直言曲言 第241回 寛 解
私たちは引きこもり支援活動をやっているので、精神病や精神病の宣告を受けた人と接することが多い。しかし、精神病らしき症状を呈している人に会ったことがない。むしろ、ニュースタート事務局の活動以外で、つまり街角や電車の中などでこの人は精神病ではないかと思ったことがある。奇妙な行動をとる人やぶつぶつと独り言をつぶやいている人である。それが精神病の兆候なのかどうかはわからないけれど、一般の人にとって精神病についての知見や経験などそんなものではないか。だからお医者さんが精神病であると宣告したとするとそれを信じざるを得ない。もちろん私たちが会ったことがあるのは急性的な症状が治まっている時や、病気宣告を受けてからかなり時間が経ってからだ。
私たちは訪問活動希望者や共同生活寮への入寮希望者には面接面談をする。どんな事情を抱えている人なのか分からないと対応の仕方が分からないからだ。その時自己申告書ともいうべき書類に記入してもらうが、そこに精神科などの受診歴を記入する欄がある。ここに記入された精神科などの受診歴がある人は約8割。そのうち約7割が統合失調症やうつ病などの診断を受けており既往症があることになる。ところが本人に会ってみると異常や障害のある人のようには見えない。聞いてみると、驚くべきことにそのほとんどが、医者の診断を信用していないのか、治療や服薬を勝手に中止している。私も精神科の医者を信用しているわけではないが、一度は精神科を頼ってその診断を受け、中には数年にわたり治療を受けたことのある人が、これほど医師の治療を無視してよいものだろうかと驚いてしまう。具体的に信用をなくすような出来事があったのかどうかは知らないが、少なくとも信用をつなぎとめておくような権威はなかったのだろう。
医者の中では小児科や精神科は難しいといわれている。他の診療科では患者はどこが痛いのかいつから痛いのか言ってくれる。小さな子どもや精神科の患者はそれが言えない。医者がそれをうまく聞き出したり、推量しなければならない。精神科は患者本人の精神が病んでいるのだから病状を告げることができないのだと思っていた。患者が何も言わなければ、精神科医も何も分からない。先例だけで判断し、むしろ患者の言い分を素直に信じないだけだ。患者を信じないのだから、患者も医者を信じなくなるのではないか。
比較的ポピュラーな精神科の病気に「鬱(うつ)病」がある。世界的には難民収容所に収容されている人に患者が多い。人口密度が高すぎること、食糧が不足していることなどによりストレスが強いのだろう。日本では職場の人間関係などのストレスにより、うつ病を発症する。難民収容所のうつ病患者は難民収容所を出してあげることによりうつ病から解放されるという。日本でも仕事をやめたり、休職したり職場を移ることによりうつ病から解放される人が多い。対人ストレスから解放されるからであろう。この点については多くのお医者さんも同意される。しかし精神科医はこれらの患者にも「治癒した」とか「完治した」という言葉を使わない。病気状態から解放された人を「寛解」したという。「ゆるやかにほどける」という意味で「緩解」ともいうが、難しそうな言い方で、一体治ったのか治らないのかがよくわからない。病気で縺(もつ)れていた状態がほどけてきたという意味らしい。病気は再発する可能性もあり、予後に注意をするに越したことはない。患者に安心させすぎないために「完治した」とは言わないのかもしれないが、寛解などと分かりにくい用語を使うのはなぜだろう。
ストレスによりうつ病が発生するのなら、ストレスが無くなり症状のなくなった人をなぜ完治したと言えないのだろうか?うつ病経験者には何度もお会いするのでわかるが「自分はうつ病体質なので再発しないかと恐れている」らしい。うつ病を発症しやすい体質というのはあるだろうと思われるからこれはこれで良いのだろう。しかし統合失調症の場合はさらに疑問である。もともと統合失調症の場合、これといった自覚症状があるわけではないらしい。精神科医の方でも確定的な診断根拠があるとは思えない。うつ病的な環境があったとは思えないのに自傷行為があったり、周囲に対する暴力や急性のパニック状態など常人の感覚からは理解できない症状を呈するとき統合失調症と診断されることが多いようだ。暴力的で周囲の人が扱いに困る時以外にも、妄想や幻聴など健康的な時には見られない症状を訴えても統合失調症であることを疑われるらしい。腹立たしいのは医学的な知識もない親たちが、自分の意に沿わない子どもたちを統合失調症ではないのかと疑うことである。
対人恐怖で就職できなかったり、学校を中退したりした人たちである。親は就職できない理由や学校に行きたくない理由については考えず、自分の考えにあわなければ精神病と考えるのは如何にも傲慢(ごうまん)である。こんな曖昧な根拠で病気認定されているのだからパニックが治まり常人と同じような日常を取り戻しても、完治とは言われず、「寛解」等と言われたのでは不安でたまらないに違いない。誤認逮捕で無罪を主張していた容疑者が無実ではなく処分保留で釈放されたようなものだ。
なぜこのようなことに怒りをぶつけるのか?統合失調症の診断を受けた人が、治癒して平静な生活をしているのに「薬を一生飲みつづけてください」とか「完全治癒」ではなく「寛解」と言われ、再発の可能性を示唆されるからである。医者を信用しているわけではないが、一応「自然科学」のころもをまとっているので、医者の言うことを否定しきれるほどの根拠もない。私にしても医者に対しては「不信」の塊であるが、医学に対して造詣があるわけではないので、医者の言うことを否定しきれないのである。医師としては、担当した患者が再発したら、名誉にかかわるのであろうか。どんな病気でもがんが転移するように再発しても不思議ではない。それを誤診として責任が追及されることはないだろう。小児科や精神科が難しいといわれ、それだけに精神科医師にはそれなりの矜持があるのだろうか?だから担当した患者が病気を再発させることが許せないのか?
「不確実性の時代」と言われ、何かと不安に襲われる時代である。だからこそ精神科医師に頼らざるを得ない時代である。テレビでは生命保険のコマーシャルが目立つ。火事が増えれば消火器が良く売れる。生命保険も他人の「不安」に付け込む不安産業である。誰でも自分の精神が正常であることにすがって物事を判断している。精神異常ではないかと不安にさせるような職業慣習はやめてほしい。
2008.10.03.