放任主義
わが子の引きこもりを自分達の『過保護・過干渉』の育て方のせいだ,と決めつけておられる親は,かなり多い.面談などで,最初からその『反省』をとうとうと述べられる.
『ちょっと待って下さい.子どもの引きこもりは親の育て方のせいではありませんから…』と申し上げる.『育て方のせいではない』と百パーセント断言できるわけではないのだが,とりあえず親にそんなことを『反省』してもらっても,問題解決の役に立たない.むしろ,お子さんの状態を客観的に見る見方を身につけ,対処法を会得してほしいからである.
過保護・過干渉だったと反省する親は,その結果,わが子を『自立できない』状態に追いこんだと思っている.なるほど,それも引きこもりの一つの状態である.団塊の世代の親に多いのだが,自分の<自己実現>の夢を子どもに託し,幼い頃からさまざまな学習機会を押しつけ,次々にそれをこなさせて行く.子どもがある程度の年齢に達すると,表面的には子どもの『自立』を尊重するのだが,実は親が情報を集めて来て,選択肢を提示し,そこからの択一を強〔し〕いている.
こうした過干渉は,引きこもり事例の半数以上で見られる.半数以上は確かに多いし,引きこもりは親の過保護・過干渉のせいであると言っても,あながち間違いではないかも知れない.
過保護に育てれば引きこもる,厳しく育てれば引きこもらない,引きこもりはそんなに単純なものではない.
『真面目で,プライドが高くて,上昇志向が強い,友達がいない.』こんな引きこもりの必要条件は満たしているのだが,どうも引きこもりになるきっかけというか,十分条件が見つからない.私は親に,『過干渉や過保護に育てられたのではありませんか?』と聞く.すると『いいえ,うちはどちらかと言えば放任主義で』という答え.父親は仕事一筋のビジネスマンで,子どものことにあまり干渉しない,母親もそれに倣〔なら〕って子どもを自由放任で育てて来たと言う.
あるいは別の事例,引きこもりになった長男は,小さな時から勉強ができて手が掛からない.母親はむしろ,やんちゃ坊主の次男や妹の方に目が行って,長男は放ったらかしで有名進学高校に進んだ.そんな長男が突然引きこもり始めた.なるほど,放任主義で育てても,引きこもる子は,引きこもる.
直観的な比率だが,過保護・過干渉が5割以上,放任主義が2割.後の3割ほどは? 過保護でもない,放任主義でもない,つまり普通に育てて来たという.
もっとも,これは親からの聞き取りだから,過保護も,放任も,普通も親の主観である.いずれにしても,過保護で育てても,放任主義で育てても,普通に育てても,引きこもる子は,引きこもるのだ.だから私たちは,引きこもりは親の育て方の問題ではないと考える.
『過保護に育てたから自立できずに引きこもる』というのは分かりやすい.まるで,これが引きこもりの決定的理由のように見える.では,放任主義で育てて来た子がなぜ引きこもるのか?
心理学関係者は≪いじめ≫など精神的迫害のトラウマ探しを始める.もちろん,心的外傷(トラウマ)を持つ子もいる.しかし,それ自体を理由にして引きこもる子など滅多にいないし,少なくとも引きこもりから脱出した子に聞いて,『昔いじめられた経験があって引きこもりました』と言う子などいない.
それでは,私たちになぜそれが分かるのか?と問われれば,やたら経験を積んできたからとしか言いようがない.しかも,単にどれだけのケーススタディを手がけたかではなく,なぜこの子は引きこもったのかということを,常に幾つかの仮説を立てながら探ってきた経験である.仮説は,ある種の憶測であり,時には誘導的な質問をしたりする.ひたすら相手の話を聞き,受容することを良しとする臨床心理関係者にはできない仕事である.
放任主義で育てられた子は先刻,事例で示したように,放っておいても一人で勉強する子,少なくとも中学時代までの成績はトップクラスの子に多い.親は,やれ勉強しなさい,塾へ行きなさいなどといわなくても自分でやるのだから,放っておいても安心なのである.
こう言う子がなぜ,突然引きこもるのか?私たちは,引きこもりは社会病であり,さまざまな社会システムの破綻が引きこもりを生み出すと主張している.学校システム,教育システム,さらに敷衍〔ふえん〕すれば<知のシステム>とも言うべきものが破綻しかけているのではないか?これが私の仮説である.
学校教育の中で,教科学習が得意の子は当然ながら優等生の扱いを受ける.こういう子には先生も一目〔いちもく〕置いていて,他の子や劣等生のように叱りつけることはない.説教されるようなこともない.むしろ,他の子を叱りつけるときにも,この優等生を引き合いに出して『○○君を見習いなさい』などと褒〔ほ〕め上げたりする.
優等生の方でも,先生が生徒達に何を望んで,何を期待しているかが理解できるから,いろんな場面でリーダーシップを発揮したりもする.ますます優等生の地位は向上する.勉強して,知識を詰め込んでいけば,人間としても,尊敬を集め地位も向上すると言うことを学習し,ますます彼は自主的に勉強する.家庭でも成績が良くて,言われなくても勉強し,友達からも先生からも一目置かれている子であるから,親も子を叱ったり,説教することがない.彼がこのまま,挫折〔ざせつ〕しなければ,進学高校や一流大学への道は約束されたようなものである.こうして放任されたままの優等生が出来上がる.
しかし,彼には唯一だが最大の弱点がある.彼は自分の理解力,知識力に自信を持っており,彼の周りの友人は皆,彼よりも劣った存在である.彼は,何か迷ったりしたときに,友人に相談したりすることができない.友人どころか,先生や親に相談することさえ,プライドが許さない.
しかし,彼の理解力,知識力というのは所詮〔しょせん〕,教科学習の積み重ねでしかない.
しょっちゅういたずらをして叱られたり,説教されたりの劣等生の方が,叱っている相手の先生を観察したりして人間を見ているし,許しを乞〔こ〕うことや,時には嘘をついたり,とぼけたりという社会的技術を持っている.劣等生の方は,他人と徒党〔ととう〕を組むことが多く,教科学習は劣っても,知識の種類は豊富であり,人間についてもある程度の経験を積んでいる.親に叱られたりするから,親とのコミュニケーションも深い.
学校教育が一元的な偏差値重視になればなるほど,優等生はその軌道をわき目もふらずに歩いて行くわけだから,大人といえば学校の先生と自分の親くらいしか,まともに口を聞いたことがない.親からもあまり叱られないので,自分の理解や知識に頼る以外の方法を知らない.つまり,学校で教わったこと以外の難問に遭遇したときに,判断の基準がない.この判断基準を持たないということは,大変なことであるのだ.
例えばイデオロギー的に偏向〔へんこう〕であったとしても,右翼的または左翼的な判断基準を持っていれば,その基準によって始めて遭遇〔そうぐう〕した問題に対処できる.
所が,こういう放任優等生の親は,親もまた優等生であって,放任しているわが子にイデオロギーの注入などするはずがない.いわば,純粋であり同時に自分自身の存在感は限りなく軽く,また透明に近い.村上龍の小説の主人公や,酒鬼薔薇聖斗君の言う『限りなく透明に近い存在としてのボク』という意識はこれに近いものでなかろうか?
こんな子がどこかで挫折する.あるいは点取りゲームだけに精を出していれば良かった学校から,常に自己決定力を問われる社会に出るときを前にして立ち止まる.判断基準がないからアクションが起こせない.引きこもるしかないのである.
(3月15日)