直言曲言 第240回 記 憶
日本語には「三歳児(みつご)の魂、百まで」という諺がある。三歳の時の記憶や習慣は百歳になっても忘れないという意味で、このことは一般に赤ん坊の記憶は三歳ころから始まると理解される。しかし私には三歳時の記憶はない。私は中学の時、450人ほどの学年で成績は一番だったし、9つの教科ですべて5段階評価の「5」で「頭が良い」と言われてきた。成績が良かったのは事実であるし、「頭が良い」と言われて気分が悪かろうはずはない。しかし「頭が良い」というのは「どういうことだろう?」と思ってきた。私の成績が良かったのは明らかに小学校を卒業しておらず、中学に編入を許されたとき学校に対する憧れを持っていて、授業や試験に集中していたからだと思う。しかし人々や先生も「頭が良い」ということはその人固有の能力であって、他人が追随できないことであるかのように言い、そのように扱われていた。
しかし私はそもそも「頭が良い」とはどういうことなのか?ということで悩んでいた。
私はクラス委員をやっていたし、先生方から絶大な信頼を得ていたので、あまりほめられたことではないが、生徒たちのデータを預かることがあった。ある時その中に、生徒の知能指数(IQ)に関するデータが含まれていた。知能指数とは、勉強の成果ではなく頭脳の能力そのものを測定した結果だと言われていた。そのデータによると私自身の知能指数は上位ではあるが、それほどずば抜けたものではなく、ある女の子は私より2割近く高い点数であった。その女の子はクラスでも中位の成績で、普段の言動にもさほど目立った特徴のある子ではなかった。それ以来「私はそれほど頭が良くない」という思いに支配された。否、むしろ頭が悪いのではないか?という疑念が頭から離れず、この歳になってもコンプレックスから逃れられない。私は3年前に脳梗塞を発病し、救急車で病院に運ばれた。60歳をすこし過ぎた年齢であったし、それまで健康になど留意したことがなかった。脳梗塞は脳の血管が出血しまたはつまり、意識障害などを起こす病気だが高血圧や肥満、高脂血症などが原因でなるといわれている。脳梗塞は直接死亡にもつながる病気であり、妻は当然私の死も予測したことであろう。私自身は救急車で病院に運ばれ治療室にいる間もMRIなどの検査を受けている間も意識は明瞭であり、死の恐れなどまったくなかった。ただ症状があらわれたのが人前で話をしている最中に自分の言葉が不明瞭になって、いくら言いなおそうとしても言葉がしゃべれなくなったからである。回復後の私の症状は左半身付随、言語障害などであった。脳神経の障害がこれらの原因であるから、私の心配は歩けなくなるだけでなく、話せないことや、痴呆のように思考ができなくなるのではないかということであった。もともと「自分はあたまが良くない」という心配があったので、このことは大きな恐怖であった。
「頭が良い」とはどういうことなのか?今では私はそう考えないけれど、頭が良いということと学校や試験の成績が同じだとすれば、記憶力と推理力それに直観力である。学校の試験ではたいてい1時間程度の時間が与えられている。実社会では物事を判断するのにそんなに時間をかけない。会議などでも質問に答えるまで、参加者は皆こちらを注視している。答えは直観に頼るしかない。直観といっても全くの思い付きではない。推理にしても直感にしても記憶に基づく知識が生み出す知識である。「三歳児の魂百まで」と言われているのに私には三歳時の記憶はない。この上、脳梗塞でさらに記憶が悪くなったらどうしょう?生きている喜びも楽しいことの記憶・思い出が頼りである。
私には二歳の時の思い出がある。三歳時の思い出はないのに二歳時の思い出がある。これはのちになってからの、父と母による思い出話が私に与えた「作られた」記憶である。私が二歳の時、そのころ地方政治家だった父を真似て、ちゃぶ台の上で腕を振り上げ演説のまねをしていたという。私の両親にとって、そのころは生活が安定していて、良き思い出の時代だったのだろう。そのうえ、長男である私は二歳で歩き始めたころ、片言を話し始めたころ、かわいい盛りであったろう。その後、失意の暮らしになってからもそのころの思い出は繰り返し聞かされた。そのうち私はまるで本物の記憶であるかのように思いこんでしまった。実際に私が覚えている幼いころの記憶は四歳のころからである。四歳のころ私は大分県の別府の均衡・鉄輪(かんなわ)という温泉町に住んでいた。私は都会から流れてきたよそ者であったが、地元の百姓の子らにいじめられたことを覚えている。人間は平穏無事なことより悲しい出来事や特別にうれしかったことをよく覚えているのかもしれない。
私は脳梗塞の発病前だったが老境を意識し始めたころ、朝鮮語の勉強を始めた。数年前北朝鮮の平壌を訪れたことがあるが、一言も話せずふがいない思いをしたことがあるからだ。初級の繰り返しだが今でも続けている。ラジオの初級ハングル講座は4月から9月、10月〜3月の半年で修了するが、一度の満了でマスターできるものではない。それにしても私はもう中学から大学の教養部まで学んだ英語に匹敵するほど初級朝鮮語を学んでいる。語学は繰り返し学習が良いとは思うが、ラジオで学ぶ以外は日常的に話す相手もいず、今でも初級後半になると知らない単語や言い回しが出てくる。たぶん、繰り返し学ぶあとから忘れてしまっているのだろう。テキスト代も1ヶ月380円だが何年間も繰り返し買っていると馬鹿にならない。
脳梗塞で入院したとき退院前のリハビリで、脳機能をチェックするために簡単な記憶テストや言語訓練を受けたことがある。どちらも無事にパスしたものの、記憶テストは楽勝というわけにはいかず苦労した覚えがある。そこで今でも自分に課している記憶力を確かめるテストがある。思いつくたびにやっているのだが、2つの言葉を覚えているか?確かめるテストだ。1つはある花の名を英語で言えるか?もう一つは昔覚えた哲学用語をラテン語で言えるかである。どちらも日常的に使う言葉ではないので、少しぼんやりしているときは思い出せない。思い出したときはあたまの中に刻みこもうとするのだが、数日後にはもう忘れている。すると、いよいよ痴ほう症になったのかと不安でいっぱいになる。老化するということは、物忘れがひどくなってもある意味では自然な現象である。私のように記憶力の低下をひどく気にしすぎるというのも、競争社会の中で受験勉強をした後遺症かもしれない。
2008.09.20.