まだ見ぬ君へ
見知らぬ方々からたくさんのお便りをいただく.1998年の11月にニュースタート事務局関西の活動を始めてから,封書でのお手紙は約400通,今年2月にホームページを開設して以来,初めての方からのメールでの通信が100人を超えただろう.一応,そのすべてにお返事を差し上げてきたつもりである.そのうち,多くの方から再度のご相談があったり『引きこもりを考える会』例会に参加いただいたり,『鍋の会』に参加していただいたりしている.
でも合計約500人程度の私がお返事を書いた方のうち,だいたい2割,100人程度の方からはそれっきりお返事がなく,『どうなさっているのだろう?』と心配をしている.
封書でのお手紙の8割は,ご両親や他の身内の方からのご相談や問い合わせであった.逆に,メールで来るお便りの7割は,『引きこもり』のご本人や,元『引きこもり』の青年からの<サポーター志願>などの相談・問い合わせなどである.
『引きこもり』本人からの通信の場合,ホームページなどを見て「『鍋の会』に参加してみたい」と思ってメールを下さるのだが,<いざとなると参加する勇気が出ない>などで<返事が書けない>のだろうと類推している.仕方がない.
『こんにちは,僕は○○に住む26歳の大学生です.5年くらい引きこもりのような生活をしていました.それで,去年あたりから大学へは復学しはじめたのですが,相変わらず大学生活は辛いことに変わりはないのです.それで,もうすぐ夏休みだし,何かをしなければとは思うのですが,もうひとつ一歩を踏み出す勇気が湧いてこないのです.そんな時,ニュースタート事務局のことを知って,何かのきっかけになればと思いました.もし,よろしければ鍋の会に参加させてください.』
これは文面からも分かるように,最近いただいたメールの一通である.この人には<鍋の会参加歓迎>を伝え,会場の地図をお送りし,ご本人からも,『僕の場合,引きこもり状態からは脱出したものの,人との関わりという意味では,まだ引きこもっているような状態です.なので,自分としては,行ってみようか,行っても大丈夫だろうか,どうしようか迷っています.でも,できれば,参加を希望したいです.はっきりしなくてすいません.』という返事をいただいている.次の鍋の会当日この人に会えることを期待している.こんなメールもあった.
『こんにちわ.いつも例会や鍋の会などの予定の連絡をありがとうございます.今までは,行ってみようと思ってもその気持ちで終わっていました.でも最近は,行ってみたいけど,行けるかどうかは当日にならないと分からないから,予約などはできないな,という感じです.予約などをすると,行かねばならない強迫観念のようなものにかられて,しんどくなってしまいます.(中略)HPの篠山の鍋の会の報告を見て,とても楽しそうだと思いました.私も,行ける日が来るといいなと思います.もし,調子が良ければ,今月の「鍋の会」に参加するかもしれません.(曖昧な表現ですいません.)当日参加でも,いいのですよね?』
この人は22歳の女性.たしか一年以上前にもメールをいただいた.こんなに長い空白の間も,『参加する・しない』で悩んでおられたのかと思うと,《申し訳ない》という気がしてならない.何とか手を差し伸べたい気もするが,かえって《プレッシャーを掛けてはいけない》と,そっけないお返事だけ書いた.
しかし,『鍋の会』に参加申し込みをされたのに,当日参加されず,それっきり何の音沙汰のない人も少なくない.たぶん,参加申し込みをしたけれど,当日になって参加への踏ん切りがつかず,欠席してしまい,『約束を破ってしまった』と自分を責め,それきりメールも出しづらくなっているのではないだろうか?会場の近くまで来て,参加をためらっているのではないだろうかと,それらしき若者が付近にいないか,探索に出ることもある.
もし,この文章を読んでいる人の中にそんな人がいたなら,<鍋の会参加>を無断欠席したことなんか,何の迷惑も感じていない,また連絡を下さるようにお伝えしたい.
『はじめまして.ボクの名前は○○○です.今,23歳で,○○○大学法学部○年生です.ボクは今就職活動をしています.でもうまくいっていません.なぜかと言うと,入りたい会社がないし,やりたい仕事もないからです.サラリーマンになりたくない,という気持ちも心のどこかにあります.ボクは高校生のときから友達がいません.大学には一応行っているけど,授業にはほとんど出ていません.大学3年生のときに家出と退学を考えました.
いままでずっと我慢してきて,これからもずっと我慢しなければならないと思ったとき,もう我慢の限界だとボクは思いました.ボクには自信がありません.バイトは郵便局で仕分けのバイトを一度しただけ.去年の夏に合宿で免許を取りに行ったのですが,1週間もたたないうちにギブアップしてしまいました.ボクはほとんどひきこもりです.ひきこもる場所がなかった.自分の部屋がなかったし,今は母親の実家にいるので,ひきこもろうにもひきこもれない.
サラリーマンになりたくないなんて親にはいえません.誰も相談相手がいません.ボクもフリーターは嫌だし,いつまでも居候するわけにも行かないし,どうすればいいのかわかりません.努力が足りないと言われればその通りだし,甘いと言われれば反論できません.
でもボクは苦しいです.何のために生きているのかわかりません.自分には存在価値がないのじゃないか,とよく思います.もし何かアドバイスしていただければいいなと思います.どうかよろしくお願いします.』
この人(学生)は<フリーターズネットワーク準備委員会>の朝日新聞の記事を見てメールを送ってきてくださった.『フリーターは嫌』だし『引きこもろうにも引きこもれない』と言っておられる.でも私は「あなたは典型的な引きこもりだと思う」と返事を出した.
『引きこもり』だからといって非難しているのではない.『サラリーマンにはなりたくないし』『引きこもりは嫌』という彼の悩みは,ものすごくよく分かる.『何かアドバイス』をと求める気持ちもよく分かるが,誰かが知った風な顔でアドバイスできるような事柄でもない.彼と同じような気持ちを持ち悩んでいる仲間はたくさんいる.<一緒に参加して語り合ってみたら>という気持ちで返事を書いたのだが,その後返事は途絶えている.
まだ見ぬ君へ!コンピュータの向こう側にいるだけでなく,勇気を出して一度顔を見せてください.ただし,あせらずに.
いつまでも待っていますから….
(7月17日)