直言曲言第319回 生 保
さてクイズです。
「『生保』なんと読みますか。そして意味は何ですか?」
本当は正解なんてないのです。でも、半年くらい前なら圧倒的に多くの人が「せいほ」と読み意味は「生命保険のこと」と回答したことでしょう。
回答率は分かりませんが、若者に人気の例のウェブサイトでは「生保」のことを「ナマポ」と読み、意味は「生活保護」のことを指すそうです。
漢字の熟語には音読み、訓読みなどが普通で例外的に重箱(じゅうばこ)読み、湯桶(ゆとう)読みなどがある。(湯桶読みとは二字の熟語の前半を訓読み、後半を音読みにする)「なまぽ」というのもこのルールに従えば、湯桶読みの一種には違いないのだが、あまり例の少ない半濁音を使うなど、耳に違和感を感じる。
このウェブサイトのユーザーたちは、大人たちが違和感を感じる言葉や用法をよく知っていて、わざとそういう言葉を使うのかもしれない。おまけに生命保険の生保と同じように生活保護の場合も生保と短縮して意味を通じさせようとしている。
言葉を短縮する方法は日本語にも多数あって、日本語学習が難しいとされる理由の一つだが、それは日常会話に頻発する用語が多く短縮しても誰もが即座に意味を理解する場合に限られる。
彼らは「生活保護」という言葉を日常的に使いなれているとは思えない。むしろ言葉としては無縁に近い言葉である。このルールを無視して短縮語を使うと、他人には理解されなかったり、隠語のように受け止められる。もちろん彼らにしても「なまぽ」や「生活保護」の言葉を彼ら独自の理解で使用しており、一般人が使う一般用語として通用させようなどとは思っていない。
さて「生活保護」とは何だろう。ウェブサイトユーザーに限らず、今どきの人のほとんどが使いなれない言葉で「制度」の内容など知らないだろう。「生活保護法」に定められている「制度」の一つで、貧困・病苦等で働けず生活の苦しい世帯に最低限の生活費を支給する「セーフティネット」の一つである。
現在210万世帯が受給しており、総額は3兆7000億円に及ぶらしい。今回、マスコミで「生活保護」が取り上げられているのは漫才芸人の母親が「不正受給」をしていたと言う件だ。不正受給には違いがないのだが、むしろ私には「不正支給」、というよりも政府の「でたらめ支給」が根本原因に思える。
生活保護とは国民に「最低限」の生活を保障するために支給されるものだが、その基準たるや1級地(物価等により地域別に級が定められる。東京都、高槻市などは1級)で母子3人世帯で約17万円、6人世帯で26万円などという。国民年金や給与生活者より支給額が多いこともある。また生活保護世帯の場合医療費扶助が青天井となり、100万円を超えるケースもある。支給額が「多い」と言う訳ではない。本当に手当が必要な人に、それだけ手厚い手当が行き渡っているのか疑問である。
私は子ども時代極貧の生活を送ったことがある。釜が崎での生活は最低以下の生活レベルであった。高校進学が決まり、奨学金をもらうことになったが、支給基準の所得であることを証明できない。
当時、釜が崎は課税番外地であった。税務当局でさえ、住民の所得を把握できていなかった。たとえ、把握できていても、課税基準以下であったり、住民の反発が恐ろしくて徴税などできなかったのが事実だが、課税されないと言うことは、市民としての権利も認められていなかったのである。
私は奨学金受給のため、特例として西成区役所で100万円の推定所得があると認定してもらい、ようやく奨学金を受給した。そんな生活レベルであったが、生活保護は支給されていなかった。基準以下の生活レベルであることは明らかであったが、生活保護などまるで認定する気はなかったのである。自分のことをしかも、半世紀も前の恨み事など言うつもりはない。もともと、この国の制度や仕組みなど信じていないのである。釜が崎が愛隣地区と名を変え、福祉重点地区のような名前になってもそこには人が生きて行く為の最低限の保障などなかった。
やがて、経済が成長して豊かな日本が実現したことになっている。私も、不就学児童一掃運動で学校に通えるようになった。しかし、高度経済成長と言われる経済成長は本当の幸福や最低限の生活保障を実現していくにはスピードが速すぎたと言えよう。つまりは名目だけの福祉の実現はその内実を置き去りにして行ったようだ。
経済の面で先進国の背中を追いかけ、いわゆるキャッチアップにかまけたのと同様に福祉大国にまい進するにあまり、制度の形だけを急ぎ、その内実や本当の生活保護の実現は置き去りにされていったということである。
漫才芸人の不正受給が露呈し、支給審査の杜撰さが暴かれると、支給審査担当者の人員不足があげられでたらめ支給の正当化が行われようとした。生活保護の申請や審査は「民生委員」が行うことになっている。
民生委員とは、全国の地域ごとに配置されているボランティアの福祉担当者である。人員不足であれば、適正規模にまで増員すれば良いではないか。確かに昨今は政府の財政困難が叫ばれ、国家公務員等の人員削減が言われている。しかし、民生委員はボランティアであり、人件費はかからない名誉職のようなものである。もちろん、活動経費や交通費などの若干の経費はかかる。財政規模の縮小は必要であっても国民の生活を守るための財政まで削る必要はない。
そもそも今、「小さな政府」と「大きな政府」の比較が問われている。小さな政府とは在位規模が小さく、必要な財政予算を縮小し、必要な施策を民間に、すなわち株式会社などに任せてしまおうと言うものである。税金を削減し、政府の財政負担を縮小しようと言うものであるから、一見国民にとって有利な政府のように見えるかもしれない。しかし、民間の株式会社、すなわち資本主義システムの一翼が公的な施策の実施を握ってしまうのであるから、庶民に必要な施策の実施は保障されない。
ご承知のように「引きこもり」の発生の根本的な原因の一つは、就職難、つまりは就業人口の過度の絞り込みと競争社会である。民生委員を大幅に増やせば、若者の就業環境は改善する。なにも、若者を民生委員にする必要はない。定年後の熟年の民生委員就任を促進すれば、それだけ若者の就業枠は増えるはずである。ボランティアに限らずとも、有償でしっかりした活動をさせればよい。
経済の高度成長期のような人手不足や小さな政府実現ばかりを狙う、時代錯誤の政治は自民党から民主党に移っても、本当の意味での庶民のための民主政治にはならない。生活保護の問題に限らず、明らかに日々の政治政策に表れているのは反人民的な施策である。
2012.6.12.