直言曲言 第264回 終の棲家(ついのすみか)
今回も「引きこもり」とは無関係な話である。直言曲言も264回も続けているのだからときどきは筆者自身のプライベートなつぶやきが出てきても良いかなと思っている。私の住まいは高槻市の南部、ニュースタート事務局関西の事務所から車で7分ほどの場所にある。早いものでここに越してきてからもう30年以上になる。私にとってこの家は結婚してから3軒目、持ち家としては結婚する前、親と一緒に暮らした家も含めて初めてである。最初からそのつもりであったわけではないが、この歳になり生活費にも足りない給料しか得られない身となっては、雪に埋もれることはないが「ここがまあ終の棲家か」と思う次第である。私がこの家を手に入れたのは、結婚して6年目3人目の娘が生まれた後、当時賃貸の公団住宅に住んでいたが傾斜家賃制度とかで年々家賃が高くなることになっていた。不動産屋の勧誘を受け、不動産購入の頭金などなかったのだが、傾斜家賃が高くなってしまうと、ローン返済額よりも高い家賃を支払うことになると聞かされ、にわかに決意してしまったのである。女房は家を買うことになると、返済後の生活設計や家の立地などあれこれ考えようとしていたらしいが、私は不動産屋のお勧め物件の今の家を見て即座に「これで良い」と決めてしまった。
30坪ほどのミニ開発地に容積率とけんぺい率ギリギリに建てられた二戸一(にこいち・連棟式)の二階建てプレハブ住宅である。娘たちはいずれもこの家で成人し二人は結婚して出て行った。娘たちは、不動産チラシなどをよく見ていて理想の住まいなどを夢見たようだが、申し訳ないが理想の住まいの実現は結婚相手の男性にお願いしてほしい。娘たち二人が出ていってしまった今では4LDKの我が家は広すぎるくらいで車いす生活の私は二階にも上がったことがなくベッドのある居間に寝たきりである。
自力で遠くまで出かけられない私は暇になると庭に出て草花を眺める。いえ、道端に出て庭を眺める。猫の額ほどの敷地にぎりぎりに立っている家なので庭と言えるほどのものではない。家と道の間の隙間だろうか。それでも私は引っ越してきた当時、庭の手入れにいそしんだ。田んぼや畑を埋め立てて宅地にしたところらしく当初は土質が悪かった。草花を植えようと思って土を掘り返すと、建築廃材の石ころや瓦片がごろごろと出てきた。それを取り除いては園芸店で買ってきた植木土と入れ替えた。永遠に続くのではないかと思われたそんな作業にも飽きてきた頃、私はまた仕事に追われ、庭土にも興味を失っていったのだろう。そもそも私は園芸になど興味を持っていなかった。大阪の貧民街で借家暮らしで育った私は持ち家というものには憧れていたが、家をきれいに見せるとか飾り立てるということには無関心だった。高層の公団暮らしだった三十数年前に長女が生まれ、父が死に一息ついたころベランダ園芸を始めた。二つの命の生き死にを体験して、急に生き物に愛しさを感じるようになったのだろう。それでも庭の草花は放ったらかしでビジネスにばかり性を出していた。私が再び草花を育てるようになったのは十一年前にニュースタート事務局関西を始めてからだ。
社長を退いて私の収入はゼロになった。妻は小遣いを与え続けてくれたが、それまでのように酒を飲み続けるわけにもいかなかった。外でお酒を飲むのに比べれば園芸店で草花の苗などを買うことは安価な楽しみであった。近くの園芸店に通った。伝統的な草花や片仮名の名前の珍しい草花。買って来ては植えるのだけれど、花が咲いて枯れるとさびしくなって又新しいのを買いに行く。中規模の園芸店にはもう新しい花がなくなってしまった。狭い庭だけれどその頃は約80種類ほどの草花が植えられていた。買ってきたのはその程度ではなかったけれど花が終わってしまうと行方が分からなくなってしまいやがて涸れさせてしまったのだろう。3年半前に脳梗塞で倒れ、半年以上入院生活をしていた。退院して昔のような行動力がなくなると三度(みたび)庭に目を奪われることが多くなった。80種ほどあった草花は、今は三十種ほどである。私が植えた草花は枯れ果てたのか、土質に会った種類だけが生き延びたのか、それとも妻が植えかえたのか?今見渡せば庭には三十種類ほどの草花。私が育てていたころに比べていずれも根が張っているようで勢いが良い。この時期見渡せばパンジー、ヴィオラ、ペチュニア、ゼラニウム、蔓バラ、ランタナ…十一種類の花が咲いている。この間まではテッセン(クレマチス)の花が咲いていて、もうすぐ紫陽花のつぼみが開きかけているから初夏には10〜12種類の花が咲く。今頃の季節は花の数が多い方だろうが、花というのは春から秋にかけて咲くものとは限らない。見ていると真冬でも何種類かの花は咲いている。春先になると長日性の花が咲き始め、秋になると短日生の花が咲くようになる。
自分で一生懸命に育てていたころには、一年草だとか宿根草だとかが気になっていたのだが、妻に任せている今ではあまり気にかからなくなった。というよりも一年草と多年草の区別て何なのだろう?冬越して花が咲くのか。今植えてある30種ほどは、この数年毎年咲き続けている。樹木は当然だが、朝顔(厳密にいえばその変種らしいオーシャンブルー)でも昔は毎年のように種を植えていたし、採取した種を翌年植えると花が小さくなってしまったが、今では季節になるといつの間にか蔓を伸ばし真夏に大きな青い花を咲かせる。毎年苗を買って来て植え替えていたころは、花は庭のお客様だったが、毎年のように咲いてくれると身内のような気がする。私が倒れる前からずうーっと毎年咲いてくれる花がある。季節以外の時は目立たないのだが毎年同じ頃になると自己主張をしだして蕾が膨らみ、花が開く。毎年5月の連休には帰ってくる娘と孫のようだ。私が命の旅を終えてここにいなくなっても何年も咲いてくれているような気がする。毎年この季節になったら妻の心を慰めてくれるだろう。愛おしくなって話し掛ける。
終の棲家と言っても詠嘆の気持ちがあるわけではない。あの阪神淡路大震災の時も大きく揺れはしたが、今でも立派に立っている。仔細に見渡せば壁のどこかにひび割れくらいはあるだろうが、私の旅立ちまでは十分にもちそうだ。出来れば妻の旅立ちの時まで持っていておくれ。私にはあの山の上のお墓よりもここの方が安心して眠れる場所のような気がする。実は母のお骨の一部も死んでしまった愛犬の家の一部も庭にうずめてあるのだ。あれから花たちも元気に咲くようになったのかもしれない。お願いがある。私も火葬にしたら、お骨の一部を庭に埋めてくれないか。この庭を見つめていたいのだ。
2009.06.10.