直言曲言 第300回 無 縁
近頃『無縁社会』と言う言葉をよく聞く。NHKのTV番組でルポルタージュや討論などの特集をよく放送しているからだろう。「AとBとは無縁である。」などとは聞いたことがあるが「無縁社会」などの言い方は耳慣れない。おそらく誰かの造語で社会学的な概念を指しているのだろう。社会学としてはなじみのある概念で、人間と人間の「絆」つまりつながりの薄れた現代社会のことを指しているのだろう。1960年代以降の高度経済成長やそれに伴う人口の都市集中、地域社会の崩壊、コミュニティの喪失のことを指している。60年代の後半に学生時代を過ごした私としては「コミュニティの喪失」は当時の社会学の中心的なテーマであった。今どき、TVで『無縁社会』などと言われても「何のこと?」と思ってしまう。最近「無縁」と言う言葉自体と無縁になっていて、わずかに「無縁仏」と言う言葉を耳にするくらいである。無縁仏の方も「人と人とのつながり」に関係するが、こちらは血縁が途切れて供養する人もいなくなったお墓のことを指す。意味合いは似ているけれど言葉としての使われ方はより限定的であるようだ。
さて現代における『無縁社会』は派遣社員などの社会的弱者が人とのつながりもなくしてしまい、スラムなどで孤独死してしまったり、派遣切りに会った人たちが同時に住む家もなくしてしまったりする状況に触発されて浮かび上がってきた社会的課題であるらしい。「…らしい」と言うのはあやふやで、頼りなげな表現ではあるが、40年も50年も昔に「地域社会の崩壊」を学んだ私たちにはその根本的な社会事象を問題にせず、その結末としての孤独死の増加などだけを取り上げるのに「奇異」を感じるからだ。10年ほど前に「引きこもり問題」に取り組み始めた時にも私は「地域社会の崩壊」を最初にその遠因と直感した。地域社会の崩壊によって人と人とのつながりが切り離され、人々は競争社会での孤独な戦いを余儀なくされ、すべての失敗を自己責任の名のもとに切り捨てられ、人間不信や対人恐怖に陥れられているのではないか?と思った。
『無縁社会』に対する問題意識は私も共有しているつもりで、番組に対する関心もあるのだが番組参加者や司会者の発言を聞いているとどこか他人事で、「何とかする」と言う意識はあるのだがその結果事象だけを福祉目線だけで捉えていて違和感を感じるのだ。「福祉目線」と言う言葉も奇異に感じられるかと思うが、他人ごととして「憐れみ」を感じて、施しをしてあげると言う「上から目線」を感じるのだ。つまり『無縁社会』は良くないことであるがそれ自体には自分たちの責任を感じていず、結果に「憐れみ」を感じて何らかの施しを授けようとする無責任な態度を感じるのだ。この「福祉」批判とも受け取られる私の言葉は、なかなか理解して頂きかねるのかもしれない。
私は子ども時代、大阪の釜ヶ崎育ちであるがその時の感覚が私の言語感覚を支配しているらしい。昭和36年に西成事件と言う第一次釜ヶ崎騒動が起こったが、この事件後特殊スラムとしての釜ヶ崎を解消しようとした自治体としての「大阪市」は釜ヶ崎のことを「あいりん地区」と呼ぶことにした。釜ヶ崎にある行政上の組織はみな「あいりん○○」と名付けられている。行政的には「あいりん」で統一されるようになった釜ヶ崎だが、地域の労働者や住民は相変わらず釜ヶ崎とか「カマ」と呼び続けている。私も「ふるさと」とも言えるこの地区を釜ヶ崎と呼んでおり決してあいりん地区などと呼ばない。当時の命名経過は知らないがあいりんは『愛隣』に違いない。キリスト教の聖書にある「汝の隣人を愛せよ)から名付けており、つまり「隣人と仲良くして」というメッセージである。しかもそれをわざわざひらかなで「あいりん」と表記して宗教色を消そうとしているのだが、地域住民は宗教色以前にあいりんのリンを同じ音の憐、つまり憐れみを指す言葉と感じてしまい、行政の上から目線の名付けとして意識してしまい自称する地名にはなじまないのだと思う。話は脱線したが、社会的課題としての認識と福祉的・上から目線とはなじまないものだと思う。
『無縁社会』の傾向がいつから始まったのかは厳密に指摘できないが、コミュニティの言葉があるように人間が集団で居住し助け合って生きることの意義はかなり以前から認識されていたはずだ。それが急速な近代化や競争社会の激化の中で、人と人とのつながりをむしろ疎ましいものとして意識するようになり、人と人とが距離を取って暮らすようになった。私にとっては1960年代の社会学体験でちょうどその時代の経済の高度成長と結び付けられるが、20世紀初めに生まれたリースマン(アメリカの社会学者)の「孤独な群衆」に語られている社会学概念であり、20世紀を通じて人類が体験した孤独な悲哀であったらしい。つまり富裕を目指す競争は必然的に人の孤立をもたらしやがては無縁社会に至るとリースマンは既に見抜いていたのではないか。
近代化と高度成長がもたらしたものは競争社会であるとともに都市の人口集中、団地やマンションなどの高層住宅、核家族、無縁社会…。人口の過密化が逆に人々の孤独化を招くと言う逆説的な成り行き。この近代化の中で必然的な傾向のように生み出される引きこもりの群像。人々が富と幸せを求めての経済行為、子どもの幸せを守ってやろうとする親の愛情が子どもを競争社会に追い込んでいく。このパラドキシカルなジレンマが歴史の必然だとしたら、引きこもりの発生は単なるオリエントの儒教国に生まれた奇妙な風土病などでなく、人類の歴史の必然的過程であるのかもしれない。
『無縁社会』がそのような歴史過程に登場する一幕であるなら、他人ごとや上から目線で福祉政策を語っている場合ではなく、無縁社会をもたらすものを全力で阻止しなければならないのではないか。
弱肉強食の世界では食事をするのも必死だ。横取りされぬように奪われぬように周囲を警戒しながら餌をむさぼる。牛丼屋のカウンターで一列に並んだ人たちが同じ方向を向いて黙々と食事をする風景は哀れさと殺気を感じる。それが孤食であり、個食なのだろう。無縁社会の食事はいずれどこの外食チェーン店も同じような風景になるのだろうか。われわれには無縁社会を憐れんでいる暇はない。鍋の会は共食共同体と言う家族やコミュニティの原点の一つである。われわれは大げさな活動を展開をしているつもりはない。無縁社会に向かってなだれ込んでいく日々の出来事に対し、せめてわずかな抵抗であっても10年は続けてきた。おそらく次の10年も続いていくだろう。
2010.11.11