祝100号
この「直言曲言」が掲載される「ニュースタート通信(関西)」は第100号になるらしい。関西事務局は1998年10月に発足しているので、この6月には12年と8カ月になる。月間の通信が100号になると言うことは、8年と4カ月になる。つまり、関西の通信の定期発行は発足後4年と4カ月後ということになる。と言っても、それまで「通信」のようなものを全く発行していなかったわけではない。
最初は千葉本部の事務局通信に関西のありさまも掲載してもらい、お届けしていたし、定期的な読者も少なかったが、次第に関東と関西の活動が独自のものになり、「通信」も独立して発行する必要がでてきたからである。
また通信の定期発行が出来るようになったということは、関西事務局の運営も私(元代表西嶋)の単独運営でなく、協力スタッフが増えて、編集・発行体制が整ってきたことを意味する。事務局通信は決まり事ではないが通常はA4・8〜12ページである。編集・発行作業は編集長一人の単独作業である。紙面の企画や筆者への原稿依頼、事務局記事の執筆まで一人でこなす。「通信」は毎月発行しているが、編集会議はほとんどやっていない。
もちろん事務局スタッフの話し合いは月に4〜5回は行っているから、スタッフ間の意思疎通は十分にできているが、個別の「通信」企画に付いて了解を求められたことはついぞない。記事の分量から考えれば、確認を求める必要もあろうかと思うが、確認がないからと言ってのスタッフ間の意見の食い違いは殆どなかった。「通信」の編集長はスタッフの持ち回りだが、スタッフとしての経歴が浅い人もいる。編集長は、実質的に事務局の責任者に等しく、すべての情報に通じている。
私は学生時代に、大学新聞の編集発行責任者をしていた。週1回発行のブランケット判(朝日・毎日などの全国紙と同じ大判)8頁である。そんなことにかまけていたので、留年したのである。それだけに、新聞の定期発行を、しかも一人で行うことがどれだけ大変なことなのか良く分かる。新聞や通信というものの役割にこだわるわけではないが、それが真実を伝えなければ、読者にはその組織や運動の実態は伝わらない。大げさに言う訳ではないが、これまでの通信発行責任者には敬意を表している。単なる役割の分担ではなく、人格的にもその運動を代表するような存在であったということである。これまでの何人かの「通信」発行責任者はニュースタート事務局関西を代表するにふさわしい人格であった。
「通信」100号を区切りとして発行責任者は交代する。あるいは、彼(彼女)にとって、これはニュースタート事務局関西のスタッフとしての最期の仕事になるかもしれない。彼女も最初は元引きこもりとして、事務局に現れた。「お手伝いがしたい。」ということであった。私は「元引きこもり」という「引きこもり経験者」を必ずしも高く評価しない。自分の経験を過大評価していると、却って他者の心理を分かった気になりすぎて、同伴者になりにくい傾向がある。「NSP研修会に参加して下さい。」と勧めた。
研修会でも彼女は寡黙であったが、先輩の訪問担当者の言動を慎重に理解しようとしていた。先輩のNSPに同行し、ニュースタートパートナーとしての経験を謙虚に積み重ねた。NSPとしての壁も経験したが、「通信」の編集者として事務局活動を縁の下から支え続けた。NPO法人としてのニュースタート事務局はもちろん貧しくて、事務局員に十分な報酬を支払う余裕はない。つまりは他人さまの引きこもりにパートナーとして同伴し、他人の将来を左右しかねない重責を負いながら、十分な報酬も得られず、仲間内での評価は別として、社会的な評価は不分明である。
本人は、元引きこもりからは立ち直ったものの、社会人としてはどの程度通用するのかは分からない。NPOではない一般社会で、他流試合に挑んでみたい気持ちはよくわかる。本人はそんなことは口にしないが、一般社会で業務能力が通用するのか、疑問で不安だろうと思う。私自身、会社社長として、株式会社を経営してきた身として、「通信」の発行者として彼女の手腕は同世代の大学卒業者と比肩して決して見劣りするものではないと太鼓判を捺しておきたい。
ところで「直言・曲言」は今回で「第318回」だが、通信は100号である。つまりこれまで「通信」に連載してきた「直言・曲言」は3分の1以下である。他はどこに掲載しているかと言うとニュースタート事務局のホームページである。ホームページは定時発行ではないが、新原稿があれば随時更新する。つまり通信は月1回発行であり、「直言・曲言」はほぼ3倍の月3回ぐらい発表してきた。今も連載は蓄積して掲載されている。6年ほど前に脳梗塞を発病し、私自身の思考能力は明らかに落ちたが「直言・曲言」を休筆するつもりはない。
「直言・曲言」はご存じのように「引きこもり」の社会的原因や対策に付いての私自身の随想のようなものだが、執筆を始めた頃、私の頭の中は書きたいことで一杯であった。だから、執筆ペースを落とすことなど考えられなかった。だからある意味で「曲言」など書く余裕はなく、「直言」の連続であったような気がする。
脳梗塞発病後、疲れて思考能力が落ちて来て、最近は300回を超えた頃から、テーマが思いつかず月に1回、つまり通信に掲載してもらう分だけを執筆するのが精一杯である。300回を超えた頃から、過去テーマとの重複も検証しづらくなり、最近になっておかげさまで「直言」だけでなく「曲言」もたくさん混じるようになってきた。
私は前述の大学新聞をはじめとして、生涯に3〜4つの機関紙誌や広報誌発行の仕事をしてきた。だから、広報・PRの仕事の重要性を強く認識している。ジャーナリスト本来の使命感もある。企業のPR活動と言えば、宣伝・広告活動と同じだと考える人もあるだろう。実際に企業の自社商品のPRと言えば誇張も手前みそもあるだろう。一般紙・全国紙といえども、広告スポンサーに対する配慮もあり、常に真実の報道に徹することは難しいかもしれない。
NPO機関紙とは言え、NPOも業務活動もやるのだから、手前味噌のPRがないとは言えない。しかし、「通信」で「きれいごと」ばかり書けば、内情を知っている人に呆れられ、信頼を失ってしまう。もちろん、できればNPOの活動を最大限お知らせし、活動に好感を持って欲しい。そこでは、誇張やすり替えなどを戒めながら、客観的に最大限PRしなければならない。幸いなことに、ホームページや「通信」を読んでニュースタート事務局の活動に好意的関心を抱いてくれている人は多い。歴代の編集長が成功裏に編集の仕事をこなしてきた証左である。私事ながらここに感謝を申し述べる。
2012.5.16