年・10年と引きこもっていた若者の社会参加は,それほど簡単なものではない.半年や1年くらいは,まだまだリハビリの期間だと考えたい.
これを親が引き取って,むりやり<卒業>させてしまっては,引きこもりからの脱出の重要な指標である『親への依存からの脱出』『親離れ,子離れ』ができなくなる.これでは,麻雀でいうなら一応の形はできているのだが,和了に必要な『手役』がない形なのである.
麻雀にこだわった喩〔たと〕えをするなら,引きこもりの若者にもいろんな状態の人がいる.十三枚の手牌がバラバラの状態の子(自分にとっての課題や目標が見えていない子)もいれば,刻子(こーつ,同じ牌が3枚1組)や順子(しゅんつ,例えば3・4・5のように順番に並んだ3枚1組)などがいくつかそろっていて,聴牌(てんぱい,もう1 枚望みの牌がくれば和了)寸前の人もいる.親元に連れ戻されたりする子は,この聴牌を崩して一からの出直しをさせられるようなものである.
麻雀というゲームをしている以上,一翻(手役が一つ)や二翻の安上がりは,あまり勧められない.せめて三翻・四翻をめざし,何とか満貫での和了を目指してほしい.友達ができて,他人の大人とも平気で話ができる.親とも適度な距離感を取りながら,依存せず反発せず対話ができる.そして,健全な社会意識を持ち,自分の適性に合った仕事を通じて社会貢献ができることである.
引きこもりの若者の中には,その失われた時を取り戻そうとするかのように,役満という非常に難しい手役を目指し,決して安上がりをしようとしない若者もいる.同世代の若者に開けられた差を一挙に取り戻そうと,大きな手を狙うのである.気持ちは痛いほどわかるのだが,こういう子はなかなか和了できない.つまり卒業できない.
引きこもりは,麻雀のように他人や競争相手と点数を競うゲームではない.むしろ自分自身との闘いであり,形はともあれとにかく卒業することが必要なのである.
(4月2日)