直言曲言第192回 社会
引きこもりの根本的原因は『社会病である』。今では私たちはそういっている。しかし1998年当時、初めてこの会の活動を始めたときには、そのことに気づいていたわけではない。最初の例会は『大学生の不登校を考える会』であった。最初には私にはほとんど予備知識と言えるものはなかった。次々にご相談に見えるご両親は皆、我が子たちの精神異常を疑っていた。中学校や高校の不登校は一般的であったが、『大学生の不登校』と言うのは聞いたことがなかった。中学や高校ならともかく、大学の場合、不登校の原因が大学教育の側にあるとは思えなかった。それほど『大学』と言うものは『社会的権威』でもあった。だから不登校になる側の人間、つまり子どもたちの側に原因があると考えたのだ。しかし両親たちの話を聞いていると、子どもたちに精神的な疾患があるとは思えなかった。受験勉強を初めとする『競争社会』に原因があるのではないか?と言う仮説はすぐに思いついた。参加者に聞いて行くと、大学入学前からの引きこもり症状や、全く大学にいっていない子にも引きこもり症状があり、しかも大学生の不登校とまったく同じ症状があることが分かってきた。当時、精神科医の斉藤環氏が『社会的ひきこもり』と言う若者現象があることを発表し、他の精神病とは区別する見解を発表した。
社会的ひきこもりは当時から100万人規模であることが想定されていたから、一人一人の精神病的な病理が原因なのではなく、100万規模の若者に共通する社会的病理が存在するのではないかと疑われた。若者の症状については月日がたつに連れて分かってきたが、共通する病理とは何か分からない。あるときU君という30代の若者がやってきた。U君も引きこもりに悩む若者であったが、彼は塾の講師などのアルバイトを繰り返していたが、母親からは『自立』を認めてもらえず、批難されていた。彼はあるとき、ニュースタート事務局のホームページに『引きこもりは労働問題である』との短いメッセージを残して、やがて消えていった。
労働問題であることは、引きこもりの若者がすべからく働くことが出来ず、そのことに悩んでいたからすぐに分かった。『悩む』と言うことと引きこもりになると言うことはすぐには結びつかない。そこからは私の仮説のくりかえしである。今ではその仮説もほぼ検証され、私は自信を持って述べている。別に『仮説』が証明されたわけではないが、1998年以来多数の引きこもりに出会い、この仮説をぶつけてきたが、この仮説に矛盾するような事例には出会わなかった。
1991年バブルは崩壊し日本は未曾有のそして深刻な不況に見舞われた。企業も減益に見舞われた。人件費が最大の企業利益圧迫要因であった。ある経済団体は公然と正社員を減らし、臨時社員や派遣社員、アルバイトなどを増やすように指令した。同時に大手の製造業などは中国大陸や東南アジアなどに工場を建設し、本格的に海外生産を開始した。海外では人件費は日本に比べてはるかに安く、所によっては20分の1程度で行員を雇用できた。最初は建設投資や社員教育に投資が必要だったが、やがて工場は着実に稼動するようになり、企業利益は回復した。中規模企業もこれに追随するようになり、大企業の下請け小企業も相次いで海外進出するようになった。当然のように日本国内では若者の新規雇用は激減し、この頃が『就職冬の時代』とか『就職氷河期』と言われる時代である。大学を卒業しても就職できないのだから、高校生や中学生にも進学意欲や勉学意欲が薄れてくる。それでも全く就職できないわけではないから、競争はますます厳しくなる。目標が見えないまま厳しい競争に晒される若者は希望を見失って不登校や引きこもりになっていく。競争社会の中でライバル関係にされてしまった友人との間には、溝が出来、やがてそれは
すべての人に対する人間不信や対人恐怖に育っていく。
この『仮説』は『社会が若者の就労意欲を封じ込めている』とするもので理解しやすく受け入れられているようだが、これを『社会悪』とする見方には「拒絶感」が強いようである。「社会悪」とか「社会病」と言う見方には「社会」を正すべきだと言う考え方が根底にあるようで、今の若い人には抵抗感が強いようである。そもそも「社会」と言うのは自分の外にあり、だから自分以外のものに責任を押し付けるのは「卑怯」であると言う倫理観があるようだ。「社会」とは自分を含む共同体のことであり、社会のあり方を批評することは、そのあり方に対する自分の責任も含めて自覚するべきことであるのだが、「社会」とは自分を含まない「外部」のことであると理解していると、「社会」を批判することもなければ社会改革などと言う面倒くさい課題にも取り込まれることはないのだ。
『全共闘世代』とは1960年代の末から1970年代の初めにかけて全国の大学を席巻した学園闘争の全学共闘会議に参加した学生やそれに共感した数多くの若者たちのことである。それまでの政治的な学生運動に比べて、当時の『格差社会の是正』を課題にしたことから理解しやすく、参加者・共感者も広範であった。しかし、その後運動は衰退し、過激化した一部勢力は赤軍派を形成したり、ゲリラ勢力となり、やがて敗北し、沈静化していった。その過程では勢力内部のリンチ殺人や死刑判決を受けるものなどもあり、凄惨を極めた。かつて全共闘に共感した「ノンポリ(非政治)層」は全共闘運動に深入りしなかったことに安堵の胸をなでおろした。その後彼らは結婚して、世帯を持ち、今の『引きこもり』層世代たちの親になるのだ。彼らの『子育て』が成功したか失敗したかは知らないけれど、彼らは我が子たちに政治的な活動には参加して欲しくなかったし、『社会』にも不要な関心を持って欲しくなかった。引きこもりになってしまったかもしれないけれど『社会』に不要な関心を持たないと言う彼らの希望は叶えられたようである。
こうして『社会』に適切な関心を抱くと言う若者の関心は奪い取られた。『社会悪』と言う概念などないのだから、社会病理による若者の希望喪失まで、個人の病理や精神病という理解にとどまってしまう。ただひたすら自分を責め、自分の穀に閉じこもってしまう。
昨年の衆院選は与野党逆転の好機だと思われた。事前のアンケート調査でも選挙への関心は高く、若者たちの投票率も高くなることが予測された。若者たちの投票が増えれば、当然ながら野党側の得票率が増え、与野党逆転は確実だと信じられた。ところが予想通り、若者の投票率は高かったにもかかわらず、選挙は与党側の勝利に終わり、戦後初めての本格的野党政権の誕生は夢に終わった。ジャーナリズムや『進歩的知識人』の観測が甘かったのだが、若者たちは予想外に保守化していることが分かった。『勝ち組』から弾き飛ばされた若者たちも、『勝ち組』への憧れから、『格差社会』を推進する側に一票を入れてしまったのだ。なぜなら『格差社会』を批判することは『社会』を批判することになるからだ。
若者たちの透徹した『社会批判』の目を曇らせてはならない。その為には自己のうちなる社会を含めて冷静に社会を見つめる目に期待を持ちたいと思うのだ。
2007.05.25.