直言曲言第180回 ストレス原因説
ストレスというのは英語のstressである。別段日本語に翻訳しなくても意味は通じるだろう。あえて訳せば、圧迫とか圧力という意味で、神経に対する圧迫・圧力を意味する。緊張感と訳せば、ぴったりすることも多く、そのままストレスと日本語で理解してもよいだろう。現代はこのストレスの多い社会で、現代病といわれるものはおよそこのストレスが関与しないものはないだろう。ストレスが関連する精神障害にPTSDというものがある。Post Trauma Stress Disorder の略で心的外傷後ストレス障害というのが日本語訳である。これは1970年代にアメリカで分類されるようになった精神障害の病名である。
1970年代にベトナム戦争から帰還した米兵にPTSDが多発していることが話題になった。ベトナム戦争といっても、今ではどんな戦争であったのか知る人は少ないと思うが、南ベトナムの傀儡政権を支援した米国は北ベトナムの支援を受けたベトコン(ベトナム人コミュニスト)と戦った。火気や航空戦力では圧倒的な優位を誇ったアメリカだが、民衆の中から湧き出すようなベトコンゲリラの戦法には悩まされた。とりわけ密林の中で、どこから狙撃されるかもしれないジャングル行には正義と大義名分のないアメリカ軍にますます厭戦気分が広がったわけだ。そんなジャングル戦を経験した帰還兵が大量に欝症状に襲われたのだ。
何でもアメリカの真似をしている日本の精神医学界や心理学界がこのPTSDを取り入れた。阪神淡路大震災で親を失った子らにPTSDの治療が必要だと。その後は何か大きな事件が起こると必ずPTSDに対する臨床心理士の治療が必要だと言うことになる。阪神大震災で親を失った子にトラウマ(心的外傷)による傷跡が残っている可能性は認める。ならば、親が交通事故で死んだり、自殺をしてしまった子はどうなのだろう。第2次世界大戦など、数百万人が戦争犠牲者として死んでいる。その遺族の後遺症はどのように対処されたのだろう。トラウマの後遺症を治療しようとするのは良いが、被害者の後遺症にばかり注意をひきつけては、悲惨なはずの事件や事故への対策がおろそかになりはしないか。最近では何でもかでもPTSDだと言って騒ぎ立てること自体に自制の動きがあるようだ。トラウマと言うのは心理学用語であり、なにやら高級な語感があるが、心的外傷といえば、要するに何か心無いことを言われたときにも言う『心が傷ついた』と言うことである。こんなものに、傷ついた基準や治療の基準などあるはずがない。お葬式のときなどに言う『ご愁傷さまでした』程度の言葉で良いのではないか。
しかし、世はなべて『心理学』時代である。人様の心の傷に、大変敏感な時代である。ただ敏感なだけではない。何とかしてその傷を癒してあげたいとする『癒し』の時代でもある。心理学を少々かじったくらいで他人の傷を癒やそうとするなど、少々思い上がりで、おせっかいなのではないかと思うほどである。不思議なのはこの『癒やそう』とする人たちと、『傷つけ』てしまう人たちにあまり違いが見受けられないことだ。
ともあれ、私などから見るにトラウマと言うほどの心的外傷は大変な心の傷を残すだろうが、『外傷』はなくてもストレスの方は日常茶飯事である。深い傷ではなくても、心のひび割れのようなものである。ひびはなんでもないように見えて、実は大きなダメージを与える。システム社会や、管理社会の中で毎日のストレスは、思った以上に人を傷つけてしまっている。引きこもりも、大きな原因があるというよりも、こうした日々のストレスがたまって、それが成長して破滅的な離人症や神経症を引き起こしたと考える方が分かりやすいのではないか。
引きこもりの説明会に、ひどいアトピー性皮膚炎の子を持つ親御さんが参加したことがある。男の子2人の兄弟で、兄弟2人とも顔の炎症がひどく、そのせいで引きこもったまま表に出られないのだという。兄の方は皮膚科で医者から『ステロイド軟膏』の塗布を勧められ、その為に皮膚の炎症はかえってひどくなり、現在その皮膚科医を相手に訴訟中であるという。親御さんはそれほど頑固な人柄には見えなかったが、長男はステロイドを塗布後もアトピー性皮膚炎は治らず、その後医学書などでステロイドの塗布がアトピー性皮膚炎を悪化させることがあると知ったようである。訴訟を主張してやまず、弁護士に依頼して準備書面も用意したようだ。親御さんは訴訟にあまり乗り気ではなかったようだが、引きこもりも発症しており、長男の気が済むならと訴訟に同意しているようだ。皮膚科医を敵に回して訴訟をするなどすっかり世間を敵にしてしまっているようだが、親の方はアトピー性皮膚炎さえ治ればと必死になっておられる。「漢方薬が有効である」とか「東北地方に名医がおられる」とか聞けば、時間や金を惜しまずすぐに東北地方まで出かけられる有様である。とにかく親御さんも必死で、引きこもりの説明会なのに、アトピー性皮膚炎の討論会になってしまった。
私は、引きこもり相談の経験は持っているが、もちろん皮膚科の治療法など知らない。最初は『あまり気になさらず外に出かけるようにされたほうがよいですよ』程度の受け答えをしていたのだが、その父親はそのうちステロイドの副作用を主張し始め、まるでその長男と皮膚科医の代理論争のようになってしまった。私も末娘がアトピー性皮膚炎にかかり、苦労した経験がある。ステロイド系の軟膏に副作用があることは知っていた。その父親はその後も何度か例会に参加して、アトピー性皮膚炎は治癒せず、従って引きこもり状態も改善していなかった。私は素人ながら、医学書を読み、何人かの医者にも質問した。皮膚科の専門医ではないが、それだけに客観的な見方をしており、医学的な常識の持ち主だと思えた。アトピー性皮膚炎はアレルギー反応のひとつで食物などの抗原抗体反応である。「確かに副作用はあるが、皮膚の炎症にはステロイド軟膏が特効性があると」いうのがその内科医の意見であった。医学は発達したとはいえ、まだまだ解明されていない病気は多い。私は「特効薬とは言えないがステロイドでひどい炎症を抑え、ストレスを避けて、外出をした方がよいですよ」とアドバイスした。アトピー性皮膚炎の治療法とは言えないが、引きこもり対策にはそれが最善だと思えたからである。
アトピー性皮膚炎と引きこもりの直接的な因果関係があるとは思えない。しかし先ほども述べたとおり、科学が発達してもまだまだ未解明の病気は数多い。医者が匙を投げたような末期癌の患者でも奇跡のように回復することがなくはない。どこかのお札や水が回復をもたらしただのという、迷信は信じないが、人体が持つ自然回復能力や自己回復能力は信じるほうだ。ただし、日々ストレスが襲うようだと、自己回復能力は機能しないだろう。現代病や奇病の多くには、このストレスによる自己回復能力・自己治癒能力の減衰が多いのではないだろうか?
2006.12.20.