お金の話―日本財団への謝辞を兼ねて―
先月も『有料ですか?』というタイトルでお金の話を書いた.そこでも書いたのであるが,NPO法人とは非営利活動法人という意味で,営利=お金儲けを目的にしていませんという意味だが,これがどうも胡散(うさん)くさい.
当のNPO自身が言うのだから間違いはない.実際問題,私自身,今のところ無給であるし,多くのお母さん方や若者達の無償奉仕的活動によってニュースタートは支えられている.もちろん,NPO活動の中にはサービス受給者に有償で負担していただいている活動もあり,そのサービス活動に携わる人には一定の枠で報酬もお支払いしている.また,NPO法人であるから,法人府民税や市民税も納付している.
どこが胡散くさいのか?
何よりも関西の事務局代表である私自身がNPOらしくもなく,いつもお金に困っている.いや,NPOらしくもなくではなく,NPOだからお金に困っているのかも知れない.多少の繰越金はあるものの,先の収入はいつも見えず,いつ活動不能状態になるかも知れない.
NPOとしてやりたいこと,やらなければならないことは幾らでもあるのに,資金がなくて踏み出せない.そこら辺りを見かねて,先月〔2月〕の例会にやって来たNPO法人理事長の二神氏は『本当にNPOを支援したいと思うならニシジマの前にぽんと1億円でも積んでやってくれ』といわれたのである.あれで,NPOはますます胡散くさくなった.
別に格好をつけてNPOなどと名乗っているわけではない.何なら株式会社ニュースタート事務局関西でも良かったのだが,@資本金がなかった,A株式会社ならちゃんとした営利目的で活動しなければならない,B株式会社に無償でボランティアしてくれる人はいないだろう……主としてそんな理由でNPO法人を名乗っている.
とにかく非営利活動であれ何であれ,会合を開くには会場費が必要であり,鍋の会の材料を買出しに行けば食材費が掛かる.電車に乗れば電車賃が要り,案内状を送るには郵送費が要る.
当たり前である.NPOというと,どこかお役所から予算がついて,それで運営していると思う人がいるが,政府や地方公共団体,自治体からは1円の補助もいただいていない.
ただ,ここでご報告をし,感謝の気持ちを表しておきたいのだが,日本財団(旧・日本船舶振興財団)から平成13年度「ボランティア支援事業」として選んでいただき,70万円の補助金をいただいた.その活動もこの3月で終了する.
この補助金はありがたかった.昨年の10月にこの70万円を入金していただいたのだが,それまで関西事務局の通帳に50万円以上の残高が記載されたことはなかった.それどころか1桁の万円単位であったり,私のポケットマネーで補填〔ほてん〕し,事実上は赤字であったことさえある.たいした赤字ではなかったが,それは補填する私のポケットが小さかったからだけのことである.いずれにしても,この日本財団の補助金をいただいたことにより,ある程度長期的な事業の計画を立てることができ.継続的活動が保証された.
『お金の話』は事務局の苦労話を書こうとしたのではない.ただ,ついでと言えば失礼だが,どこかで『日本財団』に謝辞を述べておきたかった.
『お金の話』はむしろ,引きこもりにとって深刻な話なのである.引きこもりの若者の多くは進学や就職を含めた『上昇志向』と家族・学校・社会からの圧力によって自信喪失し,対人恐怖に陥り『家庭』内に『冬眠』して逃げこもってしまう.<良い学校への進学→一流企業への就職>というのは,経済社会での安定した地位確保への志向であり,いわば貨幣価値優先社会の拝跪〔はいき〕である.
本人がそれを意識しているかどうかは別として,非常にお金に敏感だということができる.実は,その親達も同様に非常にお金に敏感な人達が多い.親は既に中高年に達しており,実際に引きこもりになる若者の親は,いわゆる中流以上の所得層が多いので,それほどお金に困っているのではない.(なぜか,所得が非常に低い層では引きこもりの発生が少ない.引きこもるゆとりがないとも言われている.尤も,引きこもりや精神障害になっても,親がその治癒に取り組むゆとりがないとも考えられる.)
引きこもりがお金の話に敏感なのは,自分が学校に行けず,就職できず,お金を稼いでいない.もしかしたら一生親に面倒を見てもらわなければならないかも知れない,という引け目があるからである.こういう若者は,親に余分な経済的負担をかけることをものすごく気にかける.20代後半あるいは30代になっていて,就職ができずに,寝食に関わるすべてのお金や負担を親にかけていれば,そのくらい恐縮して当然という考え方もあるが,ある意味で神経症的に自分の気持ちがコントロールできていないのであるから,親にお金の心配を掛けたくないという気持ちも過剰なほどになる.
こういう若者にとって『参加無料』という『鍋の会』は非常にありがたい存在であるらしい.反対にレンタルお兄さん,お姉さんという活動や,共同生活寮などは親に多大な経済的負担を掛けるのではないか,と恐怖の対象になる.親にして見れば,引きこもり状態が続くことの方が負担の持続と拡大になるので,引きこもりの解決に繋〔つな〕がるのなら,多少の一時的負担はやむを得ないと考えるのが一般的である.
これが一般的な引きこもりの親と子の考え方であるが,親にも子にも例外がある.引きこもりの若者の方の例外は,例外と言うよりもかなり多い事例だが,自分が引きこもりになったのは『親の教育の仕方が悪かった』と考え,親を困らせたいという一種の復讐的な気持ちから,親に浪費的な経済要求を押しつけるケースである.自動車やステレオやパソコンなどの高額商品の購入,不必要な物品の大量購入などを要求しつづける.
おそらく,親を困らせることによってしか,自分の苛立ちや閉塞感〔へいそくかん〕を伝えられないのであろう.もちろん,こんな要求に従っても,事態は改善するはずがなく,私達としては親の側にだけ向っている彼の感情を外(第三者)に向けさせるような活動を提案する.
もうひとつは,引きこもり問題の解決とお金の問題にからむ親の側の例外的な対応である.実をいうと,これも例外的とはいうものの,私達が遭遇するかなり多くの事例でもある.前回の『有料ですか?』にも書いたのだが,問い合わせや,相談を持ちかけて,何かが『有料』であると聞くと,慌〔あわ〕てて電話を切ったり,怖いものから逃げるようにして立ち去る親達である.何しろ金が命の世の中であるらしいし,うっかりすると人の弱みに付け込んで大金を巻き上げようとする人達もいないでもない.
警戒するに越したことはないと思うが,この人達のお金に対する警戒心は度を越している.よほどNPOという胡散くさい組織に大金を取られた事があるのかと思ってしまう.そんな事が続くと,こちらとしてもひどく気分が落ち込んでしまって,いっそのことすべて無料でと思うこともある.しかし,良く考えてみれば貨幣経済の世の中で『お金』と聞いただけで逃げ出すというのは,やはり異常としか思えず,子どもが引きこもりになり,『対人人恐怖』に陥るのはこの親達の『対金恐怖』のせいではないかと考えてしまうのである.
(3月9日)