直言曲言 第183回 「働く機械」
『女は子どもを産む機械』という失言があった。柳沢伯夫厚生労働大臣の発言だった。野党各党はもちろん与党の自民党や公明党の女性議員からも反発は墳出し、辞職要求が絶えないという。2007年2月4日現在本人の柳沢氏も任命責任の安倍首相からも辞職の声は聞かれない。『産む機械』というのは確かに差別発言で、さすがの本人も『まずいことを言った』という自覚はあるらしくすぐに陳謝の意を表している。あからさまな差別発言であり、野党は参院選挙を前にして鬼の首を取ったようにはしゃぎまわっているようだが、私にはそれほど驚くべき発言だとは思えなかった。
それより柳沢氏の弁解発言が面白い。少子化問題で合計特殊出生率が問題になっており『産む人の数が減っているから一人当たりの産む数を増やさないと…』とのつもりで出したたとえ話のつもりが『不適切な表現』になったらしい。この弁解自体が『弁解』になっていないことには野党を含めて誰も気づいていないらしい。少子化傾向の原因は柳沢氏の言う『産む女性の数が減っている』ことこそ問題なのである。<一人っ子>が多いから少子化になるのではない。確かに戦後のベビーブームの頃までのように<4人兄弟><5人姉妹>という例は少なくなったが、子どもを産む家庭では一人っ子に偏る傾向などなく、二人目・三人目も無事に生まれているのである。むしろ『結婚しない』人や、子どもを育てない人が増えているのである。もちろん『結婚しない』のは男であるのか女であるのか、どちらの責任かは分からないが、結果としては同じである。結婚しても子どもを産まない家庭も増えている。昔『一姫、二太郎、三・サンシー』などという産児制限のコマーシャルがあった。『産めよ増やせよ』 という時代があったかと思うと『子どもは2人まで』などというコマーシャルが認められるように、随分恣意的な人口政策が罷り通っていたようである。
以前にも触れたことがあるのだが、『結婚しない』ことや『子どもを産まない』ことは意思としては個人の自由だが、現実に『出来ない』ことや『産めない』ことの政策的な責任についてはどのようにお考えなのだろうか。これは単に呼称としての女性差別にとどまらず、人間差別に属する思想ではないかと思う。そのことを看過しておいて辞任要求に躍起になるというのは、野党も人間差別は認めているということなのか?一人当たりの産児数を問題するということは、産まない人が多いということを黙認して切り捨てているということではないのか?
ようやく景気が回復してきて、求人状況も良くなってきたようだ。それも団塊世代の大量退職を見込んでの大学新卒の求人が増えたのが原因であり、 フリーター層や引きこもりの就労問題は依然として解決しそうにない。過去15年〜20年、若者層に対する求人差別により産業界の若者疎外が行われてきたが、この世代に対する世代差別は救済されそうにない。バブル経済が激化する中でものづくり産業が軽視されたのが発端ではないか。人件費の高騰で、輸出競争力が失われてきていたのが原因であった。個別企業はもちろん、経済団体までが人件費の削減を打ち出していた。正社員の削減、派遣やパートの増加を推奨した。製造業の多くは中国大陸やアジア諸国など人件費の低い国に、工場進出を果たし、若者の新規採用は激減した。このための就職不安や人生不安がこの間の引きこもり激増の背景だった。就職不安だけでなく、競争社会が激化し、人間不信が激増した。
もちろん日本という国が完全に沈没してしまったわけではないので、表面上華やかな社会は続いている。高度成長期の蓄積は父母層の預貯金や持ち家率にも現れていた。相対的に豊かな社会の中で引きこもりたちは、就職の機会も与えられず、食うには困らず寝るところにも困らず、放置されていた。 働く機会が全くないわけではない。街を歩けば、牛丼屋であれ、ハンバーガーショップであれ『アルバイト募集』のビラはあふれている。条件もそれほど厳しくはない。ただし、よく見なさい。深夜、昼食時間帯、夜間など限定である。『9:00 〜 5:00』のように正社員のような勤務条件などない。勤務時間も一日5時間程度。アルバイトはあくまでも、不足している労働力を補おうとしているだけなのである。フリーターたちも、親に依存しているのだから贅沢は言えない。これでは時間給千円でも1日5千円にしかならない。生涯賃金で比較すると、フリーター生活では正社員の3分の1か4分の1にしかならないという。アルバイトの選り好みをしていてはそれ以下になるのも不思議ではない。必死にアルバイトの掛けもちをすればともかく、普通は月に10万円、年に100万円程度の所得がせいぜいではないか。彼(彼女)らの多くは、パラサイト(寄生)シングルであり、親たちと同居するか仕送りなどに依存している。だから生きていけている。彼(彼女)らが世帯主として妻(夫)や子どもを養わなければならないとすれば、やっていけないだろう。言い換えれば、こうした牛丼やハンバーガーショップなどの接客サービス業は多くのコンビニエンスストアなどを含めて、こうした若者の就業構造に依存して成立しているパラサイト(寄生虫)産業であるといえる。
子どもや伴侶を養っていくことが出来ないということは『結婚できない』 ことや『子どもを産めない』ことにつながる。 実際、年収100万円程度のフリーターやパラサイトシングルの多くは未婚で子どもがいない。 少子化の真の原因はそこにあることは明白である。NEETが60万人、引きこもりが100万人といわれている。 フリーターとはNEETや引きこもりから脱出した未来形であり、その数400万人。派遣やパートも含むであろうパラサイトシングルは1000万人とも言われている。この人たちが結婚して、子どもを産むようになったら、大変なブライダルブームやベビーブームがやってくる。
『子どもを産む機械が少ないから』と、それを前提にして、切捨てにしているのは『若い人』たちを切り捨てにして『アルバイトをする機械』だと考えているからに他ならない。いや機械なら油切れしたら油をさすだろう。油をさすこともなく、無視しているといえないか。封建時代には『(百姓は) 生かさず殺さず』といわれたが、今の若者はそのような扱いを受けているのと同じだ。NEETは『教育も受けていず働きもしない』無業者のことだという。いつの間にか『働く意欲のない若者』という言葉になってしまった。好き好んで働かない、就職しないというのではない。そんな環境しか与えていない大人や社会の責任ではないのか?だから私はNEETという言葉がきらいだ。結婚しない人々というのも、いまどきの若者は… という風に、気まぐれで結婚しないように思われている節が強い。引きこもりの若者たちの中にカップルが発生すると、経済的な見通しや不安とは別に『ニンマリ』としてしまう私がある。『出来ちゃった結婚』 などというのも少子化解消のためには一石二鳥の秘策と思えるのは私だけだろうか。
2007.02.04.