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NPO法人ニュースタート事務局関西

直言曲言(代表コラム)

直言曲言 第297回  漂 流

 私は昭和19年10月生まれで、現在65歳。27歳の時に結婚し、翌年長女が誕生した。長女は37才で、引きこもり世代でいえば最年長の部類に属する。もちろん、引きこもりの中には40才を超える人もいようが、私の持論でいえば、引きこもりは高度経済成長期以後の生まれで親は概ね団塊の世代。15才程度の思春期からが引きこもり適齢期で長い人では25年もの引きこもり歴を持つ人もいる。バブル経済の崩壊による就職難・就職冬の時代・就職氷河期が引きこもり大輩出のきっかけとなっており、約20年前に15才〜22才が最年長の部類と言ってよい。引きこもりそのものは50才でも60才でもありうるが私たちが問題にする「社会的引きこもり」とはその原因や性質を別にするものであろう。

 引きこもりを考える会の月例会や父母懇談会で引きこもりの相談を受けている時、お子さんの年齢が30代の『後半だな』と思える時、親御さんの年齢を尋ねると、案の定私と同世代であったり、せいぜい2つ3つ前後であったりする。子どもの成育環境や年代が近いだけでなく親のライフステージも似ているので、なんとなく親近感を持ったり同情したりする。引きこもりに至るプロセスは理解できるが、相手はその解決法を相談しに来ておられるのだから同感してばかりはいられない。自分自身の子育てを振り返っての「自己批判」的な反省を含めて多少辛口の批評を試みるのがいつもの私のやり口である。同世代、同ライフステージであることを前提にすれば子育て環境はそれほど違う訳ではない。

 戦中から戦後の生まれで、多くは団塊の世代。高度経済成長期に子ども時代を過ごし青年期に全共闘運動に身を投じたかどうかはともかく、時代は若者の反乱期。世界中の各地で繁栄と安定に対する疑問が渦巻いていた。そんな時代を無事にブレークスルーしてやがて結婚、人の子の親に。

 無事に通り過ぎたからこそ、悲惨な敗北に沈む若者の一群から目をそむけ、市民的平和を大切に守り育てて来た。無事に結婚し、生まれて来た我が子。わが子だけは幸せに育ててやりたい。幸いなことに安定成長の時代、経済的には豊かな時代になったが相変わらず競争の時代は続いている。大きな望みは持たないけれどわが子には人並み以上の力は付けてやりたい。子どもに人並みの学力をつけようとすることなど、まさか子どもに不幸を招くなどとは思わない時代。オイルショックを経てバブルの時代.何が信じられる価値なのか分からない時代。いつの時代にも生きていける知恵と学力だけが信じられた。決して、子どもに受験競争を強いたつもりはない。親がしあわせになる道と信じているのに、逆らって別の道を選べる子どもなどいない。親子の対話の中で、50通りも100通りもの変幻自在な表情をして見せる親。親の望まない道は何なのか、分からない子どもなんかいない。

 私とて、人の子の親として、引きこもりの子の親たちとほとんど変わらない経験をしてきた。ただ、私の場合、生き方を子どもに押し付ける前に、長女から『先制パンチ』を受けてしまった。長女が小学校高学年の時「お父さんやお母さんのような生き方はしません」と丁寧だが冷徹な宣言をされた。もちろん最初は何のことだが分からなくて悩みまくった。どうやら在日韓国人の先生がわが娘に吹き込んだ人生哲学であったようだ。親の身上書を読んで両親ともに国立大学出身と知った先生が、進学教育への申し出でに先制の反撃をくらわしたらしかった。出身大学でそんな思い込みを受けるなんて心外ではあったが、娘が受験教育を遠ざけるのならそれもよしとして数年を過ごした。おかげで教育に過敏な親のそしりも受けなかったし、子どもの引きこもりも体験せずに済んだ。

 ただ、心情的には普通の親である。子どもを受験戦争に追い込む親の気持ちもわかるし、それほど難関校の受験を強いたつもりはないという気持ちも理解できる。ただ、親の気持ちが理解できると言うだけでは役目を果たせないのが私たち引きこもり支援グループなのである。むしろ親には分かりにくい子どもの気持ちを教えて欲しいと期待して私たちのもとを訪れるのである。もちろん、私たちには12年の経験がある。今ではたいていの親の疑問に応えられる。しかし12年前はどうだったろうか。親の疑問のパターンはせいぜい10パターンくらいである。その10パターンに出会うまでは、私たちにとっても初体験であったはずである。体験だけではない問題への対処の仕方は学んだ。子どもたちが、思いがけない反応を示す時、大人たちはどう応えるべきかは理解出来た。大人たちがこれまでの社会体験や、価値観にこだわって、思いこんでいる反応様式は子どもたちには通用しないということだ。どちらが正しいかということではなく、大人と子どものコミュニケーションが通じない理由はここにある。親子でも夫婦でも友だち同士でも相手の気持ちが通じないのは、独善的な価値観にしがみついて、相手の考え方を理解しようとしないことに原因がある。

 引きこもり問題でも、パターン化する前の奇妙なケースに遭遇することがある。もちろん、親には理解不能な子どもの出方である。そんな時私はすべての経験に基づく価値観を放棄して、気持ちを漂流させてみる。大人の固定観念では見えなかった怪物の実態の輪郭が見えてくる。大人たちの固定観念では○や△や□ばかりだが、子どもたちの想念の世界ではそれらが巨大化したり組み合わさったりしてまるで化け物の世界のように不定型である。子どもたちの想像の世界をまるで化け物の世界のように言ったが、彼らが住んでいる社会が既にそのように変形してしまっているのだ。変形してしまった世界でまるで昔と少しも変わらぬ姿で生きられる大人たちの方が異常なのではないか。私も普段は普通の世界の普通の親の一人だが、時々意識的に常識と言う固定観念を捨てて無意識の世界に精神を漂流させてみる。すると、親たちが理解しがたいという子どもたちの一見、理解しがたい異常な姿が見えてくる。おそらく『はだかの王様』のように子どもたちだけに見えている真実の世界なのだろう。「2チャンネル」と言うのは私の大嫌いな匿名サイトだが、時々普段の私たちには見えない「はだかの王様」について触れられていて『ドキリ』とさせられることがある。

 


2010.07.20.